評判
その日、結局エレナはケインに声をかけることなく帰ることにした。
泣きはらした目でケインの前に出るわけにはいかない。
幸い、彼の耳にエレナが学校見学をしているという情報は届いていないようで、ケインは校門で友人と馬車を待っていて、二人が来ていることを知らないらしい。
ケインなら、その情報を耳にした途端、二人を探しに校内へと戻るだろうが、そう言った様子が見られないというのがその証拠である。
二人は声をかけるのを止めて裏口の門に馬車を回してもらい、そのまま帰路についた。
ケインの言葉を聞いた時は泣くほど大きなショックを受けたエレナだったが、馬車での移動中にその思いはすべて心の奥底に沈めて、その後は何もなかったかのように振る舞っていた。
何度も心配そうにクリスが声をかけるが、エレナは大丈夫だとしか言わない。
それからのエレナは自分からその時のことに触れることは一切なくなったのだった。
エレナの学校見学が終わった翌日、校内はエレナの話で持ちきりになっていた。
偶然にもエレナを見た生徒たちは、一日たっても興奮が収まらない様子である。
「クリス様、エレナ様がお見えになることをなぜ黙っていたのですか?」
教室に着いてからその話を耳にしたケインが早速クリスに確認した。
昨日、クリスが放課後、校長に呼ばれて教室を出てから別行動となったが、そのような事情があるとは思ってもみなかったのだ。
「エレナがね、皆の普通に学校生活を送っている様子を見たいって言うから。ケインにも普通の生活をしていてほしかったんだ」
「クリス様と一緒に下校しない時点でいつも通りではありません……」
それに自分も校内をエレナと歩いてみたかった、という言葉をケインは呑み込んだ。
エレナが学校に来てクリスやケインと楽しく過ごしたかったのと同じで、ケインもエレナと学校で過ごしてみたいと思っていた……ということに、ケインはこの時初めて気がついた。
「それに、ケインに言ったら、間違いなく一緒に案内するってついてきたでしょ?」
「もちろんです」
クリスの質問にケインは即答した。
クリスはそんなケインの様子に苦笑いを浮かべて、話を続けた。
「でも、それはちょっと難しいんだよ。ケインとエレナが仲良くってのはどう思う?それを校内に知らしめることになっちゃうんだ。やっぱり頼めないよね。エレナがここに入学して学生になってからだったらよかったけど、エレナはここに通うことができなくなってしまったんだ。そもそも、そういう噂をよく思わない重鎮がエレナを学校に通わせないって進言してこうなったんだし。私は兄だから並んでいても、手を取って歩いていても問題ない。その違いかな」
ケインはここでも立場の違いを疎ましく思った。
クリスが悪いわけではない。
どんなにクリスやエレナと仲が良くても、こういう時に身分の差というものが大きな障害になると痛感しただけである。
おっとりしているが、そういう面をきちんと理解して、一番的確な判断をし、行動できているのはクリスなのだ。
「そうですね……」
少し冷静になったケインも学校ではそれ以上クリスにこの件を問うことはしなかった。
校内の噂によると、エレナは兄の後ろにくっついて歩くかわいい妹として映ったようだ。
兄の後ろに隠れて、時折肩越しに顔を出す様子がかわいらしかったらしい。
「あの、エレナ様はそのような性格でしたか……?」
普段のエレナからは想像もつかないような噂に、状況を見ていないケインは困惑していた。
クリスを引っ張って歩いているの間違いではないのかとすら思ったほどだ。
その噂はどちらかと言えば幼いころのクリスを思い起こさせる。
「エレナは相変わらずだよ?何も変わらない」
「そう……ですか……」
「どうしたの?」
「いえ、噂のエレナ様があまりにもおとなしく引っ込み思案な深窓の令嬢のように言われているものですから……」
倉庫の一件からそんなに時は経っていない。
ケインとエレナは挨拶をする程度に顔を合わせているが、ケインからすると、以前と大きく変わったようには見えなかった。
自分が最後に会った時から学校に来るまでの短い時間に何かあったのではないかと心配になる。
「うん、なんかそうなっちゃったみたいだね。確かに学校では腕にしがみついてばっかりだったけど、一応公の場だからおとなしくしていただけかな」
クリスは少し言葉を濁した。
実際、人のいなかったホールではくるくる回ってはしゃいでいたのである。
人のいないところではおとなしくしていなかったが、ここでは生徒の耳に入る恐れがあるためそれを口には出さなかった。
それに自分の背中に隠れていた理由が、エレナがケインを驚かせたかったからなどとはさすがに言いにくい。
ここで理由を伝えれば、おそらくケインは納得しただろうが、そもそもクリスは学校内の人が見ているところでエレナをケインに近づけるつもりはなかった。
クリスがケインに今回の件を伝えなかったのは、エレナが内緒にしてほしいと言ったからだけではないのだ。
「ああ、なるほど。そういうことでしたか」
エレナに何かあったわけではないのならそれでいいと、ケインは一応それで納得することにした。
この日はいつも通り、二人は同じ馬車で下校していた。
馬車が動き出したところでクリスはケインに学校での話をしはじめた。
「実は校内でケインを見かけて、声をかけようとしたんだけど、そういう状況じゃないところに出くわしちゃったんだ」
「そうですか……」
ケインはその遠回しな言い方を聞いて、先日の女子生徒に呼び止められた場面を思い出した。
いつもなら呼び出しなどがあって、そこに来てほしいと言われるのだが、基本的に女子生徒と二人になるような場所にはついていかないと決めている。
親からもエレナの側にいたいのなら他の女子生徒と噂になるようなことはしないようにときつく言われているのだ。
だから、呼び出されたらその度に、その場で行かないと断っていたのである。
そこにしびれを切らした女学生が公開告白に至ったのだ。
人の多い中で堂々と交際を申し込んできたのだから、さぞ目立っていたことだろう。
「それでちょっと気まずくなっちゃって、そのまま帰ってしまったんだよ。本当は一緒に帰っても良かったんだけど……」
「申し訳ありません」
「ケインが謝ることじゃないよ」
あの現場をエレナに目撃されたと言われてケインは何と言っていいか分からなかった。
「エレナにはね、ケインは女子生徒に人気があるから、交際を申し込んでくるような人もいるんだって話をしておいた。そもそも、ケインはエレナのものではないし、エレナもそこは分かっていたから、すぐに納得したよ。エレナからすれば衝撃的な出来事だったみたいで、ちょっと不安定になっちゃったのは確かだよ。でも帰る間に落ち着いたし、そのくらいだから大丈夫」
これから顔を合わせるかもしれないと気まずそうにしているケインにクリスは言った。
「だから、いつも通り、見られていたことも知らなかったってことにして振る舞っていれば問題ないよ」
「わかりました」
二人はそんな話をしていたが、その日、ケインの前にエレナが迎えに出ることはないのだった。




