次期王妃候補
クリスが執務室に行くと、母親の言った通り、すでにご令嬢に関する資料を持った使用人数名が入口に立っていた。
もし彼らがクリスより後に到着したら、執務室に通さない可能性を考えた母親がすぐに手配をしたらしい。
クリスが不在の時は鍵がかけてあるので中に入ることができず、外で待つことになってしまったのだろう。
かなりの量の束を持っていてさぞ重たいだろうに、姿勢を崩すこともなく直立したまま一人が言った。
「礼ができないことお許しください。こちら、王妃様よりお預かりした資料でございます。こちらにお持ちするように仰せ使ってまいりました」
「うん。わかった。思ったより早かったね。ドアを開けるからちょっと待ってね」
そう言って鍵を開けると、すかさず護衛の一人がドアを開けた。
クリスが中に入るとその後に資料を抱えた使用人たちが続く。
「あ、机じゃなくてそっちのテーブルに置いてほしいな。書類と混ざっちゃったら困るから」
「かしこまりました」
テーブルに資料を置くよう指示されると、それに従って資料を積み上げた使用人は、すぐにクリスの執務室から早々に立ち去った。
おそらく任務の完了を依頼主である王妃の元に報告しなければならないからだろう。
彼らが立ち去ってからすぐ、クリスはため息をついて、テーブルに備え付けられている椅子に座った。
そしてそこに置かれた資料の、主に絵姿と名前の全てに目を通した。
何人のご令嬢が今回の王妃の気まぐれの犠牲になったのか、自分の知らない人間が含まれていないかということさえ分かれば、別に経歴など後で確認すればいい。
対面したことのある人間ならば本人のことを覚えているはずなので問題ない。
ここにある人物がこの先開かれるだろうお茶会に現れるというだけだ。
それに、見たことのない人物は入っていないだろうとクリスは考えている。
貴族が必須の王宮の夜会に参加していない令嬢の名前がここに入ることが不自然だ。
案の定、クリスが資料にあるご令嬢の名前とそこに添えられた絵姿を確認した限り、知らない人は一人も含まれていなかった。
クリスはそれだけ確認し、人物だけを把握すると、テーブルに資料を置いたまま、机に移動して通常通り仕事を始めるのだった。
クリスは執務室で仕事に励みながら、時折違うテーブルに積まれた書類の束を横目でちらっと見てはため息をついていた。
その様子は儚く美しいもので、変わらず周囲の侍女たちをうっとりとさせているのだが、あまりのため息の回数の多さに、ブレンダが声をかけた。
「どうかされましたか?」
交代の要員で来たブレンダは積まれた資料が運ばれた経緯を知らないためそう尋ねた。
「ねぇ、ブレンダはどう思う?」
「何がでしょう?」
「あの書類について」
「残念ながら私の仕事はクリス様の護衛であって、書類仕事は管轄外ですよ」
書類仕事のお手伝いはできませんと言いたげにそう答えるブレンダに、またひとつため息をついてからクリスは言った。
「うん。それはわかってるよ?でね、ブレンダは何か聞いてるのかなって」
「何の話でしょう……?」
「あの書類ね、次期王妃候補のご令嬢に関する資料なんだよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
結婚願望の薄いクリスにたくさんのご令嬢の書類が届いたのだから、本人が憂鬱になるのは分かる。
そう解釈して納得したブレンダは、大変ですねとねぎらうべきかと少し悩んだ。
しかしクリスの話はそこでは終わらなかった。
「ブレンダは自分があの中に入っていることについてどう思う?」
そう言われてブレンダは驚いて思わず書類に目を向けた。
ブレンダ本人はそんなところに名前が挙がっていることを聞かされていなかったのだ。
しかし動揺している場合ではない。
改めて積み上げられた書類の量を見て、自分の立ち位置と比較してから答えを出した。
「どうと申されましても、そういった資料でしたら、家格と人格に適正のある方が集められたということかと思います。一応貴族の令嬢という立場であり、近衛騎士として王族の周りに配置いただけるだけの信頼はいただいているので、そういう意味では名前だけなら上がる可能性はあるものと考えます」
「そうなんだ。何となくブレンダがこの件に興味なさそうだってことはわかったよ」
クリスは立っているブレンダを見上げてそう言うと、再び書類に目を落とした。
ブレンダはそんなクリスの様子に思うところがあったのか、少し言葉を足すことにした。
