王の盾
人払いされ、王妃とブレンダだけが残ったこの部屋の空気は、とても和やかなお茶会というものではなくなった。
目の前にはクリスに似た頬笑みを浮かべてブレンダを見ている王妃が座っている。
王妃はブレンダがこの状況でどう動くのかを見極めようとしているようだ。
さすがのブレンダも、この状態で何もしゃべらないわけにはいかなくなった。
「それで、人払いまでしてのお話というのは……」
ブレンダがそう切り出すと、王妃はにっこりと笑って言った。
「あのね、王妃っていうのは王の一番の盾なのよ」
「王妃が王の盾……突然何の話でしょうか……?」
緊張した声の感じからしても明らかにお茶会の会話ではない。
さすがに首を傾げているブレンダを見ながら王妃は続けた。
「あのね、確かにあなたはクリスの近衛騎士なのだから、今のままでも充分クリスを守ってくれると思っているわ」
「ありがとうございます」
自分の能力を認められたという部分に関してブレンダが反射的に返事をすると、王妃は頬に手を当ててため息をついた。
「けれどね、王妃は常に近衛騎士より王の近くにいられる立場でもあるの。裏を返せば、王妃を押しのけて王を近くで守れる者はいないとも言えるのよ」
「言われてみればそうですが、なぜそのような話を?」
王妃の言いたいことは理解できる。
だが、次期王妃になるつもりのないブレンダからは、この話がどこに向かうのか見えていなかった。
自分が王の盾になる時は邪魔をするなということなのか、不測の事態があっても迷わず王を、もしくは王となったクリスを守れということなのか。
ブレンダが続きを待っていると、王妃は唐突に質問してきた。
「ねぇ、あなたはクリスに自分を守ってもらいたいと思う?」
「いえ、あまり……。そんなことは考えたこともありません。むしろ私は近衛騎士としてクリス様をお守りする立場です。護衛対象であるクリス様に守られるのは騎士としてはちょっと……」
「そう。それを聞いて安心したわ」
ブレンダの答えに満足した王妃はクスクス笑ってそう言った。
一方のブレンダは当たり前のことを言っただけなのにと、やはり首を傾げることしかできない。
「安心ですか?」
「ええ。だって、お茶会に参加していた候補者は皆、クリスが王子様として自分を守ってくれる、守られるのが当たり前という子ばかりだったのだもの。たぶん夜会でエレナをエスコートしているのを見て、自分も同じように扱われるとでも思っているのでしょうね」
確かにエレナを伴っているクリスは正に王子様である。
それはエレナが隣にいるからであって、あの役割を他のご令嬢ができるとは思えない。
そもそも普通のご令嬢ならばクリスの隣に立っただけで霞んでしまうだろうし、クリスが一人の時はそう思って敬遠していたはずだ。
それを変えたのはエレナだが、それはエレナがクリスと並んでも劣ることのない美しさを持ち、もしかしたらクリスよりもはっきりとわかるような威厳を放っているからこそである。
だがエレナはとても気さくで話しやすいご令嬢だ。
だからエレナと話ができるようになるにつれ、自分でもクリスの隣に立てるのではないかと思うようになったのだろう。
その過程はクリスの護衛として近くにいたのでよくわかる。
「確かに、今まで遠巻きに見ていたご令嬢たちが、エレナ様とご一緒されているクリス様を見て少し変わったように思います。クリス様お一人ですと王妃様に似たその麗しさが際立って近寄りがたかったのでしょうが、気さくに話をされるエレナ様がお隣にいらっしゃるようになって、距離を縮められたように思います。そもそもクリス様とご令嬢がお二人で話をするような機会はなかったように思いますが……」
ブレンダが思い返して率直な感想を述べると、王妃は頬に手を当てて再びため息をついた。
「そうね。クリスもあまり彼女たちの相手をしないし、エレナのエスコートしかしないものだから仕方がないのかもしれないのだけれどね」
「クリス様はエレナ様の王子様ですから。しかしそれは特別なものかと思います。さすがに今回候補になられたご令嬢方もご自身の立場はわきまえていらっしゃるのではないですか?王の盾の件は話せば理解できる方々かと……」
身辺調査を繰り返して選ばれたご令嬢方なのだ。
皆、クリスには劣るものの身目麗しく、頭のいい女性たちだ。
今の王妃の話が理解できないほど頭の足りない者ならば、そもそもお茶会の席まで残っていないだろう。
「彼女たちも最低限、自分を守る術は持っているみたいだけれど、それだけでクリスの横に立たせることはできないわ。王の横に並ぶというのはそういうことなの。社交界で女同士の戦いだけを勝ち抜いていればいいというものではないのよ。残念だけど彼女たちには王の盾となる度胸が足りない。おそらくそこまで兼ね備えているのはあなただけだわ」
最後ににっこりと笑みを浮かべて王妃は核心を述べた。
王妃からすれば、クリスの相手としての能力はブレンダが一番高いと判断されていた。
だが、王妃からすればきちんと話をしていないから、どのような人物か分からないに等しい。
けれどもエレナとは良好な関係を築いているし、クリスに対しても敬遠したり引いたりすることはない。
だからブレンダはお茶会に参加しなくてもずっと最有力候補として名前が残っていた。
ようやく自分の立たされた状況を理解したブレンダは、頭を抱えたくなったが、そんなことをしている場合ではない。
人払いもされているのだ。
多少不敬でも自分の意思をきちんと王妃に伝えるべきだとブレンダは口を開いた。
「私ですか……?しかし、私は騎士でありたいと志願してここにおります。これからも仕事を続けていく所存です。ですから……」
「確かに王妃になれば騎士という肩書きはないに等しくなるわ。だって、王妃の方が権力は上、騎士という肩書きを使う必要がなくなってしまうのだもの。でも使ってはいけないというものでもないのよ。もしあなたが騎士という肩書きに固執しているだけなら、使いたいように使えばいいわ。そしてその手腕を存分に発揮してもらって構わないの。だから一度前向きに考えてもらえないかしら?」
王妃からすればブレンダが断りの言葉を伝えてくるだろうことくらいはお見通しだ。
そもそも少しでも受ける気があるのなら、一度くらいお茶会の席に来るはずなのに、その席にご令嬢として姿を現したことがないのだから、その意思は明白だ。
ただ、騎士でありたいと言う彼女なら、王の盾の話を聞けば、少しは真剣に考えてくれるのではないかと考えた。
最初こそ黙りこんでしまったブレンダだが、二人になれば王妃である自分に押し負けることなく普通に話ができる貴重な人材だ。
王妃からすればブレンダこそクリスの相手に相応しい。
ここで逃がすわけにはいかない。
せめて候補者という形でしばらく名前を残せる状態は維持したい。
だからここでブレンダの答えを聞くつもりはないと、ブレンダの断りの言葉を拒絶するように王妃は言葉をかぶせたのだった。




