教材の見直し
護衛騎士の見解を聞いたエレナは、クリスと話をする前に確認しておきたいと彼に問いかけた。
「ねぇ、一つ確認なのだけれど、あなたの考えが正しいと仮定すると、お兄様は私のために動いてくれているということでいいの?私が孤児院に通う口実を作るために」
自分の希望を叶えるためにクリスに負担をかけるのは不本意だ。
動き始めているのなら止めることはできないだろうが、まだ計画段階であるならば、自分のためだけにそのようなことを始めるのならば、期限内に何とかするからその必要はないと伝えようとエレナは考えた。
けれど彼はそれだけではないから心配ないのではないかと言う。
「そうですね。エレナ様のためというのは大きいと思います。ですが、成功すればクリス様の評価も上がりますから、エレナ様がこの件を、ご自身のためだけに手を回していると気に病む必要はないかと思います。ただ、本当に私の考えが正しく、お二人の今後を考えるなら、逆に何が何でも達成することが必須となります。きっとエレナ様なら最後までやり遂げられるとクリス様はお考えになったのでしょう」
エレナ様を信じての行動だと彼が強調すると、エレナは真摯にその言葉を受け止めた。
「そうね。失敗したら表に立ってくれているお兄様の顔に泥を塗りかねないわ。急に報告を雑談で済ませてはだめと言い出したのはそういうことね」
これからは、自分のやりたいこと、孤児院訪問のために、クリスが矢面に立つことになる。
けれど、自分が孤児院の発展に貢献できれば、クリスの評価を上げることができるという。
エレナのやりたいことがクリスの評価を上げるという一石二鳥の案だが、共倒れの危険性もある。
自分の失敗がクリスの評価を下げることに繋がるということでもあるのだから、エレナがここで失敗することはできない。
いきなり正念場だ。
「エレナ様、そこまで申し上げておいて何ですし、気合いを入れたくなるのはわかりますが、今まで通りでいきましょう。変に力を入れていたら、子どもたちが何かあったのか心配してしまいます。子どもはそういう変化に敏感ですから」
少しピリピリした空気を出し始めたエレナに、慌てて彼は言葉を添えた。
大人よりも子供の方が感覚的なものには敏感だ。
気を張り詰めて圧を出したエレナが孤児院に行ったら、慣れ親しんだ子どもたちでも足がすくんでしまうだろう。
「それもそうね。私が焦ってはいけないわ。せっかく成果が出てきたのだもの。ペースを変えることなく、今までのやり方でいきましょう。それに他の孤児院の子どもたちに私の勉強方法を採用しても、あの子たちと同じように進められるとは限らないもの。他の孤児院にはあまり行ったことがないけれど、皆が同じペースで進められるのは、わからないところを教えあえる人達、騎士を輩出するような孤児院という、良い条件の中だからできていることでしょう。それに、あの孤児院が騎士を輩出することを妬む声もあると聞いているわ。だから他の皆が同じようにできるなんて、考えてはいけないと思うの」
「仰る通りかと……」
行動範囲の狭いエレナだが、持ち合わせている情報からの判断は的確で鋭いところがある。
護衛たちが口にも表情にも出さずエレナの意見に感心していると、エレナはふと思い出したように小首を傾げた。
「でも、そうなると、教材は、あれで良かったのかしら?」
「教材……、刺繍のでしょうか」
「ええ。教える孤児院の数が増えたら、作るのが大変だと思うの。でも、壊れにくいもののほうがいいはずだし……」
エレナが作った数字の刺繍は数字という文字の他に、その数字の数を示す絵柄をその数の分だけ刺繍している。
イニシャルの表は、表を区切る線と、全てのイニシャルを刺繍している。
その二つに共通しているのは、多少は慣れた位置からでも見える大きさの刺繍となっている点だ。
そしてそれだけの大きさのものを一セット作るのにかなりの労力が必要で、それはエレナが身をもって経験したことでもある。
エレナには孤児院への思いも時間もあったし苦痛ではない作業だったが、これを見知らぬ孤児院のために大量生産しなければならないとなれば話は別だ。
正直その作業時間があるのなら、孤児院への訪問の回数を増やしたい。
エレナが考えを整理するためあれこれ口に出していると、先ほど意見を出したケインの友人が再びエレナに提案する。
「それなら、院長の名札の案を数字や一覧表に取り入れて使わせてもらうのはいかがでしょう。もしかしたら今の状況もお話する必要が出てくるかもしれませんが、ご協力いただけると思います。材料を渡せば下準備までは各孤児院にお願いできるでしょうし、本当に勉強したい、させたいと考えている孤児院なら、拒否しないと思います。その準備をすれば教えてもらえるのですから」
勉強を教わるための準備を自分たちで行い、その環境が整ったところから講師を派遣する。
そうすれば自然と派遣時期もずれるし、講師の数もその分少なくて済む。
それと同時に孤児院のやる気も計ることができる。
早く授業を開始してほしいところは完成を急ぐだろうし、文句だけ言っているところはいつまでも作業が進まない。
けれど孤児院全てに同じ条件を出しているのだから、今までのように特定の孤児院だけが目を付けられるようなことはなくなるはずだ。
そして最後に彼はこう付け加えた。
「それにあの孤児院は自ら提案して準備すると申し出てきました。そのくらい、彼らにやる気があるということです。あの孤児院が選ばれたのはそのやる気を評価された、もし他の孤児院が何か文句を付けてくるのなら、そのくらい言ってしまってもいいでしょう。それに孤児院側の下準備に関しては期限をつけて依頼するのではなく、できる時にやってもらうようにすれば負担は最小限のはずです。何より、エレナ様が一人で抱えるものではないと思います。国家事業になるならば、例え同じものが必要になったとしても、作業だってエレナ様がするのではなく、国が業者に依頼をするべきものです。それにエレナ様はクリス様にこれからこの件をご相談されるのでしょう?」
「ええ、そうだけれど……」
彼の案は非常に良いが、まだ試した訳ではないし、やってみないと分からない事も多く、上手く行くとも限らない。
それにまだ、エレナの中できちんと考えがまとまっているわけではない。
けれどクリスは報告書を出してほしいと言っていたし、作ったことはないけれど、せめて企画として書面で出せるくらいまで内容を精査しておいた方が良いのではないかとエレナが考えていると、護衛の一人がエレナの考えを見抜いてあっさりと言った。
「進める前にご相談されていいと思いますよ」
「でも、それではお兄様の負担にならないかしら?」
エレナが周囲を見回すと護衛たちは全員そんなことはないと首を動かす。
「クリス様はエレナ様からの相談なら喜んで乗ってくれると思います。妹に相談されたら兄としては頼られて嬉しいと感じるものですよ」
一人がエレナにそう言うと、その言葉を聞いて、思わず元クリスの護衛だった一人がつぶやいた。
「むしろ私たちに先に相談されたことにショックを受けられる気が……」
その声がエレナに届くことはなかったが、周囲の護衛たちはその言葉を聞いて、この先のことはあまり考えないようにしようと小さく息をついたのだった。




