曲がらない者たち
「経過観察か。それはいい案だね。確かにエレナを孤児院に通わせる口実になると思ってはいたけど、この件を利用すれば他の孤児院を黙らせる事もできるから、誰も損をしなくていいんじゃないかなって考えだったんだ。確かに公的事業なら経過観察は必要になるから、文官や騎士を派遣してもいいんだけど、彼らはあまりよく思わないかもしれない時にしていたんだ。でもエレナが率先して行くというなら、彼らも足を運びやすいだろうし、エレナ本人が息抜きをするためのいい口実にもなるね。それならこの先も丸く収まりそうだよ」
エレナと護衛たちの話を耳にしたクリスは、口元に手を添えながら上目遣いで笑った。
報告を持ってきた執事も報告をしながら、確かにある程度想定外の方向に状況が転んでも問題なさそうだとクリスに同意する。
そしてつい、発案者について本音を漏らした。
「あの者は騎士にしておくには惜しいですな」
騎士業を辞めて文官としてその知恵を全力で国のために使ってもらった方が良いのではと考えるのは彼だけではない。
他からもそういう話がある。
実際騎士学校からも教官としてという声があり、そのお伺いも時々あるくらいだ。
つまり誰が見ても騎士にしておくのは惜しい存在ということで、それを知らないのは本人だけという状況だ。
「そうだね。でも本人の希望しないところに配属して逃げられちゃうよりいいかな。彼は以前、ケインと働いたら面白そうって言っていたんだよね?」
「確かそのように伺っております。先日エレナ様とも庭でそのような話をされていたようなので、その考えに変化はないものと思われます」
エレナは自分の護衛で申し訳ないと彼に対して思っているらしい。
せめてクリスや両親の護衛ならば立場も上がるのだろうが、彼はここで収まっていい人間ではないと、さすがのエレナも感じていたようで、文官になりその知恵を活かしたいのなら、自分から進言することもできると提案したらしいが、報告によれば彼はそれを拒否したのだという。
「それに彼はどうも出世欲が低いようで……」
彼が思い出したように言うと、クリスは少し考えて入団したての彼に対する騎士団長の報告を思い返してからうなずいた。
「そういえば、そうだったね。騎士団で仕事をしていれば少しは欲が出るかと思ったんだけどそれも感じられない。だから安心してエレナに付けられるんだけど……」
礼儀をわきまえている上に出世欲がないのでエレナに媚びることをしない。
だからこそ、エレナに欲なく案を提供してくれているのだろう。
そして元をたどれば、彼はそこそこ安定した生活を送ることができればいいので、住まいや職を失うことがないのなら、門番でも見回りでもという話をしていたはずだ。
特定の相手ができたら少しは変わるかもしれないが、彼の性格を考えると、それでも生活費が少しかかるようになったから、その分を稼げたらくらいの話しか出ないだろう。
そしてエレナの護衛騎士の給料は騎士団の中でも高い。
新人だから、他の護衛騎士たちより少し低いかもしれないが、門番や見回りだけしか任されていない騎士たちと比較すればその差は歴然だ。
「でもアイデアを出してくれるのだから、何かを尋ねれば協力はしてくれるという事だよね。今はエレナの助けになってくれているようだし、そのまま様子を見るのがいいのかな。余計なことをして萎縮されても困ってしまうし、それで意見を引っ込められても損失になる。それに今の時点でエレナの考えを昇華して形にしてくれているし、エレナはエレナで新しい価値を生むことのできる子だから、それをよりよい形にするための相談役になってもらうのも悪くはないと思っているんだ」
ケインがエレナの護衛騎士でいる間、彼にはエレナの相談役兼護衛騎士になってもらえばいい。
エレナの発案をうまく昇華してもらえれば、それが国の発展につながる可能性が高まる。
相手に肩入れしやすく、やると決めたら猛進してしまうところは難点だが、エレナには流行を生む力も人に寄り添う力もある。
それは状況を分析し瞬時に判断することに長けたクリスとは性質の違うものなのだ。
