女性のご褒美
「あの、今日はせっかくあれだけのご用意をいただいたのに、途中で眠ってしまってごめんなさい」
マッサージから夕食に起こされるまで目を覚まさなかったエレナは、食事の席で申し訳なさそうに言った。
「気にしなくていいのよ。それよりゆっくり眠れたようでよかったわ」
「せっかくご褒美として用意していただいたのに……」
これでは本当にたださぼっただけだ。
家事もせず、勉強を休みにしてまで受けたマッサージなのに、しっかりと堪能するわけでもなく、ただ眠ってしまったのだ。
どう言い訳したらいいのか、エレナにはわからなかった。
「エレナ、マッサージはどうだった?」
「はい……、とても気持ちが良くて……、でもすぐに眠ってしまったのであまり覚えていないのです」
居たたまれない気持ちのエレナに対し、母親は満足そうにうなずいている。
「ふふふっ。それでいいのよ」
「どういうことですか?」
エレナが恐る恐る尋ねると、母親は小さく息をついてから穏やかな笑みを浮かべて言った。
「リラックスができて、人に磨いてもらってきれいになれるのよ。いいご褒美でしょう?」
「そうですが……」
「気持ちよくて、寝ているだけで美しくなれるなんて、女性からしたら素敵なことだと思わない?私は終わってからもマッサージの時に使った香油の香りがすると幸せな気持ちになれるわよ」
確かに目を覚ましてベッドから出た時、とても良い香りがした。
どこからしたものかわからなかったが、それは自分につけられた香油のものだったようだ。
「はい、起きてもまだ良い香りが残っていて、とても癒されました」
「そうでしょう。私は久々に気を張っていないエレナが見られて嬉しいわ!じゃあ、また一緒に受けましょう。エレナは嫌かしら?」
「そんなことは……」
確かに気持ち良かったが、そう何回も受けてよいものなのかは分からない。
それにまた途中で眠ってしまうのではないかという不安もあり、返事を躊躇ってしまう。
「あのね、最近のエレナは頑張りすぎて余裕がなくなってしまっているのよ。自分では気が付かないくらいに。でもね、それだと周りも気を使ってピリピリしてしまうの。今のエレナは少し休んで落ち着いているけれど、また前のような生活になったら同じようになってしまうんじゃないかしら?」
最近のエレナには余裕も隙もない。
余裕を作るまいとしているのか、常に忙しくしているため、非常に話しかけづらい空気を出している。
「どうなのでしょう?よくわからないわ」
「そうね。わかっていてそんなことをする子じゃないもの」
エレナが首を傾げていると、クリスが言った。
「私にはマッサージの内容はわからないけど、確かにお母様の言う通り、いつもより少し穏やかな雰囲気だよ。あと、今のエレナは朝より磨きのかかった女性っていう感じがする」
「本当?お兄様」
「本当だよ。いつにも増してかわいいエレナになってる」
クリスの言葉にエレナは目を輝かせた。
眠っていて何も見ていなかったので、どう変わったのか分からなかったけど、傍から見て良くなっていると分かるくらい変わっているというのは嬉しい。
「まあ!クリスはよくわかっているわね」
「本当のことを言ったまでですよ」
母親へにこやかにそう返すと、クリスは食事を再開する。
「エレナ。あまり疲れを溜め込んでいると、女性としての魅力が半減してしまうわよ。それだとせっかく頑張ってたくさんのことを見につけても、男性に振り向いてもらえなくなってしまうわ。だから時々、私と女性の魅力を磨きましょうね」
「はい!」
エレナは素直に返事をするとようやく食事に手を付けた。
会話に加わることのできなかった父親は、その様子を黙って食事をしながら見守っていたのだった。
「そうだわ、部屋にクリスを呼んでちょうだい」
食事を終えてから、王妃はクリスを部屋に呼ぶように言いつけた。
「エレナ様ではなく、クリス様でございますか?」
「そうよ」
「かしこまりました」
