孤児院の報告とエレナの機会損失
「孤児院はどうだった?」
視察から戻ったその日の夜。
終了してからすぐ、ある程度の報告は受けているが、やはり本人の口から聞きたいとクリスは夕食の席でエレナに尋ねた。
「そうね……。とても有意義だったわ」
孤児院での出来事を思い出したエレナは複雑な表情を浮かべて言った。
するとクリスはエレナの表情を見て不思議そうに小首を傾げた。
「エレナは子どもたちに読み聞かせとかしたんでしょう?」
「ええ。絵本を三冊読んだわ……。その時ね、私、お兄様が小さい頃にしてくれたことを思い出したの。その時とてもわくわくしたから、子どもたちにも同じように感じてもらえたらと思って読んだのよ」
言葉の最後で少し笑みを浮かべたものの、やはり浮かない雰囲気のエレナに、クリスは慎重に話を進めることにした。
報告ではエレナが読み聞かせの後に、孤児院の教育について疑問を投げかけたことで気まずくなったこともあげられていたのだ。
「そうなんだね。エレナが僕のことを思い出してくれたなんて嬉しいな」
「子どもたちは喜んでくれたけれど、お兄様みたいにできたかはわからないわ」
「僕みたいにする必要はないんじゃないかな?一番はそこにいる皆に楽しんでほしいっていう気持ちだと思う。僕はエレナがニコニコしながら聞いてくれるから、それだけで嬉しかったよ」
幼い頃、ある時は部屋で椅子を並べて、ある時は寝る前のベッドの中で、文字が少し読めるようになっていたクリスは、エレナに絵本が見えるように開いては読み聞かせをしていた。
その時、クリスもまだ当然子どもだったので、難しいところでは間違えたりもしたし、つっかえてしまうこともあった。
クリスが間違えたと思ってエレナを見ると、エレナはそんなことを気にする様子もなく続きを催促した。
エレナはそれだけ物語に没頭していたし、クリスは早く続きを読んで欲しいと言ってもらえることが、自分が必要とされているようで嬉しかった。
だからもっと楽しんでもらおうと、エレナが好きそうな絵本を探すために本をたくさん読んで、作品を選んでいたのだが、当時のクリスの努力をエレナは知らない。
けれど少なくともエレナも読み聞かせをした時、自分と同じように感じたはずで、だからエレナは子どもたちに次はと催促されてもう一冊読みたいと思ったのではないかと、クリスはそう考えていた。
「言われてみればそうね。子どもたちがもっと読んで欲しいって言ってくれた時、楽しんでくれて嬉しいって思ったもの。私、また孤児院に行ったら読み聞かせしてみたいと思うわ……。あのね……」
「どうしたの?」
「孤児院の大人の女性たちは読み書きができない、できるようになりたいって言っていたの。そしたら自分たちも子どもたちに、絵本を読んであげられるのにって」
ようやく浮かない顔をしているエレナ本人からその理由が挙がったため、クリスは話を聞けると思い小さくため息をついた。
この件を気にしてエレナが孤児院に行かないというのならそれは仕方のないことだと思っていたし、それでも手伝いに行きたいという気持ちが変わらないのなら全力でサポートをするつもりだったのだ。
「そうだったんだね」
「私では教え方なんてわからないわ。大人数をどう教えているのか知らないもの。私にできることがあればいいのだけれど……」
「……」
エレナは夕食の時間になるまで部屋で休んでいる間、ずっと孤児院のことを考えていた。
クリスに孤児院の状況を説明できるようにするという簡単な課題をもらっていたこともあるが、それよりもきらきらと目を輝かせて話を聞いてくれた子どもたちに、もっと何かできることはないのかと思ったのだ。
改善する方法を自分で考え、その時間の中で大人の女性たちが、読み書きができるようになりたいと言っていた件とも向き合った。
自分はできるのだから、それを教えることができないだろうかと考えたのだが、多くの人に同時に教える、教わるという経験のないエレナは、具体的にどうしたらいいのか、いくら考えても答えは見つけることはできなかった。
そして孤児院で最初に騎士になったという男性のことも考えた。
彼はずっと孤児院にいた。
もともと文字を読むことができたから、本を読み、独学で騎士になったというが、そんな彼もエレナと同じで、基本一人で勉強をしていたから大勢に教える方法は知らなかっただけなのではないかと思った。
先生もつけず自分で勉強を進められた彼は自分より能力が高いはずだ。
けれどそんな彼でもみんなに教えるということを断念せざるを得なかった。
それでも一人でもと、やる気のある、可能性のある人だけには教えることを諦めなかった。
そこで取り残されてしまった人がいたのは残念だが、一対一で教えることができるのなら、その人数さえ増えれば、という結論に至った彼を攻めることはできない。
なんとなくだが、自分が始めても同じ結果になってしまう気がしたのだ。
中途半端なら手をつけるべきではないかもしれないという気持ちが半分と、自分も彼と同じようにとまではいかなくても、基本的なことだけでも子どもたちに教えてあげることができたのなら、それで教えている側の負担が軽減されるのなら、少しでもサポートすることが結果的に孤児院のためになるのではないかという気持ちが半分だった。
一方のクリスは、何と答えていいのか分からずにいた。
同席している両親もエレナの言葉に複雑な表情を浮かべている。
まさにエレナの言っている内容は学校という場所で行われていることで、もしエレナが学校に行っていたらきっと教師の真似事を始めたに違いない。
少なくとも、学校の勉強環境を知っていたのなら、上手くはいかなくても集団授業というものがどういうものかは理解できたはずだ。
少なくともエレナが学校へ行くことができていたのなら、それを体験し知る機会を得ることができたのだが、エレナはそれが許されなかった。
この件に関して、エレナ自身はほとんど気にしていなかったのだが、この言葉は彼らがエレナから奪ったものの大きさを痛感させるのに充分だった。
だからすぐにかける言葉が見当たらなかったのだ。
それは学校に行く経験を得ていたクリスも同じなのだった。