「将来こちらのご令嬢方のどなたかを護衛することになると考えられますから、興味がないという訳ではありませんが、私に決定権はございませんし、我々は王族の皆様の決定に従うだけでございます」
「そっか、そうだよね……」
確かにここでブレンダが答えを出すことはできない。
意見をするのもこのように親しく話せる間柄でなければ本来できないことだ。
とりあえずどうするのか、仕事をしながら考えることにしたクリスは、ブレンダの意見を肯定すると再び仕事に取り組んだ。
一度会話を終えて書類仕事に専念していたクリスは、きりの良いところで手を止めると、再びブレンダに話しかけた。
「ブレンダはご令嬢方から人気だし、彼女たちとよくお話しているでしょう?」
「そうですね。皆さんよく話しかけてくださいます」
「今度、このご令嬢方とのお茶会に参加しなければいけないんだけど、ブレンダにも一緒にいてもらいたいんだ。たぶんエレナも同席するんだけど、ブレンダはこのお茶会にご令嬢として参加するのと、護衛として参加するの、どっちがいい?」
ブレンダが自分からこのご令嬢たちの中に入ろうとは考えていないようだと、先ほどの会話でクリスは判断していたが、念のため本人にも確認しておこうと尋ねた。
いくら騎士として一人で身を立てていても、彼女には貴族令嬢としての義務がある。
もし自分の考えが間違っていて、このお茶会にブレンダだけ招待せず、その結果ブレンダが家から何か言われたら申し訳ないとクリスは考えたのだ。
「そうですね……。護衛としての方がよいかと思います」
「どうして?」
想像通りの答えだが理由も知っておこうとクリスが尋ねると、その答えは予想外のものだった。
「エレナ様が参加なさるのですよね。おそらく参加されるどのご令嬢より、私がエレナ様と親しい間柄のように思います。そうなると、エレナ様は困った時、私を頼りにしてしまいます。ですから、距離をおける護衛としての方が適切ではないかと」
言われてみれば確かにその通りだ。
もしお茶会にブレンダが令嬢として参加したとして、エレナは大喜びでブレンダをお姉様と慕うだろう。
そうなると他のご令嬢たちはそれを決定事項と受け止めるかもしれない。
「確かに、エレナはブレンダのことを慕っているからね」
「それ自体はとても嬉しいことですが、今回のような場合には距離を置かざるを得ないですね。残念ですが……」
ブレンダもエレナが姉のように慕ってくれるのは嬉しいという。
騎士団を含め王宮の中で、エレナがブレンダに懐いていることを知っている者は多いが、その関係を知る令嬢は少ない。
先日の夜会でも話はしていたが傍から見ればクリスが警備の様子を確認し、エレナがねぎらいの言葉をかけていたくらいでしかない。
過去に王妃のお茶会に参加していたご令嬢から、ブレンダは女性から人気があるということはエレナも聞かされている。
だからエレナがブレンダと話している様子も、他のご令嬢と同じようにブレンダに興味や憧れを抱いたかもしれないと思われた程度だろう。
ご令嬢たちにはそのまま勘違いしておいてもらった方が、エレナもこの先立ち回りやすいだろう。
それにご令嬢たちはブレンダが王妃候補に入っていることは知らないはずだ。
「わかった。ブレンダには夜会と同じスタンスでいてもらうことにするよ。ご令嬢たちに声をかけられたらそれはそれで仕事しながらいつも通り、話をしてくれて構わないから」
「はい。かしこまりました」
ブレンダはクリスの意図するご令嬢たちを観察する役目を快諾した。
ご令嬢たちはクリスに見とれることはあっても本音を出すことはないだろう。
だからお茶会で話をしても、猫を被ったご令嬢を相手にするだけになるので意味はないとクリスは思っている。
もちろんそのために王妃がお茶会を主宰し手綱を握るのだし、おそらくエレナの参加で気の緩みを生みださせようとしているのだろうが、彼女たちから見れば皆、目上の人間なので、そこでボロを出すことはしないはずだ。
彼女たちからすれば憧れの人物であるブレンダに対しては別の意味でいいところを見せようと張り切ってしまうかもしれないが、候補者としてカウントされていないブレンダと話をしている時の方が彼女たちは本音を言えるに違いない。
お茶会がいつ開催されるのか、そういう連絡はまだないが、王妃の話だといつやっても参加できるはずという主張なので、ご令嬢たちの参加が決まり次第、早いタイミングで連絡が来るだろう。
とりあえず、周りは固めておかなければと、クリスはしばらく気を張って生活をすることになるのだった。




