エレナの夜会デビュー
クリスとエレナが部屋を出発した頃、会場にはデビュタントを待つ令嬢、令息をはじめとした多くの貴族が集まり、始まりの時を待っていた。
別にデビュタントの日というのが決められているわけではないが、やはり子供をできるだけ大きな舞台でデビューさせたいと考えている親は、王族の参加する夜会でと考えるので、貴族の参加が必須となっている王宮の舞踏会がそのような役割を担うことが多い。
そして今回、特に公にはしていないが、年齢的にエレナが夜会デビューするだというということが、貴族同士のネットワークで広がっているため、普段は代表が顔を見せに来るだけという家も、今回は総出で出席している。
そうしていよいよ、開会の時間を迎えた。
入場はしていないものの、国王、王妃、クリス、エレナはすでに控室に待機していていつでも出られる状態で待っている。
夜会の経験はないエレナだが、両親と共に公務や式典に参加することはあり、その際、壇上に上がることが多いため、このような状況には慣れている。
「エレナ、大丈夫?」
クリスは控室についてからも甲斐甲斐しくエレナのことを気に掛けている。
さすがの両親も少し心配そうにエレナの様子をうかがっているが、その役割をクリスに譲って特に声をかけることはしない。
「ええ、お兄様が協力してくれて、何度もダンスは練習できたもの。大丈夫だと思うわ」
対してエレナは主役であるはずなのだが、驚くほど普段通りである。
緊張しているのが本人よりも家族というのは、どこの家族でもあることなのだ。
そうして他愛のない会話をしながら入場のタイミングを待っていると、控室に声がかかった。
四人はすぐに立ち上がって、王族としての公務モードに切り替えると、入場のために控室を出るのだった。
会場に王族の入場がアナウンスされると、雑談をしながら待っていた貴族たちは会話を止めて壇上に注目した。
国王と王妃に続いて、いつも一人で現れるクリスの傍らにはエレナがいる。
エレナと並んで歩いているクリスは、王子様だった。
いつもはかわいらしい夜会の癒しとなっているクリスが、年頃の男性に見える。
そのことに彼らは驚いていた。
そもそもクリスはお茶会だろうと夜会だろうと女性を伴って参加することがない。
並んでいるのは護衛の男性が多い。
そういうこともあり、普段のクリスは見た目のかわいらしさもあって、お姫様扱いになるのだ。
エレナが学校を見学した際のことを覚えている者は、既知感もあった。
一度のことだったがその時もインパクトは絶大だった。
学校見学の時と違うのはエレナの凛とした佇まいだろう。
そこにいたのはクリスの腕にしがみついてひょこひょこと付いて歩いていた可愛らしいご令嬢ではない。
とてもデビュタントとは思えない堂々とした姿、そして、近寄りがたいオーラと圧を放っている。
エレナを学校で見た令息は、エレナになら声をかけられるだろうと狙っていたが、まずはこの圧に負けずに話ができるようにならなければ近付くことも恐ろしいと思わせた。
そのため彼らの視線はおのずと癒しを求めてクリスに向いた。
令嬢たちはというと、流行を生んだ本人が見られるとミーハーな気持ちが強かったが、本人を目の前にした途端、纏う高貴なオーラに当てられて、ボーっとしてしまっている。
クリスの可愛らしさにうっとりするのとも、ブレンダのかっこよさに惚れてしまうのとも違い、信者にでもなりそうな空気だ。
そして彼らのクリスを見る目も変わった。
学校の時よりも背が伸びているクリスでも、屈強の護衛たちと並ぶと華奢に見える。
それがクリスの可愛らしさに拍車をかけていたのだが、いつもと違いエレナへの対応は正に王子様だ。
いつもの可愛らしい癒しとして男性からの目を引いただけではなく、女性からは憧れの王子様という目で見られるようになった。
そこでエレナだけではなく、クリスにも特定の女性がいないということに、彼女たちは気が付いてしまった。
今まで遠くから眺め、癒しとして共有していたクリスを、男性として意識するきっかけになったのである。
気が付いた令嬢たちはこの時、クリスを庇護の対象ではなく、捕獲対象として定めたのだった。
壇上に揃ったところで、国王が開会の挨拶をした。
この後、各貴族が挨拶に来るのだし、とくに重要な発表があるわけではないので長く話す必要はないと考えてた国王は短めにスピーチをした。
「こうしてエレナも無事に社交界に出た。クリスも間もなく成人だ。この先もクリスと共にこの国を支えてくれることを期待している」
いつもと違うのは最後にこの言葉が加わったことくらいだ。
挨拶が終わるとわらわらと列ができる。
もう順番は決まっているようなものなので、誰が何を言わずとも勝手に並んでくれる。
その間に王族たちは椅子に座る。
中央に国王と王妃が座り、国王の横にクリスが、王妃の横にエレナが座った。
挨拶が終わると、終わった者たちがドリンクを手に歓談を始める。
挨拶の列がなくなり、少し落ち着いたところで音楽が始まると、いよいよダンスなのだが、挨拶の列がなくなるまでが長い。
これを全部笑顔で受け流すのが王族の役目だと聞いていたエレナは、一言も発することなく、笑顔で人形のように座っていることになった。
列が途切れ、壇上に王族の実が残されると国王がクリスに言った。
いつも通りの挨拶をしようと努めている令嬢たちの、クリスを見る目が変わったことに気が付いたのだ。
「お前が良い伴侶に恵まれることを祈っているぞ」
「ありがとうございます。私も祈ってみますね」
クリスもそのことには気が付いていたがとりあえず平常運転で小首を傾げてにっこりと笑う。
「いや、クリス、そうではないだろう?」
思わず大きな声を出したくなった国王だったが、表情をあまり変えず、声も押さえて言った。
眉間にはしわが寄ってしまったがそれは仕方がないだろう。
「そうですか?」
そう答えてクスクスと可愛らしく笑うクリスを見ながら国王はため息をついた。
「それに今日のメインは私ではなく、デビュタントを迎えた方々です。皆さんダンスの時間が来るのを緊張しながら待っているようですよ」
クリスと国王がそんな話をしていると、王妃に準備するように言われたエレナが、しずしずと二人の近くにやってきた。
さすがに見られていることをきちんと意識しているのか、貴族の所作である。
「あの、お兄様……」
エレナが側に来たため、クリスは立ち上がってエレナの手を取った。
話が途切れたのでちょうどいいと感じたのだ。
「それではお父様、僕はエレナと踊ってまいります」
「そうか……」
残念そうにそうつぶやいた父親に、エレナは話の邪魔をしてしまったのではないかと思いながら声をかけた。
「お父様、お兄様をお借りいたしますね」
「いや……」
借りるも何もない。
エレナに声をかけようとした国王だったが、その言葉を遮るようにクリスがエレナの手を引いて離れていくので諦める。
二人は壇上から降りるために階段まで移動したのだ。
それを見ていた楽団は二人の準備が整ったのを確認すると、ダンスの音楽を奏で始めるのだった。