「確かにエレナ様はご自身で生み出す者の価値をあまり理解していない様子ですね。貴族社会に染まりきっていない分、その意見も発想もユニークなところがございます。市井から取り入れようという柔軟さもございますし……」
彼がエレナをそう褒めると、クリスは苦笑いを浮かべた。
「残念ながら重鎮の貴族たちはエレナにあまり関心がないから気が付いていないと思うな。エレナのそういう能力に気が付いているのは、君みたいな観察眼を持つ者くらいだよ。だから勘違いした一部の騎士がエレナに色々教えてあげようと言って気さくに話しかけてくるんだ」
だいぶ落ち着いたけどねとクリスがため息をつきながらそう付け加えると、執事は少し考えたから言った。
「でも例の皇太子には一発で見抜かれたのですよね?」
彼の言葉にクリスは少し迷いながら言った。
「あまり褒めたくはないけどね、彼はやっぱり優秀なんだよ。油断したら私が手玉に取られるし、今なんてまだそうしないであげているくらいのひよっこ扱いだからね」
「クリス様がですか」
「私の言うことにイエスとしか答えない貴族も多いけど、彼は、人の本質を見抜く力が強い気がするな。観察していたから気が付くというものではなく、もっと直感的なもので」
それは色々な意味で断れないの間違いだろうと執事は思ったが、確かにそんなクリスに惑わされない人間もいる。
その一人が彼の国の皇太子で、エレナの圧にもクリスの微笑みにも動じない。
ちなみにケインもそのタイプだ。
「しかし、ケイン様にエレナ様が手に負えるのでしょうか?」
皇太子とケインを比較すると、どうしてもケインが見劣りする。
それもあって表面的には皇太子の方がエレナを上手く扱えるように見えるのだ。
「暴走したエレナは、おそらくケインじゃないと抑えられないと思うよ」
何かあった時、おそらく迷うことなくエレナのために最善と思われる行動を取れるのはケインしかいない。
クリスはそう考えている。
そのためエレナはケインの欠点になりかねないが、エレナが国家の欠点になることを考えたら、それは些細なことだ。
あの時、本気で暴走したエレナは騎士団長ですら止められなかったし、肉親である自分たちでも説得できなかった。
そして今も、エレナに一番の忠誠を誓っているのはケインで、エレナがケインに一番の信頼を寄せているのは間違いない。
側にいるのが空気のように当たり前になりつつあるが、この二人の関係が壊れない限り、同じようなことがあってもエレナはケインにだけは耳を貸すだろう。
「ケイン様にそんな力がありますか?」
「ケインが私たち兄妹の友人でいられるのが何よりの証拠かな。確かにケインは私の言うことに従ってくれる。大半はそうだけど意見もちゃんと言ってくれている。日和見の貴族よりきちんと自分を持ってるよ。それに見た目以上に粘り強くて頑固なんだ。だからエレナが折れるまで向かい合ってくれると思う」
ケインとクリスたちが幼馴染みであることも、例の事件の事もベテランであるこの執事は知っている。
ただ、彼がケインと関わる機会はあまりなかった。
だから一度エレナをすくった事があると言われても、それは単なる偶然なのではないかと考えているのだ。
「頑固……、それは分かる気がいたします。何かを曲げずに諦めず、頑なに守っているようにお見受けいたしますので」
「でも最近、ケインはそれを少し見失いかけてる気がして心配なんだけどね」
エレナはどうにか次へ次へと小さな目標を見つけて前に進んでいる。
けれどケインは大きな目標一つに向かって努力し進んできた。
目標がほぼ達成されてしまっている現状で、最近のケインが何を考えているのか見えない。
それがクリスの感想で、正直サポート役のいるエレナより、ケインの方が心配だ。
でもあまり特定の人物にばかり目をかける発言をするわけにはいかない。
だからクリスはそれ以上の考えは口に出さなかった。
そして、そう言えば久しく友人としてのケインと話をしていないなと、クリスはそんなことを思うのだった。




