クリスの懺悔
クリスがエレナの部屋を訪ねると、エレナが寝息を立てて眠っていた。
先ほど倉庫から運び出した時より表情が穏やかに見えて、クリスは少し安堵のめ息をつくと、静かにベッドサイドに置かれた椅子を引いて、そこに腰をかけてじっとエレナの顔を見つめる。
それからは時折ベッドの端にうつ伏せに顔をうずめて少し休みながら、クリスはエレナが目覚めるのを待っていた。
空が白み、もうすぐ夜が明けるという時間、エレナのベッドにうつ伏せになっていたクリスはベッドのきしむ音で目を覚ました。
顔を上げると、エレナが身じろぎしている。
クリスは思わず立ち上がってエレナの頭上に身を乗り出した。
そしてじっと様子をうかがっていると、やがてエレナが静かに目を開けた。
「エレナ!」
目を覚ましたエレナに気がついたクリスはエレナに覆いかぶさるように抱きついた。
「お兄様、ずっとついていてくれたの?」
目を覚ましたエレナは、飛びついてきたクリスに驚きながらもそう言って、クリスの頭に手を伸ばした。
頭を撫でられて我に返ったクリスは体を起こすと色々な言葉をいっぺんに吐き出した。
「痛いところはない?喉は乾いてない?そうだ、お水入れるね」
そして自分の体をベッドから起こすと、すぐにグラスに水を注いでエレナに渡した。
その間にエレナはベッドの上で自分で体を起こした。
「ありがとう」
グラスをしっかりと受け取り、ゆっくりと水を飲み始めたエレナを見てクリスはほっとため息をついた。
「本当に良かった。目を覚まさなかったらどうしようかと思ったよ」
「ごめんなさい……」
水を飲み終えてグラスを両手に持ったままエレナはうつむいた。
「今日はケインが泊まっているんだけど、安静にするようにってことだから、会うのは我慢してね」
「そうね。確かに寝間着のまま出会うのは恥ずかしいわ。髪もぼろぼろだし……」
本当は倉庫にいるときの方がボロボロだったが、意識が朦朧としていたり、薄暗かったりしたこともあり、あまり気にならなかった。
意識のはっきりした今は、きちんとした格好でケインに会いたいとエレナは思った。
「ケインは……?ケインはどうしているの?私のせいで具合が悪くなったりとかしていないかしら」
「心配ないよ。さっき一緒に夕食を取った。そのくらい元気だから安心して。それよりもエレナのことをずっと心配していたよ」
自分のことにケインを巻き込んでしまった。
冷静になったエレナは段々と落ち込んでいく。
「ちゃんと謝らなきゃいけないわ」
ぼそっとつぶやいたエレナの頭に手を伸ばしてポンポンとなでるとクリスは言った、
「その時は僕も一緒だよ。ケインに頼んだのは僕だからね」
「お兄様が?」
「うん。だって、エレナはきっと私達の話に耳を貸さないだろうって思って。もしかしたらケインならなんとかしてくれるかなって。お父様たちは扉を破壊してエレナを連れ出すつもりだったみたいだけど、それで戻されてって、溝が広がっちゃうし、ちゃんと納得して出てきてもらいたかったんだ。でも、結局、確認しないまま連れ出すことになっちゃったね」
意識を失くしたエレナは自分の意思でケインを招き入れたが、出てくることを選んだわけではなかった。どうするか聞けないままに、意識を失くしたエレナを医者に見せるべきだと判断して連れ出す決断をしたのだ。
ケインが判断したことだが、賛同したのはクリスも同じ。
そもそもこれはケインが原因で起こったことではない。
せめて判断の責任の半分は背負いたいと思っていた。
「もう少ししたらケインも起きると思うから、そしたらエレナが目を覚ましたって伝えるね。今日は一日ゆっくり過ごすんだよ。食事もここに運ばせるし、帰ってきたらまた来るから」
「お兄様たちは今日も学校なのね。疲れたまま行かなければならないなんて、私のせいだわ……」
「そんなことないよ。ケインは客室で休んでいるし、僕もここで少し寝ていたから、心配しなくて大丈夫だよ」
「でも……」
エレナに学校のことは分からない。
二人が大丈夫というのなら大丈夫かもしれないが、自分が公務の前に睡眠を取れず、そのまま挑むことになったら辛いということは分かる。
エレナにとってはそのくらい学校という場所に行くということは大変なように見えていた。
「それよりも早く体力を取り戻して元気な姿をケインに見せてあげてほしいな」
「そうするわ。私も早くケインに会いたいもの」
ベッドの上で体を起こすのが精一杯で、背もたれがないと座っているのも辛い状態だった。
きっと一人で立ちあがることはできないとエレナは思った。
「まずはしっかりご飯を食べられるようになるところからって、お医者さんが言っていたよ。そしたら体力も戻るだろうって。それまではお部屋で過ごすことになるけど、早ければ数日で普通に生活できるようになるから、許可が出るまでは部屋でおとなしくしていてね」
「はい……」
少し悲しそうにしながらも懸命に笑みを浮かべるエレナに、クリスは再び抱きついた。
「あのさ……ごめんね、エレナ。こんなことになってしまって」
「お兄様?大丈夫よ?」
エレナはクリスに体を預けてそう言った。
「僕が、僕はずっとエレナの味方でいるっていったのに、エレナを守るって言ったのに、こんなことになってしまうなんて思わなかった。もっと気をつけるようにするから。次は絶対に守るから……」
涙ながらに語る兄の頭を再びなでながらエレナは言った。
「お兄様。私、学校へ通うのは諦めることにしました」
「エレナ……」
クリスは驚いてエレナの肩に寄せていた頭を上げた。
そんなクリスから目を離さずにエレナは続ける。
「お兄様、見学、連れてってください。それだけでもう充分」
「本当に?本当にそれでいいの?だってあんなに学校へ行くために頑張ってきたのに?」
「仕方がないのです。こうして戻されてしまったのですから」
「本当に僕は頼りにならない兄だね。エレナの願い一つ叶えてあげられないんだから……」
再びエレナの体に自分の体を押し付けて、クリスは涙を流した。
「お兄様のせいではありません。だからもう泣かないで」
エレナは自分のために泣いている兄の背中をポンポンとやさしく叩いていた。
ごめん、ごめんね、という言葉を何度も口に出しながら、しばらくクリスは泣いていた。
そんなクリスの涙が止まるまで、エレナは兄をなだめるのだった。
ここにいた者たちの中には、クリスの涙をもらい、鼻をすすっているものや、目頭を抑えているものもいた。
更に後になってから、クリスのためにと嘆願書を出すものもいたが、残念ながらエレナの通学が認められることはないのだった。




