仮想敵国と政略結婚話の再燃
「しかしここまで事を大きくするってことは、あちらさんがこの国に本格的にちょっかい出してきたって考えた方がよさそうだな。そっちからすればまだ仮想敵国の段階か」
元々争っている国でこのような騒動をしかけてくるのならわかる。
けれどこの国とは何もなかったはずだ。
だからクリスのお披露目の賓客の中にその国の要人が混ざっているのだ。
だが、体裁を大事にする国の大事なイベントを潰し、わざわざトラブルを起こしたのだから、相手国を敵とみなした方がいいのではないか。
彼がそう言うと、クリスはため息をついた。
「血の気の多いのは好まないですし、国がらみかどうかはまだ調査中ですからね。そちらと違ってわざわざ好んで敵を作りたいわけではないですよ」
クリスの力では議場でも及ばないかもしれない。
けれどできる事なら武器を持っての戦争は避けたい。
騎士の中には今回のトラブルが本物の敵との戦いとなったという者も多く、今は緊張と興奮の中にあって申し出はないが、落ち着いてこの一件を振り返り、騎士という仕事について個人個人が考えるようになった時、そしてこの先、戦争になるのではないかという不安を持った時、彼らがどう判断するか分からない。
退職を申し出るのか、このようなことは滅多にないだろうと続けるのか、戦争に興味を示すのか、人によって様々な思いが出てくるだろう。
だからきっと騎士団内に派閥ができる。
それが意見を交わす程度ならいいが、クーデターにつながる危険性だってある。
このお披露目の後は、相手が戦争相手としてこの国に戦をしかけて来ない限り、他国より国内の収拾に追われることになるだろうとクリスは考えていた。
「平和なのは何よりだが、ここまでされて随分悠長に構えているのだな。そちらにはそちらの考えがあるのかもしれないが、あちらさんは、産めや育てや人身売買国家だ。過去に売られたのは噂になってる孤児院の子供だけじゃないだろう」
クリスができるだけ穏便に済ませたいといった様子を見せると、彼は呆れたように言った。
「よくご存じで」
彼がどこまで知っているのかは分からないが、少なくとも孤児院での一件は耳にしているようだ。
これがエレナの事を調べて行きついた情報なのか、トラブルを起こした国について調べていて偶然知ったものなのか、さすがに彼も本当の手の内を明かすことはない。
「貴族の間で評判になっているではないか。エレナ殿下が孤児院で女性を連れ去ろうとした者の間に立ちはだかったという英雄伝が」
彼が一般的に広がっている評判からさも知ったかのように告げると、クリスは頬に手を当ててため息をついた。
「それに関しては話が大きくなっている部分は否めませんが」
間違いではないので否定することはできない。
そしてこの話が貴族たちの間でエレナの英雄伝として語られているのも事実だ。
ただ、エレナが立ちはだかった後、直接相手を撃退した訳ではないので、少々事実とは異なる部分があるが、エレナの権力に怯んだのもあるだろうからとそのままにしてある。
彼とこの話をすることになったのは意外だが、この話はそこまで広がっているのなら、他国が迂闊にエレナに手出しをしてこないかもしれないという期待もできる。
そもそも、この噂がエレナの立ち位置を引き上げてくれると踏んで放置したのだから、それに関しては功を奏したと言える。
クリスがそんな政治的な話を頭の片隅で考えていると、彼は大きく息を吐いた。
「余計な世話かもしれないが、理解していないようだから言っておこう。戦争に必要なのは武器より人だ。しかもその人ってのは武器より脆いときたもんだ。そして武器は人が使って初めてその役割を果たすもんだからな」
戦術を現実にするにも、武器を動かすにも人間が必要だ。
戦術があっても実行する人間がいなければ成すことはできないし、武器は勝手に戦ってくれない。
そして和睦というのは、相手の出方によって一瞬で崩壊する。
だからこうして自国は戦争の道を行くことになったのだ。
けれどそれをこの国に課そうという訳ではない。
友人の国のために汚れ仕事は請け負ってもいいと思っている。
「うちが手を貸すことは可能だが、こちらを処理するんだったら、高い条件が付くな」
皇太子が様子を見ようとそう口にすると、クリスはすぐに微笑みながら答えた。
「その条件はのめません」
「まだ何も言ってないだろう」
「エレナに課すものは認めない」
クリスが彼の言わんとすることを先読みしてきっぱりと返すと、皇太子はため息をついた。
「そうか。とはいえ、あまり時間もなかろう。こちらはよい返事を期待しておこう」
先の事は分からない。
本当に有事に発展したのなら、その時最善の策を講じるのが国を治める者の責務だ。
自分とエレナとのことを、その選択肢の一つの中に入れておけと彼は念を押す。
