ケインの思い人
エレナやクリスと別れてから、ケインはしばらくしてからホールにいる両親の元へ行くと、翌日から仕事があることを理由に先に帰るとだけ伝えて会場を出て寮に戻ることにした。
夜会の衣装のまま寮に戻るとすれ違う人がみな振り返るが、さすがに今日が何の日なのかを分かっているため、一瞥するとすぐに目的地に向かっていく。
特に声をかけられることもなかった。
気を張っていて思っていた以上に疲れていたらしいケインは、衣装から楽な服に着替えるとそのままベッドに横になった。
ルームメイトはまだ戻っていなかったが、今日戻ってくるかは分からない。
もしかしたら家族と王都の宿で過ごして、訓練までに戻るのかもしれない。
いつも自分が戻るときに出迎えてくれるのに申し訳ないが、今のケインはとても疲れていて彼が帰ってくるまで起きているのは厳しそうだった。
ケインはベッドで仰向けになり、改めて自分の両手を見つめてから、そのまま目を閉じた。
翌朝、ケインが訓練に参加するため準備をしていると、ルームメイトが飛び込んできた。
「おかえり」
ケインが声を掛けると、ルームメイトは部屋に人がいることに驚いたらしく、声を上ずらせた。
「あ、ああ、ただいま!……なんかケインに迎えられるのは新鮮だな。入寮の時も、規制の時も、いつも俺が先に部屋にいるし、その他は同じカリキュラムだから一緒に戻ってくるしな」
そう言いながら、何か飲もうとしている彼を見てケインは言った。
「そんなのんびりしてていいのか?」
「いや、水ぐらい飲ませてくれよ」
彼はそう言って口と手を器用に動かしながら水を一気飲みしている。
そんな彼にケインは念のために告げた。
「ああ。時間になったら先に出るからな」
「間に合わせるから大丈夫だ」
水を飲み干すと今度はクローゼットを勢いよく開けてさっさと着替え始める。
事情がわかっているだけにおいていくのは忍びない。
ケインは少し時間を気にしながら彼の様子を見ていたが、彼が間に合うギリギリの時間に訓練に向かう準備を整え終えたため、部屋を一緒に出ることができた。
夜会が終わってしまえば、騎士団も訓練もいつも通りだった。
王宮内に人を招く際は、王族が外出をする時よりも警備が強化されるらしい。
新人は休みになっていたが、常に招待客や、客を装った者が指定範囲外を歩き回らないようにしなければならず、ここ数日は特にピリピリしていたのだ。
座学での説明で、次回からは今回の新人も警備に当たることになるから、覚悟するようにと言い渡された。
ちなみに、今回の配置についてどのような対応がとられたのか説明を受けたが、騎士の入れない区域である王宮の細部までは騎士団のメンバーにも知らされないらしい。
王宮内部の配置図もそこだけは大雑把な記載となっている。
それについて質問を下騎士がいたのだが、そこについて知ることができるのは王族の近衛騎士となったものだけなのだという回答だった。
ケインはその一部の詳細を知っていたが、知らぬ顔をしていた。
その機密の中にエレナの居室などが含まれていたからだ。
緊急時だったとはいえ、あの時エレナの部屋に入ったりしたことが、いかに特別なことだったのかをケインは改めて理解したのだった。
そうして訓練を終えていつも通り食事などを済ませ部屋に戻ると、ケインとルームメイトはすぐにベッドへ直行した。
夜会明けの訓練でということもあり、普段と違うスケジュールで動いたため、体と頭が追いつかなかったのだ。
だが、夜会の警備を任された先輩も、その時間、通常の警邏をしていた先輩も普通通りに過ごしていたので、自分たちもこの生活に慣れる必要があるのだろう。
二人はぼんやりと仰向けになって体の疲れを取っていたが、少ししたところで、ルームメイトがケインに話しかけた。
「なぁ、ちょっといいか?」
「何だ?」
いつも通りの雑談だ。
ケインはそう思って返事をしたが、話しかけたルームメイトはそうではなかった。
彼はケインに悟られないよう慎重に言葉を選びながら話を進める。
「お前さ、休みで帰省するたびに、毎回知らない令嬢と会食とかさせられて大変だって話してただろう?」
「ああ。だけどさすがに今回はなかったぞ?」
