外からの呼びかけ
クリスとケイン、二人を乗せた馬車は倉庫の近くで止まった。
クリスが自ら周囲を囲んでいる騎士たちと話をするため一人で馬車を降りた。
ケインは馬車の中で待っているようにと言われたため一人馬車に残された。
遠くの方ではクリスと護衛がやり取りしているようで、言葉は聞き取れないが、話している様子だけがケインの乗っている馬車の中に伝わってきた。
出ていってもできることはないため、しばらく馬車の中で待っていると、その扉がノックされた。
「はい」
ケインが返事をすると、扉がゆっくりと開かれた。
その扉の先にはカゴを抱えた料理長が立っている。
「クリス様でしたら、騎士の方と話をしにいかれましたが……」
一度エレナがクッキーを持ってきてくれたときに一緒にいた人だとすぐに気がついたケインは、料理長にそう言った。
「はい。存じております」
「では、なぜここに?」
料理長がなぜ倉庫の近くになどいるのかわからない。
ケインはとりあえず用件を確認することにした。
「実はあなた様にお願いがございまして……」
「私に、ですか?」
「はい」
料理長は自分に用があるという。
ケインは学校に行く途中に知らされ、今朝結論を出したばかりである。
自分が今日、ここに来ることを知っている理由はわからないが、とりあえず自分に関することであるなら話を聞いてみようとケインは先を促した。
「どのようなお話でしょうか?」
「いえ、これからあなた様がエレナ様の説得に向かわれると噂で伺いまして……」
「私もさっき聞いたばかりでよくわからないのですが、そうなると思います」
ケインもどうしていいか分からないままだ。
馬車の中から倉庫の方を見ても、倉庫を囲むように騎士たちが配置されているため何も確認できないのだ。
「エレナ様は、倉庫の中に入ってから、おそらく何も口にされていないのです。ですから、もし、少しでもエレナ様が扉を開けてくださるようでしたら、こちらをと思いまして作ってまいりました」
料理長はかごにかぶせた布を取って中身の説明を始めた。
「小さいパンを焼きまして、そこに切り込みを入れて色々なものを挟んでおります。そのまま手で召し上がりやすいと思いましてこのようにいたしました。こちらは果実水で、こちらが水、そしてグラスでございます。それから、焼き菓子もいくつか作ってみました」
丸いパンの上部には切り込みが入れられていて中には肉や卵などが挟んであった。
果実水と言われた水にはレモンが浮いており、水との区別がつけやすいようになっている。
お菓子は小さい袋に収められており、それだけを取り出して渡すこともできるように工夫されている。
中身を検めたケインは、料理長からカゴを受け取った。
「わかりました。美味しそうなものばかりですし、少しでも食べてもらえるように話してみます」
「よろしくお願いいたします。私は倉庫に近づくことも許されないもので、心配なのです。他に必要なものがあれば作りますので、遠慮なくお申し付けください。それでは失礼いたします」
料理長はそう言って足早に立ち去っていった。
「ケイン、どうしたの?」
騎士たちと話がまとまったのか、クリスが馬車に戻ってきた。
馬車の扉が開いているため不思議そうに首を傾げている。
「さっき、料理長だっけ?エレナと一緒にクッキーを持ってきてくれた……」
「それは料理長だね。どうしたの?」
「彼がね、これをエレナにってここに持ってきたんだ。彼は倉庫に近づくことができないって言って……」
ケインは受け取ったカゴを開けて中身を見せながら言った。
「ああ、護衛たちが倉庫には誰も近づけるなって、使用人たちも寄せ付けない体制になっちゃってるんだよ。誰でも彼でも近づけたらエレナが危ないからね。扉が壊れて開いたりしたらさ、その時エレナの一番近くにいるのが、任せられない人ってわけにはいかないからさ。まあ、エレナが自分から開けることはそうそうないと思うから、そうなったら不測の事態なんだけど」
「確かにそうですね……」
「今、周辺を包囲しているけど、倉庫からの距離は取らせた。ケイン、エレナのこと、お願いするよ。一度扉の前まで一緒に行って、声をかけてみるけど……」
「わかりました。やってみます」
ケインはカゴを持って馬車から降りた。
「じゃあ、行こうか」
そう言って先に歩き始めたクリスを、ケインは追いかけるのだった。
二人が途中にいる騎士でできた人垣を越えて、倉庫の前に着いてからすぐ、何度かクリスが声をかけた。
やはりエレナが呼びかけに応じることはない。
「こんな感じなんだ。ちょっとケインにも声をかけてもらいたい。私たちは離れたところに待機しているから何かあったら呼んで」
そう言い残し、クリスが手元に持っていた火のついていないランプを近くに置くと、自分の護衛を連れて騎士と同じところまで下がった。
ケインは大人たちが離れた場所からじっとこっちを見ているのを一瞥してから、目の前に立ちはだかっている扉に向き直った。
ケインは扉を見上げて、とりあえず扉を強く叩いてみることにした。
しかし、力いっぱい叩いても、鈍い音がして手が痛くなるだけだった。
おそらく中には落とすら響いていないだろう。
クリスの話では、ときどき中から物音が聞こえると騎士たちが話していたというのだから、音なら届くのかもしれない。
とりあえず大きな声を出して返事がないか確認することにした。
「エレナ様、大丈夫ですか?」
呼びかけてからすぐ、ケインは口を閉ざして耳を澄ませてみるが、騎士の報告のような音はしない。
しかしケインは諦めることなく、何度もエレナの名前を呼ぶ。
「エレナ様、エレナ様!」
ケインは呼んではその返事がないかを確認し、返事がないことを確認してはまた呼びかけるという事を繰り返すのだった。
離れたところではクリスがケインと、その先にある倉庫の様子をじっと見つめていた。
離れた場所にいても聞こえる呼びかけが始まると、その声が少しでも中に聞こえるように、騎士たちを黙らせる。
「始まったようだから、みんな静かに見守ってね」
クリスが上目遣いで言うと、騎士たちは黙って敬礼した。
それを確認したクリスがにっこりとほほ笑むと、その笑顔に思わず見とれた騎士たちからはため息が漏れる。
そんな騎士たちの態度など気に留めることもなく、クリスは騎士たちが不審な動きをしないか注意深く観察する。
父親はここに顔を出すと言っていたが、まだ執務中なのか姿を見ていない。
そのため、この場を仕切れるのはクリスしかいないのである。
二度と同じ過ちは繰り返すまいと、クリスは周囲の動きに神経をとがらせるのだった。




