執務室の小部屋
執務室にある小部屋はクリスが仮眠室として使っている、プライベートな場所だ。
仕事部屋の奥という事もあり、普段は鍵をかけているし、誰かを通すことはない。
せいぜい部屋を整える時に、クリスが見ているところで使用人がリネンを交換したり、簡単に清掃するくらいだ。
だから自分のいない状態でこの部屋のドアを閉めて何かをすることは、普段であれば考えられない。
それでこの二人の関係が正常なものに戻るのなら、部屋に通すくらい構わない。
それに中に入るのは、自分と距離のある人間ではなく幼いころから信頼している親友と、自分の愛してやまない妹なのだ。
本当は男女二人を部屋に入れてドアを閉めるのもよいことではないけれど、この慌ただしい状況ではこの執務室に誰が来るか分からない。
二人の関係を公にしていない今の段階で、彼らのやり取りを第三者に聞かせるわけにはいかないのだから、二人の話を彼らに聞かれないようにするためにもこの措置は必要だとクリスは判断した。
「ここには初めて入ったわ」
「私……、いや、俺もだよ」
クリスにここで話すようにと言われた二人だが、この部屋に入るのは初めてだ。
思わず部屋を見回してしまう。
部屋はシンプルな作りで、ベッドとテーブルに椅子が二脚あるだけの比較的狭い場所で、椅子は普段使用しないのか、一脚は壁側に押しつけられたテーブルの奥に置かれていた。
おそらく主には寝ることが目的で、せいぜい飲食時にテーブルを使うだけなのだろう。
見えるところに紙やペン、書類などは置かれてはいなかった。
今は二人が歩きまわれるくらいの広さはあるけれど、テーブルが中央にあったなら、その周囲をワゴンが通るのが精一杯なくらいだろう。
「お兄様は部屋に戻らないでここで休んだりしているのかしら?」
「ああ、朝早い時もここで休んだりしているんじゃないか?表には出さないけど、対応していることが多いみたいだし、大変そうだからな」
この部屋に通された二人がまず気にしたのはクリスのことだった。
クリスはあまり自分の苦労を語らない。
時々ため息をつくことはあっても、いつもおっとり、微笑みながら書類を受け取り、相手をねぎらう余裕を見せている。
だから皆はそれを当たり前だと思ってしまっているが、こういう部屋を用意されているというのは、それだけの事をしているということに他ならない。
二人は思わず閉められたドアを見るのだった。
二人はあまり部屋の配置を変えるのはよくないと判断し、ケインが椅子に、エレナがベッドに腰をおろした。
「二人にしてもらったのはいいけれど、何を話せばいいのかしら……」
少し離れて向かい合わせの状態で落ち着いたところで、エレナが先に口を開いた。
クリスの大変さの一端を見るためにこの部屋に来た訳ではない。
小部屋を使ってでもきちんと話し合わなければならないとクリスが判断したからこの状態になっているのだ。
だからきちんと本題について話さなければならない。
「まずはクリス様の言っていたことを話したい。まず、エレナがどうして守られることを拒否するようになったのか教えてほしい。俺は、エレナの騎士になるために、エレナを近くで守るために騎士になった。エレナはそれを望んでなかったのか?」
ケインからすればそのために人生を捧げたと言っても過言ではない。
最短で二人の側にいられる環境を作るため、早いうちから進路を騎士に絞ったし、騎士団に入団してからも近衛騎士になるため努力を怠ったことはない。
そして夜会でようやくエレナに剣を捧げることができた。
エレナもそれを受けてくれたし、あの時、ようやく自分がエレナの騎士として認められたのだと安堵したのだ。
けれど実際に護衛をしていると、エレナは自分を側には置いてくれているが、騎士として見ているのか分からなくなる事も多かった。
それはエレナの騎士全体に対する扱いでも感じるので、自分だけが特別避けられているということでもないとは思っている。
「そうね。まず、拒否しているというのは違うわ。だからどうしてと言われても困るのだけれど……」