「その答えが出たのだから分かっていると思うが、一番の解決策はエレナ殿下と私が政略結婚することだろうな。そうすれば我が国が加勢する大義名分になるぞ?それを示すのに一番いいのが、延期になったお披露目の席と考えるがどうだ?」
婚約発表はしなくてもいい。
ただ、それとなく匂わせておけば、察しの良い国は手を引くはずだ。
そうでなくとも、戦争に長けた国をわざわざ相手にしたくない、くらいには考えて、この場では様子見を決め込むはずだ。
「そんなことを私がさせると思いますか?」
エレナとケインのことがやっと落ち着こうとしているのに、こんなことで波風を立てたくない。
ようやく長年の誤解が解けたのが正にさっきなのだ。
「クリス殿下はそうだろう。だが、正義感の強い真っ直ぐまっさらなエレナ殿下はどう答えるか」
「エレナに話すと?」
「それもありだろう」
自分に話を優位に進めるためならそのくらいの事はする。
先ほどエレナがクリスの執務室に居たのは確認できたのだ。
今ここで話を終わらせてそこに行けば、エレナはまだいるはずだ。
「それではエレナに会わせる訳にはいきませんね」
この話がなければ執務室でエレナに挨拶くらいは許したかもしれないとクリスが言うと、皇太子は鼻で笑った。
「まあ、婚約もどきでも構わぬがな。こうして聞くと、エレナ殿下に情報を与えず、選択肢を狭めているのはクリス殿下も同じようだな」
重鎮に配慮して表に出してもらうことのできなかったエレナ、その結果、少し世間の、一般的気なこの国の貴族とは考え方とずれているという。
ただ庶民よりというだけで、悪い方向にずれているわけではないので、新しい風となる可能性はある。
そう考えれば悪いものではないが、これは本人が選んだ訳ではなく、悪い方へ行かないようにと誘導した結果である。
確かにエレナ本人に与えられた選択肢は極めて少なく狭い。
それは彼の言う通りだが、こちらにも事情がある。
ただそこまで彼に説明する義理はない。
「エレナの理解あってのことです」
とりあえずクリスがそう答えると、彼はエレナが理解しているというのが意外だったのか少し驚いた顔をした。
「そうか。それは余計な事を言った。長居したな。健闘を祈る」
そもそもエレナの件はここで話をまとめるつもりはない。
情報を与えるつもりで来たのだが、それも必要なかったようだし、これでは本当に邪魔をしに来ただけになってしまう。
そう考えて皇太子は一度引き下がると立ち上がった。
立ち上がった彼を引き留めるようにクリスは声をかける。
「ああ、そうだ。あなたがどのように紙に細工をして情報のやり取りをされたのかは分かりませんが、あの時点で随分と詳細な情報を掴んでいたことは不審に思いましたよ」
あなたは本当に友好国ですよねという確認の意味を込めてクリスが言うと、彼は少し考えてからそれに答えた。
「紙に細工か……。そんなことはしていないが、手の打ちも明かせないな。報告方法はうちの良く使う戦術の一つに関わる軍事機密だ。少しの情報で分かることも多い、とだけ教えておこうか」
彼がその状況を把握できたのは、国内で別行動をしていた人物からの報告があったからだ。
だが普段から戦争が頻発する国で、そのような事をまともに紙にしたためるようなことはない。
それでは軍事機密や報告事項が文字の読めるもの全てに筒抜けになってしまう。
だから分かる人だけが分かるような方法をとっている。
今回は国内に敵がいるので、その相手に知られぬよう、報告主が皇太子の持つ知識に合わせた報告方法を選んだだけだ。
「わかりました。それに関しては今議論すべきものではありませんから、この話が改めてお聞かせ願えればと思います。お引き留めして失礼いたしました。お部屋までお見送りを」
執務室には近づけずまっすぐ部屋に送り届けろとクリスが命を出すと、皇太子は笑みを浮かべた。
「それは残念だ。エレナ殿下にもご挨拶したかったのだけどな」
「今のあなたをエレナに会わせるわけにはいきません」
その笑みに答えるかのように、クリスも笑みを作るが、声が冷ややかだ。
それを彼は察してため息をついた。
「わかったわかった。ではお披露目の席でご挨拶させてもらうとしよう。私はクリス殿下をいじめにきた訳ではないからな」
最後彼は大きく笑うと自ら応接室のドアを開けて退室した。
そんな彼の後を、クリスの命を受けた騎士が慌てて追いかける。
突飛な行動をする彼だが良識はある。
この騒動の最中に来たのが、必要ならば情報を与え協力を申し出るつもりだったことは分かっているし、用が済んだのだからおそらく大人しく部屋に戻ってくれるだろう。
クリスは何だかんだで彼をそれなりに信用しているのだ。
けれどエレナの事は別だ。
彼とエレナの件をどう対応するか。
こうして再燃した問題にクリスはため息をこぼすのだった。




