招かれざる訪問者
馬車が見えていたのは調理場に来た子供だけではなかった。
今日は特にエレナが来ている。
だから絶対に中に入れることはできない。
そのため対応しようと裏口に止められた馬車の前で、孤児院の女性がすでに彼への対応を開始していた。
ただ、先に出て行ったものの彼女たちは立場が弱い。
普段対応するのも避けていたのだから、話をするのにも苦慮していて、相手が上位の人間であるため強く出る事もできない。
そのため相手のいいようにされている状態だった。
調理場を飛び出したエレナが裏口近くまで走っていくと、止まっている馬車と、彼らを敷地の中に入れまいとして、対応している女性の姿を見つけた。
その様子を遠くから見て、子どもたちが言っていたのはこれかと理解した。
随分と馴れ馴れしい様子で体に触れたりしており、明らかに女性は嫌なのを我慢している様子だ。
孤児院の女性や子供は、こうも周囲からひどい扱いを受けなければならないのか。
貴族からは平民だからと、平民からも孤児院の人間だから、貧乏で学がないと、彼らのせいではないことで下に見られ続けている。
これが市井の現実なのだと、エレナは孤児院に来て多くを知った。
そして今、目の前で起こっている事もそうだ。
バザーの時は、騎士が止めに入ったけれど自分は助けに入ることができなかった。
けれど今、ここにいるのは自分だけだし、あの時見ていることしかできなかった自分とは違う。
エレナは怒りを覚えたその感情のまま、声を張った。
「ちょっとあなた!」
エレナは走っていた勢いもあって、三角巾にエプロンを着けたまま、片手に持ったおたまを剣のように向け、足を止める。
先ほどまで大きい鍋のスープを混ぜていたおたまはまだ熱く、金属部分からは湯気が出ているのが見える。
それを向けられた男はその勢いに驚いて思わず後ずさった。
その隙をついて女性がエレナの方に駆け寄ってきたので、その女性を背にかばい、自分は彼におたまを向けたまま立ちはだかる。
「何をしているの!それが貴族のすることですか、みっともない」
相手に見覚えのあったエレナがそう言って相手を睨みつけると、男はその圧に押されて思わず後ずさった。
しかしその後ろにいる女性を指差して負けじと声を上げる。
「はっ!お前も貴族か。貴族なら分かるだろう?平民は貴族の言うことを聞いていればいいんだ」
突然来たきれいな服を着た女性、そして貴族がという言葉、それで男はエレナを貴族と判断してそう言った。
そして彼は相手が女一人ならなんとでもなると思っていた。
女性同士のかばい合いは美しいかもしれないが、所詮その背にかばっているのは平民だ。
何より貴族同士ならば、話が通じるに違いない。
彼はそう踏んだのだ。
しかし小者がどんなに騒いでもエレナが動じることはない。
守るべきは全ての国民と教わり育った王族のエレナからすれば、その言葉は国民に対する暴言に他ならない。
彼の言葉はエレナの感情を逆なでする結果となった。
「いいえ、貴族は平民を導くもの。彼らは貴族の奴隷ではないわ!」
エレナが反論すると、男はそれが予想外だったのか、さらに上からものを喋る。
「平民に序列を守るよう教えて何が悪い!」
「序列ね……」
今まで人と話していてここまで不愉快になったことがあっただろうか。
周りが気を使ってそうならないように配慮してくれていたとはいえ、貴族の中にこのような残念な人間が残っていることが嘆かわしい。
そして今のエレナは恐怖よりも怒りの方が大きく、さらにその怒りを圧に変えて冷たい声で話を続ける。
「ではあなたは、貴族の中にも細かい序列があることは理解しているかしら?」
エレナが王女然で彼に向かうと、その圧に彼は動揺する。
「あ、当たり前だろ!お前、人をバカにしてるのか?」
「そう」
静かにそう言うと、エレナは頭に付けていた大判のハンカチを外した。
それをはずすと、長い髪と隠れていた顔が明らかになる。
「ではこれで、改めてどう?貴族ならば、あなたには、私が誰かわかるわね?私と、あなたでは、どうかしら?」
しっかりと言葉を区切って話されたその内容、そして貴族ならば絶対に見知った、いや、覚えておかなければならない人物がそこにいた。
「は?え?まさか……」
怯んだ相手がそこにいたが、エレナが容赦する様子はない。
「あなたの私に対する態度は正しくて?」
「ほ、ほ……本物ですか?」
一国の王女がこんなところにいるはずがない。
しかし名乗りはしていないけれど、彼女の言葉は、間違いなく自分より立場が上だと言っている。
何より放たれている圧が重い。
本当ならばこんな小さい小娘、一人二人くらいなら平気で捕まえることができるのだが、彼女から放たれる圧が、近付くことを許さない。
「身分や序列を語りたいなら、勉強して出直してきなさい。そうね、あと貴族としても教養も一からやり直した方がいいわ。あなたみたいな者が貴族を名乗るなんて、貴族の恥だもの」
そして、貴族位の剥奪でもいいのではないかしらと小首を傾げる。
エレナがそう言ったタイミングでケインがエレナの元に到着した。
そしてケインは迷うことなく無言で剣を抜き彼に向ける。
音も立てずエレナの前に出たケインの剣先はエレナの構えるお玉よりはるか前、彼の喉元につきつけられている状態だ。
「ひっ……、いや……、あ、えっと……」
ようやく彼が声にしたものは言葉にもなっていない。
エレナの圧だけではなく、本物の剣を向けられた彼は動くこともできず、声を出すのも精一杯の状態で硬直している。
そして簡易的な服装をしているエレナはともかく、自分に剣を向けているのは間違いなく王宮に仕える騎士だと分かる制服だ。
自分に剣を向けている彼に遅れて、さらに他の騎士と思しき男性が彼女の横に立ってこちらを警戒している。
彼らが自分に剣を向け、警戒しているということは、目の前にいるのが本物の王女であるという証左だ。
エレナは男がそんなことを考えているとも知らず、さらに言葉を刺す。
「孤児院の者たちに手を出すのは許しません。下がりなさい」
「ひゃいぃ……」
最後エレナがそう言うと、情けない声を出し、男は待たせていた馬車に乗り込んだ。
ケインはそれでもエレナの前から動かず、馬車が一定の距離に離れるまで剣を収めることはないのだった。




