孤児院の実情
早朝から説明を受けていた護衛騎士と、家庭教師と再会したエレナたちが合流し、いよいよエレナの孤児院への訪問という公務が始まった。
出発前に家庭教師と話をしたからか、エレナはすっかり落ち着いていて、堂々とした姿で馬車に乗り込んでいった。
ちなみに、家庭教師にはエレナとは別の馬車が用意されていて、今回は彼女も護衛対象となっている。
基本的にこの二人が別行動をとることはないし、この後、孤児院ではエレナと見習いの護衛騎士が並び、後ろで控える護衛騎士と家庭教師が一緒に控える予定である。
今回の護衛は家庭教師の方がベテランに囲まれて安全だが、何かあれば彼らはエレナを優先することになるが、今までこのような同伴者が付くような公務はなかったし、エレナと一緒にいるのは大抵クリスなので、クリスの護衛とエレナの護衛という錚々たるメンバーでの護衛となることが多かった。
エレナが最近参加しているお茶会では、移動の時以外、警備が少人数になることはなかった。
貴族側での警備もあったし、危険な家に行くことは王妃が了承しなかったためだ。
今回公務デビューは見習いの騎士だけではない。
トップに立っているエレナも今回が一人での初公務となるのだ。
ベテランたちは何があってもこの公務を成功させなければならない。
若い三人には自信をつけてもらわなければならないからだ。
ベテラン騎士たちと家庭教師の思いは同じだった。
彼らは孤児院についてから、こっそりとその話を共有し、彼らを見守る決意をしたのだった。
普段、孤児院は街の警備が見回りの時に巡回して安全を確保している場所で、時々巡回している警備の人間が泊まることもある。
警備の人間が泊まっていると周知することで、孤児院に手出しをしようとするものが大幅に減るためだ。
これも弱いものを守る手段の一つである。
ちなみに実際鉢合わせした不埒者は彼らによって容赦なく捕まっている。
そういうことが起こらなければ、警備の人間と孤児院の人間は和気藹々と仲良く過ごして夜を明かすだけである。
そして警備の男たちは、騎士たちは孤児院男子の憧れの存在となっていた。
それは何度も不埒者への捕り物劇を見ていることもあるが、何より自分たちと、家族のように大切な孤児院の人たちをいつか自分たちで守れるようになりたいと思ってのことでもある。
それに大人になって孤児院を卒院してから、警備の職について孤児院に時々顔を見せてくれる人もいる。
そういう人を見て、子供たちは孤児院で育った自分たちでもちゃんと職に就くことができるのだと夢を見ることができる。
実際、そう言う職に就くには強くなるだけではだめで、勉強もかなり頑張らなければならず、職を得た者の努力は並大抵のものではないのだが、本当に将来を見据えるようになった時、子供たちにその方法を聞かれた時は迷わず答えている。
そこで挫折するならそれまで。
這いあがることができなければ、職を得ることはできないのだと厳しい現実と向き合ってもらう必要がある。
そもそも孤児院という場所は勉強ができる環境ではない。
だからどうしても職に就きたいと努力をすることを誓った子供には、卒院して警備についている人が泊まりに来る時こっそりと勉強を教えている。
そうしてどうにか孤児院から警備のような給金が高めの職に就く者を何人か出すことができているのだが、大半は孤児院での手伝いをしたり、農作物を育てる手伝いをする力仕事で収入を得て何とか生き延びている。
そして農家を手伝っている者の大半は男性なのだが、手伝いをしているうちにその家に気に入られると、彼らの養子となり卒院していくのだ。
だから子供たちの面倒をみるのは、その流れに乗ることのできない女性、そして卒院できずにここにいなければ生活ができないのも女性というのが孤児院の現状だった。
孤児院でバザーに出せる商品を作れるのは女性が多いということもあり、彼女たちがずっと院内に残って刺繍や裁縫をしてくれたら、孤児院への収入の足しにすることができる。
それに料理も洗濯も、家事全般ができる女性たちなので、生活そのものの助けにもなる。
そういうこともあって女性は大人になったからといって無理に卒院する必要はないという空気もあった。
孤児院についてからエレナたちは院長の話を聞くことになった。
今までは施設の様子をぐるっと見て、寄付を渡して帰ってくるだけだった。