エレナはそう切り出してから、クリスが伝えろと言った事をどう切り出すか迷いながら続けた。
「ケインは、女性に対して守られるだけというのは違うと考えている。それは間違っているかしら?」
エレナはあの時聞いた、ケインとその友人との会話の場面を思い出しながら言った。
ケインは理解できていないため何の話かは分からないけれど、とりあえずその問いに答える必要があると判断し、素直に自分の思っている事を伝えた。
「確かに守ってもらって当たり前と思われているなら違うと思うけど」
「じゃあ、私がしていることは間違いではないわよね」
とりあえず自分の認識は正しかった。
エレナはそう言ってうなずいた。
エレナはケインの出した答えに納得した様子を見せたが、ケインが答えたのは一般論にすぎない。
それをエレナに当てはめていいかといえば違うし、それを理由にエレナに自分の行動を正当化されては困る。
クリスにもエレナの思い込みを解消するよう言われているし、とりあえずダメなところはきちんと指摘する必要がある。
「どの点においてかによるけど、今日のはダメだよ」
ケインがそう言うと、エレナはうなずいてから言った。
「今日のというより、鍛錬をして強くなろうとしていることとかに対してが知りたいわ。守られるだけではなくて、自分の身くらい自分で守れないといけない。それは間違いではないわよね」
確かに最終的にはそれが理想だ。
緊急時に対応するためにも、日頃から鍛えておく必要がある。
知識だけで体は動かないからだ。
でもそれは、護衛が機能しなくなった最悪の事態の場合に必要というだけでもある。
エレナの言葉の全てが間違いではない。
だから部分的に否定するだけではだめだ。
ケインはどう伝えるべきか、慎重に言葉を選ぶ。
「それはまあ……。エレナには生き延びてもらわなきゃいけないから、そうだな。でもそれをもっと正確に表現するなら、そうだと助かる、だよ。それは護衛されるなという意味じゃない」
ケインの言葉を聞いたエレナはケインの言葉を咀嚼して、少し考えてから言った。
「でも、孤児院の女性たちに常に護衛はついていないじゃない。私もあのくらいのたくましさはなければいけないと思うの。そうでなければ、自立した大人として認められないでしょう?だって彼女たちは護衛のいない生活ができているもの」
エレナの言葉から思い違いの糸口を見つけたケインは、それを見失わないようにしなければと、慎重に言葉を探す。
「エレナと彼らでは立場が違う。彼らの目線に立って物事を考えられるのは悪いことじゃないけど、同列に考えてるなら間違いだ」
「彼らは私達が守るべき民よ?」
国民の盾になるのが王族の役目。
だからこの国において有事があれば、そのために力を尽くすのが当然だ。
エレナが自分の意志を伝えると、ケインは眉間にしわを寄せた。
「それでも、彼らが誘拐されても国は揺るがないけど、エレナが誘拐されたら、この国は崩壊するかもしれない。そのくらい違う。この間、孤児院に来た貴族に権力を振りかざしたんだから、それは分かっているよな」
エレナは孤児院に来た貴族を、権力を用いて撃退した。
本人は力で来たものを、力で撃退できなかった事を無念だと感じているようだったが、対応としては皆を安全に守ったのだから間違っていない。
できるならその役目を護衛騎士たちに任せてもらって、本人に前面に出ないでもらいたかったけれど、権力を持ちだしたのだから、エレナは自分の立場を自覚していると、ケインはそう認識していたのだ。
「確かに、地位や権力が強いことは自覚しているわ。それがあるから護衛がついていることも分かっているつもりよ」
別に人がついて歩くのはエレナにとって日常だし、騎士団長からの指導や、緊急時の訓練もしているのだから、自分がそれを必要とする重要人物とみなされていることくらいは分かっている。
だから彼らを拒否することはしないのだ。
もし本当に守られる必要がないと思っているのなら、護衛などいらないとクリスに伝えている。
エレナはケインの言っている意味が分からないと首を傾げるのだった。




