夜会当日の準備
こうしてエレナのドレスの準備も練習も順調に進み、クリスの方でもエレナのためにとこっそり手配が行われ、いよいよエレナはデビュー当日を迎えることになった。
昼食の後、早い時間から湯浴みをさせられ、希望通りに縫製されて戻ってきたドレスを着て、髪を結われ、クリスと一緒に選んだアクセサリーを身につけて、最後にヒールに履き替え、準備が整う頃には夕方になっていた。
そろそろ夜会の参加者が馬車でホールに集まってくる時間だという。
「夜会の準備ってこんなに時間がかかるのね」
お茶会の主催の時はお菓子の準備やお茶の準備をする時間だから朝から始めるのは当然だと思っていた。
だが夜会は主催でもないのに、主催のお茶会と同じくらい準備に時間がかかっている。
ドレスに着替えていつも通りにしていればいいと考えていたのだが、そうはいかないらしい。
ちなみに公務で正装をする時ですら、ここまで時間をかけた記憶はない。
これを夜会の度にやるのかと考えるとエレナは微妙な気分になった。
「皆もこんなことを毎回していては疲れてしまうんじゃないかしら?」
真剣な顔でエレナがそう言うと、侍女たちは一度顔を見合わせてから反論を始めた。
「いいえ!我々はエレナ様を輝かせることを誇りに思っておりますから、疲れるなんて!むしろ名誉なことでございます!」
「エレナ様は普段はこう、どちらかというと私たちに近い装いをされることが多いですし、外出の機会も少ないですから、なかなかこうして着飾っていただくことがないので私たちは腕をふるうところが少なくて、むしろ残念だったくらいですわ!」
「そうです!これからは私たちがうんとエレナ様をお引き立てして見せます!この時が来るのをずっと待っていたのですから!」
「むしろ毎日このくらいしてもいいと思います!」
さすがのエレナも侍女たちの気迫に驚いた。
怖気づくようなことはないが、そんなに真剣に訴えてくるようなことなのかと首を傾げている。
「皆、確かに私は今日の夜会がデビューだから失敗できないけれど、あなたたちまでそんなに緊張しなくてもいいのよ?」
エレナの見た目で何かトラブルが起こったら連帯責任になるのではないかと、彼女たちが不安に思っているのだと勘違いして、エレナは彼女たちを落ち着かせようと言った。
「そうではございませんが……」
年齢の高い侍女がエレナの反応を見、ふと思い返して気が付いた。
たぶんエレナにはわからないのだと。
エレナは幼い頃、同年代の女の子たちと遊ぶような機会には恵まれていなかった。
そして、その頃の子供が遊ぶような遊びもあまりしていなかった。
その一つが人形遊びだ。
エレナは人形を着飾ったり、おしゃれをさせたりするような遊びはしてこなかった。
人形を見せ合って、それを競うようなこともなかった。
エレナには人形を見せてくれるような友人もいないし、持ち物に人形は存在しない。
両親もエレナが王宮内でできる好きなことをさせておけばいいだという考えになってしまっていたため、いつの間にか普通の子供と同じようにという感覚を失ってしまっていた。
気が付けばいきなり実践で料理、刺繍、掃除、洗濯など覚え始め、大人になったら役に立つようなことはたくさん習得しているが、そういう感情も感覚も育つような環境に育っていないのである。
つい、流行になるような刺繍デザインになった大判のハンカチですら、おしゃれをしたいという気持ちが前面に出たものではなく、おしゃれなものを実用的にアレンジしたものというのが正しい。
美しいものが実用的になったことで、その素晴らしさが認められて、商品化された結果、購入できる大人たちに注目されて、最終的に流行へと繋がったものなのだ。
美的な感覚も、大人が勉強という形で埋めてしまっているから、大人から見れば素晴らしく良くできた子供だが、侍女たちがエレナを可愛くしたい、自分たちが楽しいから着飾りたいという気持ちに寄り添い、すぐにそれを理解するのは難しいのだ。
そこに気が付いた侍女がどう説明しようか考えていると、エレナが言った。
「でも、皆が私のために頑張ってくれるのは嬉しいわ。私も気合を入れていかなければいけないわね。一緒に立ってくれるお兄様にも、こうして頑張ってくれた皆にも恥をかかせるわけにはいかないもの」
気合を入れることは間違いではない。
だからそれを否定することはできない。
エレナの思考がずれた方向に向かってしまったことに気が付きながらも訂正できないまま、侍女たちはとりあえず笑顔で肯定した。
エレナにとって、今日が失敗できない日であることは間違いないのである。
勘違いについての説明など、今日の夜会に比べたら大事なことではない。
「大丈夫ですよ、エレナ様。エレナ様は普段からしっかりとなさっていますから、いつも通り振る舞っておられるだけでいいのです」
侍女がそう口にしたところで、少し前から様子をうかがっていたクリスが声をかけた。
「彼女の言う通りだよ。私も一緒にいるんだから、そんなに気を張らなくていいからね」
「お兄様!」
声のした入口の方を見たエレナはその姿を確認すると明るい表情で立ち上がった。
声がかかってその場で慌てて頭を下げていた侍女たちは、エレナが立ち上がるのに合わせてエレナから距離をとり、道を開けた。
クリスはいつものように駆け寄ってきそうなエレナを制して、開かれた道を通ってクリスはエレナの前まで行く。
「今日のエレナはとてもエレガントな感じなんだね。いつものかわいいお姫様とは違っていてこういうのもいいと思うな」
「そう言ってもらえたら嬉しいわ。お母様と決めたドレスに、お兄様の選んでくれたアクセサリーに、飾るのは皆がやってくれたの。皆の総力がこうして結集されているのよ。少しでも大人に見えたら嬉しいわ」
迎えに来たクリスもセットになっていたアクセサリーを身につけている。
二人が並べば明らかにペアであると認識される仕上がりである。
「後は公務との気みたいにゆったり余裕を持って接していけば充分だよ。前のダンスの時みたいにはしゃいだら、幼く見えてしまうからね」
そう言ってエレナの前に立つとクリスは手を差し出した。
「わかったわ」
クリスはエレナが差し出された手をとったので、ゆっくり歩き始めた。
エレナもクリスにエスコートされて、ダンスの帰りに練習したように歩く。
そもそもクリスはエレナの準備ができたと聞いて、会場に向かうため部屋に迎えに来ただけなのだ。
この二人が並ぶ様子はいつ見ても眼福なのだが、今日は一段と素晴らしい。
会場に行けない侍女たちは、ここで二人の並ぶ姿が見られたことを神に感謝したくらいだ。
だが、当人たちはそんなこととはつゆ知らず、二人からすれば自宅で開催されるパーティに出るだけなので、ちょっと出かけてきますといった気軽さで会場に向かうのだった。