けれども今回は現状の視察だけではなく、きちんと話を聞いて孤児院の実情についてどう考えるのか。
それをエレナはクリスに報告してほしいと言われていた。
エレナの話を聞いてどうやったら孤児院の環境をよくできるのか一緒に考えよう、それが公務で視察をする目的であり、課題だというのだ。
だからエレナは院長の話に真剣に耳を傾けた。
最初は何度話をしても改善されないのだから、これも姫様の初公務という茶番だと思いながら話をしていた院長だが、エレナの様子に好感をもったのか、最後は真剣に孤児院の窮状を訴えていた。
「何だか結果的にうまく回ってしまっているように聞こえるのだけれど……」
頑張っているというのは分かるし、施設にいる者は大人子供に関係なく、働かなければならないというが、とても困っていますという風には聞こえなかった。
むしろ頑張っているからご褒美が欲しいという感じなのだろうか。
訴えられて内容を聞いたエレナは小首を傾げた。
「はい、確かにうまく回っています。というより、こうしないと他に方法がないのです。そしてそこから外れることができないのでこの状況は何も変わりません。ですが、姫様はこのような生活をしたいとお考えになりますか?」
以前、クリスについて視察名目で子供たちの様子を見ることもあったし、家庭教師からどういう生活をしているのかは大まかに説明を受けている。
ただ今日の話と今まで勉強してきたことだけで判断するのは難しい。
そしてもう一つ、今回の視察で一番発言権が強いのはエレナなのだから、こうした方がいい、ああした方がいいという思いつきをそのまま相手に伝えないで、できるだけ一度持ち帰ってクリスに相談してほしいと頼まれていた。
エレナは少し考えてから言った。
「確かに私はこのような生活をしたことがないから、したいかと言われるとよくわからないのだけれど、私が何か提案したとして、新しいことを入れたことで今の生活がうまく回らなくなるのは困るのではなくて?」
「それはそうなのですが……」
イレギュラーなことが起こるとその分対応する側が大変になるということはエレナも知っていた。
自分が掃除や調理、訓練に加わると言いだした時、準備期間が必要だと言われたが、それは彼らの決められたスケジュールを調整しなければならないからだと説明されていた。
そこで働く人たちが仕事をうまく回せるように計画して、実際に動いているものを壊さないようにということだ。
だから、自分がこの先ここでお手伝いをするとしても、相手の都合に合わせなければならないと言われたのだ。
だからエレナは生活してみたいとは言わず、そう言われたら困るのではないかと言うつもりで尋ねたのだ。
そんな訳で深い意図があっての言葉ではなかったのだが、その言葉は院長に鋭く刺さっていた。
確かに何も知らない王族に意見を出されて、その意見に沿って生活しなければならなくなった時、うまく回らなくなる可能性は大いにある。
少なくとも取り入れた時は混乱するだろう。
それを実行した際にもし生活が破たんしてしまったら元に戻すのは大変だ。
仮に何か提案され、それが失敗する可能性の高いもの、もしくは過去にうまくいかなかった方法だったとしても、王族に意見を求めておいて実行しないという選択をするわけにはいかない。
エレナの言う通り、乱されることがなければギリギリとはいえうまく回っているのだ。
院長の言い淀んでいる様子を見て、エレナは話が進まないと思い立ち上がった。
「わかったわ。とりあえず今の施設の生活を見せてちょうだい。その時に私がここで生活できるのかどうかも考えてみます。いいアイデアはすぐに浮かぶか分からないけれど、今の話も参考にさせてもらいます」
「は、はい!ではご案内いたします」
急に立ち上がったエレナに驚いた院長も慌てて立ち上がった。
すぐに答えられなかったことで、怒らせたのではないかと思ったが、エレナを見る限り表情から怒りの感情は見られない。
ただ、初公務とは思えないその堂々とした佇まい、発せられているオーラ、貫録のようなものを感じ取って息を飲む。
最初に降りてきた姫という感じはなく、立ち上がったエレナは女王のようだった。
院長はそんなエレナの空気に当てられていたが、慌てて視線をドアに移し、エレナから視線を逸らした。
そして、院内を案内すべく移動を始めるのだった。




