洗濯見学
その後、授業を終えるごとに、拭き掃除、モップがけ、ハタキがけなどを教えてもらったエレナは、自分の部屋をひと通りきれいにできるようになった。
回数を重ねるごとに手際も良くなり、道具の使い分けもしっかりとしている。
「お掃除に関して、私から教えられることはもうございません。それだけできれば充分でございます」
「そう、良かったわ!あとは刺繍と同じで繰り返して、忘れないようにすればいいのよね?」
「そうでこざいますね……。エレナ様ができなくても問題はございませんが……」
後ろの言葉は聞こえるか聞こえないかわからない程度の小さな声でつぶやいた。
家庭教師としては掃除の練習が終わって、普通の授業に戻れるほうがありがたい。
忘れてしまったから教えてと言われるよりは継続してもらったほうがいいだろう。
「次はお洗濯よね。洗濯場の見学もできるかしら?」
振り返ってエレナが侍女を見つめながら言うと、押し負けた彼女は言った。
「……かしこまりました。手配いたします」
数日後。
侍女は洗濯場への見学を取りつけていた。
作業は外で行うため、晴天の日でなければならない。
天候によって変えられない公務が多いエレナだが、晴れの日が続いたため、幸いすぐに見学の日を迎えることができた。
その日も、掃除のときと同様に、侍女に連れられて洗い場へと足を運んだ。
「まあ!大きなたらいだわ!これならすぐに水を取り換えなくてもよさそうね」
水回りに用意された大きなたらいが最初に目に入ったエレナの洗い場での第一声は予想外のものだった。
その反応に、案内をするために出てきた洗濯場のリーダーが思わず言った。
「エレナ様、洗濯などしたことございませんよね?」
「ええ。お洋服やシーツは洗ったことがないわ」
そこに侍女が補足をする。
「エレナ様はこの前に最低限のお掃除を経験しておいでです」
洗濯場にも、掃除の見学に来たエレナが自室に掃除道具を一式そろえているという噂は届いていた。
侍女の言葉はそれが真実であると言っているようなものである。
まさか洗濯の道具まで一式部屋に持ち込んだりはしないだろうなどと、悩んでいるところに早速エレナは質問を始めた。
「入ったばかりの人が最初にするお仕事って何かしら?」
「あ、はい……それはやはり、水洗いでございますね」
洗濯場のリーダーは我に返ってすぐに返事をした。
「水洗い?」
「はい。洗い物の大半は洗剤を使わなくても落とせますし、洗剤は種類を間違えますと、服の色が落ちてしまったりしますから、すべての洗い物を最初に水で洗うのです。ですからそれが最初に行われることになります。……エレナ様、お掃除もお勉強されたようですが、雑巾などは洗ったりされましたか?」
「ええ、使った雑巾はバケツの水で洗ったわ」
雑巾やモップのために洗剤を使うことはほとんどないが、洗いものをしたことのある人に説明をするのなら少し話しやすそうだとリーダーは続けた。
「基本は同じでございます。洗い場に出されるものは大きかったり、雑巾と同じように強い力でこすってしまいますと、布が破れたり傷んでしまいますから、お勉強されるとすればそのあたりからでしょうか。私たちは布によって洗い方を変えております。絞れば確かに水分はなくなり早く乾きますが、布にシワなどが入ってしまいますから、アロンのかけられないドレスなどはそのように扱うことはできません」
「そう……ちなみにこれだったらどうしたらいいのかしら?」
たらいの中に浮いている布を指さしてエレナが言った。
ここでやり方を説明したら、腕を突っ込んで一緒に仕事を始めそうな勢いである。
エレナの様子を察知して、他の人たちが素早くエレナの指差している布を自分の手元に手繰り寄せて回収し、水を新しいものに取り換える。
「それにしても冷たい水で洗うのね」
その様子に少しがっかりしながら、取りかえられた水に指を入れてエレナは言った。
「これも汚れの種類によって異なりまして、お湯を足してしまうと落ちない汚れもあるのでございます。逆にお湯でなければ落としにくいものもありますが……」
「では、みんなは汚れや洗い物の種類のよってそれを全部使い分けているの?」
「そうですね……。あまり意識はして行っていませんでしたが、言われてみれば、そのようにしております」
「私にも覚えられるかしら?」
「覚えるのでございますか?」
「ええ、今日は見学だけれど、できるようになりたいもの……」
仕事に来ている人よりも真剣に覚えようとしている様子に、リーダーは困惑した。
さっきのたらいの布の時にも感じたことだが、やはり作業をしたいと思っているのだ。
「エレナ様はお洗濯のお仕事をなさるわけではありませんので、そこまでなさる必要はありませんが、もしお勉強なさるということでしたら、そのような知識をまとめた書物もございますから、図書館などでお読みいただいてもよろしいと思います」
