お披露目と誓い
エレナがケインと夜会で踊れる日が来るのかと口にした時、クリスが一瞬、苦い表情を浮かべたのをケインは見逃さなかった。
たぶんクリスはエレナの希望を叶えられないことを歯がゆく感じているのだろう。
そして自分はといえば、ようやく騎士となったばかりで、まだエレナ様の側に堂々と立てる立場ではない。
けれど、何のために騎士になったのか、それをここで伝えることはできるし、きっと、伝える機会は今しかないだろうと意を決して口を開いた。
「エレナ様」
「なあに?」
急に自分の目の前に立ったケインを見上げてエレナは不思議そうに小首を傾げた。
今日は貴族として夜会に参加しているので帯剣は許されていない。
だから剣はないが、気持ちだけでも、形だけでも二人に意思を示しておきたいと、ケインは膝を折った。
「ケイン、どうしたの?」
その様子に驚いたエレナが、手を差し出して立つようにと促したが、その手をケインは両手で下から救いあげるように包むと、頭を下げた。
「私はあなたのために剣を振るい、そのすべてを捧げるつもりです。そのために騎士となりました。私の忠誠をお受け取りください」
急に手を握られて、誓いを立てられたエレナは少し困惑したが、すぐに我に返って答えた。
「ケイン、あなたの心、私は嬉しく思います」
「はっ!」
ケインが返事をして顔を上げると、そこには王女の風格をしっかりと備えたエレナが笑みを浮かべていた。
ケインが今の自分にできる最大限の意思表示をしているところで、小さく小枝の折れる音がした。
護衛たちもクリスも動いていないし、クリスやケイン、エレナの建っているところは芝の上で枝はない。
すぐにこの場に招かれざる者がいることを察した護衛が音のした方に向かって走り、誰かも分からぬものに声をかけた。
「誰だ!」
「いや、俺は何も!」
「待て!」
護衛一人が走り去っていく者を追いかけたが、他の騎士たちは動かなかった。
さすがに護衛対象を置いて護衛全員が不審者を追いかけるわけにはいかない。
優先すべきは護衛対象を守ることである。
その騒ぎの中、何があるか分からないためクリスもエレナも動くことはしなかった。
ケインは膝をつくのを止め立ち上がると、警戒する側に回る。
幸い人目につかないとはいえ障害物の少ないこの庭にいれば、戻ってきた不審者をすぐに見つけることができると判断して、周りを警戒しながら追跡した騎士の報告を待つことにしたのだ。
しばらくして、緊迫した空気が庭に流れる中、追跡をしていた騎士が戻ってきた。
「申し訳ありません。取り逃がしました」
そう言って申し訳なさそうに頭を下げている。
「それは構わないよ。誰かはわかる?」
最初から捕まえるつもりはなかったクリスは尋ねた。
この場所は分かりにくい場所にあるだけで立ち入り禁止区域ではない。
昼の明るい時ならばお茶会をするのにもよい芝生だが、夜は椅子もなく、明かりも少ないこの場所にわざわざ来る人がいないというだけである。
それに今回のために立ち入り禁止にしてしまっていたら、別行動をしているケインがここに来ることができなくなってしまうので、そうしていないという事情もあった。
だから、ここを通ったり、庭に来たことが、そもそも罪に問えるわけではないのだ。
逆に捕まえられたとしても、身元を確認できればいいだけで、引っ立ててこられても困ってしまう。
「一瞬見えた服装からして招待客で間違いないようですが、特定できませんでした」
逃げた方向が分かったためそちらに向かい、さらに周辺を探してみたものの、その人物の姿は見えず、取り急ぎ報告のために戻ってきたのだと護衛騎士が申し訳なさそうに言う。
「仕方ないね。私も顔が見られたらよかったんだけど……」
自分が顔を見ていれば誰かわかったかもしれないと思うとクリスも残念だった。
ここに来ている招待客と警備をしている騎士の顔くらいは全て覚えているのだ。
逆に知らない顔であればそれは招待客ではないということでもある。
「申し訳ありません」
クリスは顔を見られたらと言っていたが、そもそも自ら追いかけたのに見失ったのは失態だと護衛騎士の一人はただ頭を下げるしかできない。
他の護衛騎士たちも、このような事態になり、周囲の警戒を怠ったようなものだと申し訳なさそうにしている。
あの時は皆がケインとエレナに目を奪われていた。
事情を知っている彼らからすれば微笑ましく美しい光景だったし、密かに応援しようという気持ちがある者しかこの場に立ち会っていないのだ。
だから、この一瞬、皆が二人に注目してしまったのは仕方のないことだ。
それに、もともと人が来ないことを想定してこの場所は選ばれた。
護衛もすぐに招かれざる者に気がついて声をかけて追いかけたのだし、気を抜いていたわけではない。
「まあ、その人が悪いことをしたわけじゃないからね。ここは立ち入り禁止じゃないし。今回の件は騎士が王族に誓いを立てただけだってことで成立するでしょう。見られて困ることではないよ。ケインは大丈夫?」
「はい。それで通します」
「エレナ?」
「わかっているわ、お兄様」
何か聞かれても同じ内容で通すようにとクリスはすぐに言明する。
この言葉に護衛騎士たちもうなずいている。
この一件で、とてものんびりと休憩がてら話をするという空気ではなくなったため、すぐに解散することにした。
ここで人に見つからなければ、簡易的な椅子を用意して三人で雑談に興じるつもりだったが、それどころではなくなってしまった。
たとえ疲れていてもここで座って休むわけにはいかない。
逃げた相手がもし、ここにクリスやエレナがいることを誰かに話してしまったら、今度はここに人が集まってしまう可能性がある。
やむを得ず、ケインを会場や通路から死角になる位置に残し、エレナとクリス、それから護衛騎士たちはこの場を後にした。
そして関係者しか入れないプライベート空間へと移動して休憩をとり、頃合いを見計らって会場に戻ることになった。
この日、ケインから誓いを立てられたことがとても嬉しかったエレナは、これからも努力を続けようと決意を新たにするのだった。
休憩をしてからホールに戻ったエレナは、会場で踊っていた時よりも堂々としていた。
クリスが確認できる範囲だが会場にケインの姿は見当たらない。
おそらく閉会ぎりぎりまで戻らないつもりなのだろう。
エレナにはずっとクリスが張り付いていて、会話はするものの誰とも踊ることはしなかった。
クリスが牽制していたのもあるが、エレナの堂々とした振る舞いと、王族の威厳を感じさせるオーラが誰の手もとらないことを許したのだ。
けれどエレナに声を掛けられなかったのはそれだけではない。
クリスはエレナを連れながら何度か護衛に経過報告を求めたが、残念ながらあの場にいた者の情報は得ることができなかった。
王宮騎士団トップの護衛騎士に見つけられて、しかもこの王宮内で逃げ切ることができるというのは、よほど逃げるのがうまい人物なのか、たまたま人ごみにまぎれて探せなくなったのかは分からない。
せめて誰なのかという情報だけでもあればこちらも警戒できるのだが、この状態だと招待客全員を警戒しなければならない。
エレナもクリスも堂々としていたが、クリスに関しては少しピリピリしていた。
この件を知っている護衛騎士たちも警戒を強めている。
ホールに戻ったクリスと護衛騎士の様子から、何かあったのかもしれないと察した貴族たちは、その威圧感に当てられて長く話せなかったり、そもそも声を掛けることができなかったのだ。
こうしてエレナのお披露目となった王宮の夜会は、懸念を残したまま幕を下ろしたのだった。




