籠城
大人たちが押し入ってきた部屋から脱出したエレナがあてもなく走っていると、大人たちの声が遠くから迫ってきた。
逃げられないと思った時、近くにレンガでできた倉庫があることを思い出した。
このままではどちらにしても追いつかれてしまうと、望みをかけて倉庫に向かうことにした。
エレナが倉庫にたどり着くと幸い周囲には誰もいなかった。
たどり着いたものの、扉が開かなければ他の逃げ場所を探さなければならないと思っていたが、幸いにも倉庫の鍵はかかっていなかった。
エレナが扉に体重をかけて力いっぱい押すと、自分が入れるくらい開いた。
エレナは倉庫の中に飛び込んで扉を締めて閂をかけると入口の近くに座り込んだ。
明かりを持っていないエレナは倉庫の入口近くの壁に寄りかかって、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
扉付近には少し隙間があり、外が明るい間はそこから薄っすらと光が入り込むようで、倉庫の中は思っていたほど真っ暗ではなかった。
しばらく時間が経つと、扉の隙間から大人の話す声が聞こえるようになった。
やがてその数は多くなり、場所が特定されたことがエレナにもわかった。
暗闇にも目が慣れて少し奥のほうも見えるようになったエレナは、足元に気をつけながら静かに棚の方に近づいていった。
少しでも光が入っているうちに、倉庫の中にあるものを見ておこうと考えたのである。
なんとなく使えそうだと思われるもののシルエットを見つけては、扉の前まで運び、差し込む外の光で自分の持ってきたものを確認する。
エレナが手当たり次第に箱を開けたりしていると、たくさんの使いかけのろうそくの入っている物にあたった。
ろうそくは庭で夜の食事会を開く時に使っているものと同じものである。
幸い、マッチも一緒に入っていたが、ろうそくを立てておく皿がない。
エレナは光がもれないよう、影になる場所で一本のろうそくをつけると、そのろうそくから火を移して奥の方へと明かりを広げていった。
薄暗かった倉庫が温かい明かりに照らされ、ろうそくを増やすごとにその明かりが広がっていく。
しかし、たくさんのろうそくが入っているとはいえ、数は限られている。
このような使い方をしていては一日ともたない。
持ち運べるように燭台やランプのようなものを見つけないと、夜には怖い思いをするかもしれない。
エレナは何とか代わりになるものがないか考えながら倉庫の中を漁るのだった。
やがて長く飲食をしなかったため、お腹が空いたりのどが渇いたりという感覚がなくなっていた。
結局、燭台の代わりになるものは
ずっと気を張っていたせいで疲れたのか、頭痛と眠気がエレナを襲った。
太陽の光はいつの間にかうっすらと暗く赤く変わっている。
きっと起きたら朝になっているだろうと思ったエレナは、扉の近くまで戻ると、近くに火を着けていないろうそくを数本置いてマッチを握りしめ、膝を抱えると、そのまま眠りに落ちるのだった。
「なんてことをしてくれたんですか!」
あまり声を荒らげることのないクリスが夕食の時間、両親に噛み付いた。
「私達はエレナの様子を見てきてほしいと頼んだだけだったんだが、伝え方が悪かったようだな。それでエレナは……」
「まだ見つかっていないようです」
「そうか……」
国王がクリスと話をしながら、護衛に確認するが状況は変わらない。
「もしエレナに何かあったら、私は両親であってもあなた方を許すことができません」
「クリス、落ち着いてちょうだい」
王妃が母親らしく穏やかになだめようとしたが、国王がそれを打ち消した。
「しかし、走って逃げたというのだから、怪我はしていないんだろう?」
「そういう問題ですか」
「大事なことだ」
「怪我はしていないと思いますよ」
窓からエレナが走って行く様子を確認していたクリスは冷たく言い放った。
「それにしてもエレナは、いつ木登りなんてできるようになったのかしら?」
二人が喧嘩にならないよう、おっとりと王妃が話を振ったが、クリスは大きくため息をついて言った。
