自立への道程
まず二人を小部屋に送ったのは、過去の誤解を解いてもらうためだ。
その誤解は解けた様子だが、エレナと話をする限り、どうもその先がクリスの思惑通りになっていない。
本当なら、エレナにはもっと護衛騎士たちを頼って守られる立場になってほしいのだ。
戦場で騎士たちを鼓舞し決起してほしいわけではない。
ケインを騎士として慕う少女に戻ってほしかっただけだ。
だからあの時の誤解が解消されたら、守られてもいいんだと少しくらい認識を改めてくれるのではないかと期待したが、まずエレナにあまり変化は見られないし、ケインも特に何も言わない。
時間が足りなかっただけなら、またその時間を作ればいい。
けれど、二人の話した内容が、もし自分の思う方向とかけ離れたものだったら、そもそも誤解が解けていなかったら。
そんな考えのよぎったクリスは、エレナの頭をポンポンと撫で続けながら、思わずケインに尋ねた。
「ケイン、二人で話をしたんだよね?誤解は解けたんだよね?」
「はい」
即答したケインの後に続いてエレナが言う。
「さっきの力比べで交換条件を出したのだけれど、負けてしまったの。だから鍛錬を積んで、また挑むつもりよ」
「条件?」
「ええ」
クリスが聞き返すと、エレナは落ち込んだ様子を見せる事もなく返事をする。
今回はダメだったけれど、また挑戦するとはどういうことか。
言うことを聞かせることを条件にケインは力比べの用船を受けたと言うのか。
エレナの話では良くわからない。
「ケイン、説明してくれる?中でどんな話をしたのか」
「話の流れから、私との力比べでエレナ様が勝ったら、エレナ様が街で一人で暮らす、市民たちの中に混ざって外で働くと言い出しましたので、少々加減を忘れかけました」
「そう……」
ケインとしてはエレナがそのような生活をするのを容認できなかった。
話を聞いたクリスも思いは同じで、それを止める理由はない。
意見の一致を確認した二人は、エレナを見る。
「もしここでケインを負かせたら、私が自立して街で生活できるようになる訓練をしたいって、お兄様に一緒に頼んでもらうはずだったのよ」
エレナはケインと力比べをして勝ったら、市井の民として生活を送り、自立した女性というものを極めたいということらしい。
完全に自立した女性のイメージが貴族社会からずれているが、接した多くの自立した女性が孤児院の者たちなのだから、それは仕方がないだろう。
しかしエレナは言われた公務はこなしているのだ。
仕事をしていないとか、自立できていないとエレナを揶揄するものはいない。
できていないというのは、納得いかない部分が多いか、本人の思いこみだ
とりあえず、エレナのそんな無謀な挑戦をきちんと納めてくれたケインに感謝しながら、クリスはエレナに向き合った。
「エレナは僕の大切な妹なんだから、自分のことも大切にしてほしいな」
クリスがエレナに目線を合わせてそう言うと、エレナは微笑んだ。
「……わかったわ。心配をかけないよう、もっと精進するわね」
「うーん。そうだね。精進しなくていいから、もう少し周りを頼りにしてあげてくれないかな」
どう言っても今の段階でエレナの目標を変更に導くのは難しい。
今はとりあえずケインが稼いでくれた時間がある。
その時間を使ってこの件に関する対策は考えた方がいいだろう。
それにまだ言いたいことはたくさんある。
そうしてクリスのお小言は続く。
「あ、あと、近衛騎士って一応、国内で上から数えた方が早いくらい強くて優秀な人たちを集めているから、女性一人に負けちゃうようだと、騎士たちの方を考えなきゃいけなくなっちゃう。ブレンダはともかく、エレナに負けるなんて論外だから、そんな相手に向かっていくのも無鉄砲というか、考えものだよ。今回のことを反省していないの?本当に外ではそんなことしちゃダメだからね?」
ブレンダは元々近衛騎士の一人だ。
女性ではあるものの、実力でここまで勝ち、登ってきた人材だ。
力はともかく、技術がある。
だからケインとブレンダならいい勝負になったかもしれない。
けれどエレナは違う。
身を守る護身術は使えるが、それは自分が逃げ出すための隙を作るためのものだ。
護身術で相手を倒すような芸当はできない。
エレナを正面から見ながらクリスがそう続けると、エレナが拗ねる。
「今回の事は本当に反省しているわ。二人には特に迷惑をかけたもの」
エレナがそう言って護衛騎士の二人を見ると、二人は顔を見合わせてため息をつく。
けれど、そうじゃないと否定する気力はないのだった。
中のやり取りはうっすらと廊下まで聞こえてきていた。
細かい言葉までは聞こえてこないが、ブレンダがエレナ様を呼ぶ声や、エレナの護衛であるケインに事情の説明を求めていたり、エレナがクリスに注意を受けているらしいことが何となく伝わってきていて、中に入れるような雰囲気ではない。
そのため中の様子が落ち着いたら報告をしようと、廊下で数名の騎士たちが待機している状態だった。
ここで開けていらぬ情報を耳にするのは自分にとっても良いことではないと空気を読んでのことだ。
だから廊下で待機している間、騎士たちは自分たちの持つ情報を交換していた。
団子状態で待機しているのだから、部屋に入ったらこのメンバーには聞こえるところで報告することになるのだから、知るのが先か後かの違いだけになるからだ。
けれどそこに急ぎの案件を持った騎士が来た。
この状況下なので廊下を走ろうがそれを咎める者はおらず、その勢いのまま執務室の前に到着いたが、廊下に溜まっている騎士たちを見て戸惑う。
「これは報告待ちか?」
「ああ、中が取り込んでいるから待っている。随分と急いできたようだが何かあったのか?」
「ああ、大至急報告すべき案件だ」
彼が自分の来た方を気にしながらそう言うと、彼が突破口になるかもしれないと、待っていた者たちは顔を見合わせて、彼にこの状況を打開してもらうことで問題ないかと確認し合う。
アイコンタクトで意思を確認してから、近くにいた一人が、彼にこう言った。
「じゃあ、順は譲る。このドアを開ける勇気があるんだったらだが……」
エレナがクリスに注意を受けているところに立ち入るなど自分たちにはできなかった。
自分たちが持っている報告は、そこまで急ぐものではない。
でも彼は中の状況より優先すべき方向事項を持っているらしい。
それならその彼を先頭に自分たちも報告に上がればいいだろう。
そんな彼らの思惑など考えている余裕のない彼は、長く待っているだろう騎士たちに、順を譲ってもらったことに感謝する。
「そうか。助かる」
中のごたごたした内容を知らない彼は、そう言うと彼らに背を向けて、急ぎそのドアを強く叩いたのだった。




