騎士としての終わり
出入りが多い事もあり、最初は謁見室で指揮をとっていたクリスだったが、それらが落ち着いた事もあり、場所をクリスの執務室へと移すことになった。
当然エレナとブレンダも一緒に移動し、エレナは当然のように、いつも座る場所に腰を落ちつけた。
一方のブレンダはいつも護衛として中にいるクリスの執務室に場所を移したからか、ただ情報を待つばかりの状況がもどかしいからか、入口近く、出入りの邪魔にならない場所をうろうろしていて、なかなか座ろうとしない。
エレナは執務室に移動する際、そこにお茶と多めに軽食を用意するように言いつけていた。
そしてそれらが届いたタイミングでブレンダに声をかける。
「ブレンダ。落ち着かないのはわかるけれど、とりあえず座って一緒にお茶を飲んで連絡を待ちましょう」
「そうですね……」
緊迫した状況の中で、エレナの周囲だけは、なぜか違う空気が流れていた。
エレナが軽食を前にお茶を飲んでいて、まるでお茶会が行われているような優雅な雰囲気がその一帯にだけ広がっている。
あのような事件があったとはとても思えないし、そこにいる彼女こそ一番の被害者のはずだが、そこに事件の恐怖は微塵も見えない。
ブレンダが足を止めてエレナを見ながらそんなことを思っていると、エレナはブレンダをじっと見上げて言った。
「ねぇ、待っているだけって寂しいでしょう?」
予想外の言葉を投げかけられたブレンダは、エレナを見返すとぎこちなく笑みを浮かべた。
「急にどうされたのですか?」
「私はいつもこんな感じなの。何をするにも許可が必要で、余計なことはしないようにって言われるわ。だから自分の動ける範囲でできること、時間を潰す方法を考えるようになったの」
「そうなのですね」
その場から動かなくてもできること。
エレナが選んだ者は読書よりも刺繍だった。
そして王宮内に制限が拡大された時は、料理と訓練。
自立した女性を目指すという目標があった事もあり、自然と生活スキルが向上するものを選んでしまっていたが、それが孤児院の訪問で役立っているのだから、何事も経験かもしれないとエレナは思うようになった。
学校に行けなかった事についても孤児院へ行き、学校に行くどころか文字の読み書きすら教育されないものが多くいることも知った。
だから自分は恵まれている方だし、本当はできるようになりたいことがあってもできない事を抱えているのは自分だけではないと、彼らに親近感を持てたのだ。
でもブレンダは違う。
エレナのやりたい事を聞けば、叶えるために寄り添ってくれるが、それも叶えることが前提で動いていた。
しかし今後は自分の側になってしまうので、きっと最初は辛いだろう。
それならそうなるのだと伝えておいた方がいいと考え、エレナは話を続ける。
「今日はお兄様が一緒だから情報は耳に入るけれど、部屋にいると何も知らないままで終わってしまうのよ。終わってからでも報告があればいい方かしら」
「それは……」
ブレンダには多くの心当たりがあった。
今までクリスの元で動いていた事もあり、エレナに心労をかけるような情報をできるだけ伏せるよう言われていたからだ。
クリスからすればエレナを思っての行動なのだが、エレナがそれをどう受け止めるのか。
それが自分だったら怒るはずだ。
しかしブレンダはクリスに言われるがまま、その命に従い、肩棒を担いていた側だった。
けれどそれに関して別に責めるつもりもないといった様子で、エレナはさらに続ける。
「この先、ブレンダもそういう扱いをされることが増えると思うわ。私と違うのはブレンダがお兄様にアドバイスをできる力を持っていることね。その力があるからもう少し現場に身を置くことができるのかもしれないけれど、それでも危険を伴うところに行くことが許されなくなるはずよ」
「窮屈になる覚悟はしているつもりです」
皇太子妃となれば、自分から危険に飛び込むことはできなくなる。
騎士としての習性で体が勝手に動くことはあるかもしれないが、本当はそれも自重できるようにならなければいけない。
許されるのは国王が、皇太子であるクリスが直接害されそうになった時、誰も止めることができない場合だけだろう。
頭では分かっているが、まだ感情がついていかないのも確かだ。
「私は最初からこういう生活だから、慣れも諦めもあって、気持ちを切り替えることができるけれど、ブレンダはそうではないんじゃないかと思ったのよ」
「仰るとおりですね。今まで率先して前に出ていたのに、出ていくことができませんし、さらにその状態で情報からも遮断されてしまったらと考えると、やり場がないと思います」
元々情報を持たされず、その状況とうまく折り合いをつける方法を、長い年月をかけて獲得したエレナと、多くの情報を渡され率先して動いてきて急に動けなくなったブレンダは違う。
できないことができないままなのと、できたことができなくなるのでは後者の方が苦しいはずだ。
さすがのエレナでもそれは理解できた。
だったらエレナにできることは一つ。
ブレンダにこうしている意味や理由を与えることだ。
「そうだと思ったわ。でもその様子を他の者が見ると、落ち着きがないように見えてしまうから、座ってお茶をして余裕があるような顔をしていなければならないと思うわ。今日はその練習だと思ったらどうかしら?」
ブレンダが次期皇太子妃であることは噂なども含めれば多くの貴族に知られてきている。
そしてそれが発表されるのも時間の問題だ。
それならこの場も皇太子妃教育の一環と考えて、トラブルに慌てることなく優雅に振る舞って見せる練習の場にしてしまえばいい。
それを見た騎士たちが怪訝そうにしたとしても、発表されてしまえばその場の行動にも納得するだろう。
それに念のため別の言い訳もきちんと用意してある。
目の前にあるのはそのための軽食だ。
「まさかエレナ様からそのようなご提案をいただくとは思っておりませんでした。確かにそうですね。もう普通に騎士として生活することは難しいのでしたね」
クリスともパレードが終わったら騎士の業務は終わりだと言われていた。
ブレンダはパレードだけはと、本当ならば皇太子妃として参加する準備があるのに、騎士としての晴れ舞台には立ちたいと我儘を言った。
その最後の願いは叶えてもらったのだ。
このトラブルでパレードが終わったという感覚はなかったが、騎士服をまとったままであっても、王宮に戻っている以上、どんな形であれパレードとブレンダの騎士としての職務は終わったのだ。
ブレンダはエレナと話しているうちに、今の自分の立ち位置をようやく飲み込んだ。
「これからの生活が普通になるようにって、お母様から言われたりしたのではないかしら?私にはこれが普通なのだけれど、ブレンダはそうではないのだから、それに関しては慣れるしかないと思うの。だからとりあえず、これは課題だと思って座ってほしいわ。隣に来てくれると嬉しいのだけれど」
「そういたします」
パレードが終了して立場が変わった。
だからエレナと自分にできることはない。
そしていつもならエレナを諌めてきたはずの自分が、エレナに諌められた。
緊迫した空気に飲まれるのではなくそれを利用しようなど、やはりエレナと自分では格が違う。
ブレンダはそんなことを思いながら、とりあえずエレナに指定された通り、彼女の隣に座るのだった。