「図書館にあるのなら、そちらで調べてみるわ。他にはないのかしら?お洗濯を素早くできるようになる方法とか」
仕事ではないのに素早くというのはどういうことなのだろうと頭を悩ませながらリーダーは答えた。
「私達は冷たい水に長時間手を付けております。これは夏でも冬でも変わりません。本当にそのようなお仕事をしなければならないということであれば、水に慣れておくというのも必要ではないでしょうか」
「確かにそうね。やってみるわ」
あまりにも前向きな返事に再び動揺しながらもリーダーは取り繕った。
「ですがエレナ様は私達と違って手が荒れるようなことはなさらないほうがよろしいでしょう。来賓の方と握手をされたりするのに手があかぎれだらけというわけには……」
「そうね……。ほどほどにしておくわ」
「そうなさってくださいませ」
名残惜しそうにしているエレナを連れて水場から干場へ移動すると、再び洗濯の流れの説明に戻った。
なかなか水場から離れたがらないエレナは、今日はあくまで見学ですと侍女にくぎを刺されたのである。
「お洗濯のあとは乾かすのよね。よく庭のロープに洗ったものがかかっていて風になびいているのを見かけるわ」
「そうですね。太陽に当てて干したほうがいいものはそのように乾かします」
「太陽に当ててはいけないものもあるの?」
布団などは太陽に当てるとふっくらして寝心地が良くなる。
服もそうだと思っていたがどうやら違うらしい。
「太陽に当てると色が変わってしまうような布もございますから、そのようなものは日の当たらない風通しの良いところに干すのです」
「まあ。洗い方だけではなくて、乾かし方にも色々あるのね」
日向の干場しか知らないエレナには新しい発見だったようである。
「その後、シワを伸ばすためのアイロンがけをして、必要に応じて畳みます。ものによっては設置まで行いますが、洗い物を持ち主にお届けするまでが基本、我々のお仕事でございます」
「お洗濯って奥が深いのね」
一通り話を聞いて感心したようにエレナはつぶやいた。
「はじめから全てを覚えているものはおりません。仕事をしながら覚えていくのです」
だから仕事をしている人より熱心に勉強しなくていいと続けようとしたところで、先にエレナが口を開いた。
「あの、すごく個人的な質問なのだけれどいいかしら?」
「何でございましょう?」
個人的というので自身のことを聞かれるのかと身構えたがそうではなかった。
「刺繍のついている布は何度も洗えるのかしら?」
「刺繍でございますか?」
「ええ」
刺繍の付いている布を何度もというほど洗うことはそんなにない。
カーペットやカバーなどはせいぜい年に数回、常に持ち歩くハンカチですら、耐久性を確認しなければならないほど洗うことはない。
何年も経ってしまえば布の方がダメになり処分することが多いのだ。
「刺繍をされている布によりますが、どのようなものかおわかりですか?」
「大判のハンカチとか、えっと、今、持っている布なのだけれど……」
そう言って途中まで刺繍をしている布を見せた。
「そうでございますね。こちらであれば洗っても問題ありませんが……」
「なにか気になることがあるの?」
カラフルな色の刺繍をじっと見つめてリーダーは言った。
「布が傷むよりも先に刺繍の糸の色が落ちたり、白い部分に移ったりするかもしれません。色移りがなかったとしても、糸の色が落ちてしまう可能性がございますね」
洗濯回数の耐久性よりもおそらく色の濃い糸から白い部分への色移りで使えなくなる方が早いだろうと判断された。
一度目の洗濯で移らなければ問題はないがそれにはそれなりの洗濯技術が必要である。
「そう…‥。色が落ちない糸とか、工夫した洗い方ってないかしら?」
「ないわけではありませんが、きれいに洗濯をするには技術が必要です。おそらく色移りした部分の色を抜くということになるかと思います。そもそもこういったものは使えば使った分だけ劣化してしまうものですから、回数を洗うことはあまり考えて作られておりません」
あからさまに落ち込んでいくエレナにしばらく考えてからリーダーは付け加えた。
「……ですが、同系色の糸を使えば、色が変化しても目立ちませんよ。ハンカチにも白いハンカチに白い糸で刺繍されているものがございますでしょう。ああいったものは洗剤で色が落ちても全体が白いので色が変わったことがわかりにくくて重宝いたします。あとは使用する糸を一度水につけてみれば、色が落ちるかどうかわかります。水の色が変わらなくなるまで糸を洗って、その糸をしっかり乾かして使えば、ハンカチへの色移りはある程度防げます。気になるようでしたら洗った後、白い布で濡れた糸を拭けば色が移るかどうかの確認は可能です」
「さすがだわ!ありがとう」
役に立つアドバイスをも経ったエレナは嬉しそうにお礼を言った。
洗い場から室内で行われているアイロンがけを邪魔にならないよう遠巻きに見学して、その日の見学は無事に終了したのだった。