「登ったのではなくて降りたのです。追い詰められて逃げることに必死だっただけでしょう。それだけ出て行きたくなかったのに、部屋に押し入って捕まえようとするなんて。しかもそのせいで私の信用までなくなってしまったではないですか。場所がわかったとしても私が行って説得することはできませんよ。きっと話も聞いてくれないでしょうね」
クリスが冷たい空気を発して食事を進めていると、その席に騎士のひとりが現れた。
彼は先ほどエレナの部屋に踏み入った騎士たちである。
「あの、エレナ様ですが……」
「何かわかったの?」
国王が話しかけるより先にクリスが尋ねた。
「はい。どうやらレンガ倉庫に籠城しているようでございます」
「そう。で、どうやって出てきてもらうの?」
クリスが両親に向けていた冷たい視線を騎士に向けると、騎士は恐怖で黙りこんだ。
「クリスは気が立っている。私が話を聞こう」
国王に助け船を出された騎士は報告を始めた。
「は、はい。まず倉庫には窓がなく、扉は閂をかけられると大人でも解錠してもらわなければ開けるのは難しいです。なんとかエレナ様に鍵を開けていただかないといけません。夜になったら出てこられるかもしれませんので交代で見張りをたてるつもりでございますが……」
「見張りの許可を出そう」
「ありがとうございます。では早速手配いたします」
騎士の一人はそう言って逃げるようにその場を後にした。
報告に来た騎士の背中を冷たい目でしばらく追いかけてから、クリスは国王の後ろで護衛をしている騎士団長に言った。
騎士たちは独断ではなく彼の指示で動いたのだ。
「たぶん、出てこないよ。エレナはね、暗いからとか、怖いからとかそんな理由で信念を曲げるような子じゃない。だから本人が納得するまでちゃんと説得しようとしたのに、それを君たちが台無しにしたんだ」
「申し訳ございません」
「学校に行くくらいでエレナを守れないなんて、この国の近衛騎士たちはそこまで無能なの?守られている側としては心配になるよ」
クリスから毒の強い言葉が次々と出てくる。
しかし騎士団長は動じることなく答える。
「近衛騎士も万能というわけではございません。万が一のことを考えてのことです。どうかご理解ください」
「私はいいんだよ?だって、通っているんだから。エレナは?何のために職人まで呼んで技術を身に付けさせたの?」
「それは将来エレナ様の価値が下がらないように……」
その答えが不服だったクリスは、淡々と冷たい声で話を続けた。
「そうか。私には将来国王という地位があるけど、エレナはどうなるかわからないものね。別にエレナ一人くらい生涯養っていけると思うけど?過去に貰い手のなかった王族はそうしてここで生きていたのでしょう?」
「そういう方もおられましたが、風当たりもたいへん強くなりますから、あまりおすすめできるようなことではございません」
「すでに今、エレナがどうなっているか、わからないけどね」
クリスは彼らを責めているが、それを止めることすらできなかった自分のことも責めていた。
口にしてしまった通り、エレナがどうなっているのか分からない状態であることが、本当はとても不安なのである。
「見張りはついておりますから……」
「中の様子は?」
「わかりかねます。声をかけても返事はありませんが、時折物音が聞こえるようなので、おそらく大丈夫かと……」
「エレナに何かあったら、さすがに皆を許すことはできないかな」
「……」
エレナが倉庫に引きこもってから、クリスの機嫌が悪い。
流石に食事を取らないようなことはしないが、これ以降、両親と席が一緒になっても会話をすることはなかった。
翌朝、クリスはケインが迎えに来る前に、エレナのいる倉庫へ様子を見に向かった。
交代で見張っている騎士に話を聞くが、特に変わりはないという。
「行ってくる。帰ってきたらまた来るからね」
クリスは固く閉ざされた扉に向かって声をかけて、しばらく待ってみたが、エレナから返事はない。
自分が呼びかけても返事一つ返ってこないことに少し落ち込みながらもクリスは倉庫の前を後にするのだった。