言いつけられた者がすぐにクリスのところに伝達すると、ほどなくしてクリスが王妃の部屋を訪ねてきた。
まるで呼ばれることが分かっていたかのような早さだったが、単に食事が終わってから就寝の準備を始めていなかっただけである。
王妃は早速クリスに椅子を勧めると、本題に入った。
「ねぇクリス、エレナは最近どうしているのかしら?」
「私に聞かれましても……」
クリスが知っているのも、エレナの護衛やそれとなく状況を教えてくれる侍女たちからの報告内容だけである。
「今日、二人でマッサージを受けたのだけれど、どうもエレナの体は同じ年齢の子よりも疲れているみたいなの。だから何かしてるんじゃないかって思って」
「お母様、それは直接エレナに聞いた方がよろしいのでは……?」
朝からずっと一緒にいたのになぜ聞かなかったのかとクリスは不思議そうに小首を傾げた。
「そう思ったんだけど、エレナったらすぐに寝てしまったのよ。疲れているみたいだから起こして聞くのは可哀そうだと思って」
「そうですか……。ですが、私は学校に行っておりますので、エレナとは朝と帰りの挨拶くらいしかできていませんし、あとはお母様も同席されている食事の時間くらいしか一緒にいないのです。それよりも、わざわざお呼びになったということは、エレナに何かあったのですか?」
食事の席ではなく、別に席を設けたという点をクリスは気にしていた。
「いえね、大したことはないのよ。ちょっと体の疲れ方や筋肉の付き方が年相応ではないと言われたものだから」
「そうでしたか。でもそれならすでに他のものからご報告が入っている通りだと思いますよ。先日の手荒れの件の通り、エレナはなぜか掃除、洗濯、調理に励んでいて、もう大半の作業をおそらく一人でこなせるようになっているでしょうし、深夜もたまに刺繍に励んでいるようです。特に洗濯などは水をくみ上げるところから行っているようですから、もしかしたらそれで筋肉がついたのかもしれません。あと、かなり前になりますが騎士団長からトレーニングメニューをもらったようで、当初は護衛に書かれている内容について聞いていたみたいですから、できる範囲で続けているということも……」
トレーニングを続けているという報告はクリスの元にも入っていない。
おそらく就寝後か起床直後に行っているのだろう。
そう推測されるが、それを伝えなければいけない理由は特にない。
それに、それを伝えてエレナに一日中監視が付けられるようなことになったら、それこそエレナの休まる時間がなくなってしまう。
「トレーニング、まさか一人で続けているのかしら?」
「エレナは目的に向かって真っすぐに進んでしまう子ですから、もしかしたらってことも考えられます」
「確かにそうよね」
二人は過去のエレナの行動を思い起こして仲良くため息をついた。
そして先に口を開いたのはクリスである。
「これも学校に通えなかった弊害ですから、あまり変に刺激すると前のようなことになりかねません。さらに今のエレナは外に出ても一人で暮らしていけるだけの能力をある程度身につけてしまった後です。もし閉じこもるようなことになったら長期戦を覚悟しなければいけないでしょうし、今度は街まで逃げて市井の民にまぎれるくらいのことはやりかねません」
クリスは念のため釘をさしておく。
なぜかエレナは家事全般をこなせるようになってしまった。
市井の女性がどの程度仕事ができるのか分からないし、勉強は学校に通っている貴族よりできると思われるが、比較する要素がない。
ただ、この二つが揃った人材はどこへ行っても重宝されるだろう。
「そうよね……。クリスの意見は大変参考になったわ。ありがとう」
「いいえ。それでは私は部屋に戻ります。おやすみなさい」
クリスはそう言って部屋を出た。
自室へ移動しながら、クリスは最近の自分の行動を振り返っていた。
「僕は学校に行っていることに甘えていたのかもしれないな」
そして、これからは自分もエレナに負けないように、こっそり筋力トレーニングをしようと決心するのだった。