今回ケインは夜会に参加する際の着替えと親の同伴を目的として帰宅しただけであって、前日から実家に戻っていたわけではない。
さすがに王宮の夜会に参加する貴族は皆、同じように準備に追われているので、そういった食事の席は設けられていない。
それくらいのことはわかるだろうとケインは不思議に思いながらも答えた。
ルームメイトの話は続く。
「俺はさ、正直そこまで面倒見てくれる家族がいるってうらやましいなって思ったんだよ。自分の身を自分で立てろって言われている俺とは違うなって。それにケインは騎士一筋で、恋愛とかそういうものに興味がないから面倒くさがっていたんだと思ってたんだけどさ、違ったのな」
「……悪いけど意味がわからない」
恋愛の話などしたことがない。
学生時代もそうだったし、騎士になってからもそうだ。
突然なぜ自分の恋愛について所感を述べられているのか不思議だった。
だが、彼の性格上、意味のないことは言わない。
だから何か意図があって話をしているというのは明確だ。
「いや、悪い意味じゃないぞ?ただ、一途に一人を思ってのことだったのかって。そういう相手がいるのに他の令嬢を紹介されても迷惑だろうなってそう思っただけだよ。まぁ、でもなぁ、相手が相手だから、親が保険を掛けておきたくなる気持ちはわかるな。お前跡継ぎだし」
時々、うーん、といううなり声を出しつつ、ルームメイトはそう言った。
何かいい提案ができればいいのだが、これはなかなか難しいと考え込んでいる。
だがケインはまだ話がつかみきれなかった。
「やっぱり良くわからないんだが、何でそう思ったんだ?」
「昨日の夜会さ、エレナ様のデビュタントだっただろう?あの時にそう思った」
「夜会で?」
自分が寮を出た時、彼はまだ部屋にいた。
だが新人は皆休みで、彼も例外ではなかったのだから参加していても不思議ではない。
おそらくこの部屋で夜会の準備をして、家族と合流したのだろうとケインは考えた。
「ああ。休みになったって知った両親が夜会に出ろっていうから、仕方なく参加したんだけどさ、結構早くから行く羽目になって大変だったよ。領地が遠いからうちの家族は宿に泊まってたんだけどさ、まぁ、来たついでだから早く行ってあんまり会えない貴族たちにあいさつ回りをしたかったわけだよ、うちの家族は」
「まぁ、そうだよな」
彼は休みだとばれなければ、夜会に参加しないつもりだったらしい。
本来、貴族の参加は必須だが、騎士団の在籍者に関しては例外的に欠席が認められているのだ。
だが、家族に聞かれて騎士団にいながら警備をしていなければ仕事がないとばれてしまう。
だから聞かれた際、正直に休みになったことを伝えたら同行することになってしまったという。
「それで国王たちが入場してさ、挨拶に並んでた時にさ、ああ、ケインの家と王族って近しい間柄なんだなって思った」
「見てたのか」
「しかもエレナ様からもずいぶんと信頼されてるんだな」
急にエレナの話を振られてケインは驚いたが、ホール内でのことなら問題ないだろうとケインはそのときの状況を思い出しながら言った。
「そうだな。面識はあるし、ある程度信頼はされていると思うが……何かあったか?」
「挨拶の後、声をかけようと思ったんだけど、思ったより俺が引きとめられちゃって、気が付いたらホールに姿がなかったから、まーいっかって思ってそのままにしてたんだよ……」
「それは仕方がないだろう。俺は人に捉まらないようにしてたしな」
あの時のケインはエレナたちのファーストダンスが終わったらすぐにホールから抜け出すため隙をうかがっていた。
そして最初から目立たないよう家族の後ろに隠れ、ひっそりとその時が来るのを待っていたのだ。
そのことは説明できないが、目立たないようにしていたというと、その面倒さは良くわかると、ルームメイトは理解を示した。
だがこのままでは、本題にたどり着くまでに何時間もかかってしまう。
伝えることは決めているのだからと、ルームメイトは意を決してこの言葉を口にした。
「お前の思い人、エレナ様なんだな……」
「……」
ケインはルームメイトにそう言われすぐには何も答えられなかったのだった。




