サバイバル学習の開始
クリスはケインをしっかりと売り込んだところで本題のサバイバルの授業に話を戻した。
「あ、そうだ、サバイバルのことなんだけど、エレナの家庭教師に体験談を語ってもらったり、知識については説明をしてもらおうと考えていたんだけど、自分が経験したことのないものを説明するのはちょっと難しいのかなって思うんだ。だから、家庭教師と相談して、エレナにどう説明するか、すり合わせてほしいな。二人で説明して、家庭教師が分からないところを補ってもいいし……いや、面倒だから二人で一緒にエレナを教えてもらった方がいいかもしれないな。毎回じゃなくていいんだけれど」
騎士団員なら野営の経験はあるが、家庭教師はそのような経験はないはずだ。
その理屈は分かるが、騎士団長は難色を示した。
「しかし私がエレナ様のお部屋を尋ねるわけにはいかないですし、家庭教師のご婦人を訓練場にお招きするのも気が引けるのですが……」
騎士団長の言い分を理解したクリスは笑顔で言った。
「そうだね。じゃあ、日時だけ決めてくれたら会議室とか面会室とか二人の居心地が悪くならないような場所を押さえておくよ。決まった日に空いているところを抑えることになるから、今すぐどこになるとは言えないけど……」
「かしこまりました。それでは先のスケジュールが決まりましたらお持ちします」
「わかった。家庭教師の方は私から確認しておくから、二人の予定を見て私が決めて、決まったら連絡する、でいいかな?」
「はい。それでお願いいたします」
接点のない二人に直接会って相談しろというのは酷だ。
そのためその役目はクリスが請け負う。
そして口にはしなかった騎士団長の憂いを取り除くことも忘れない。
「当日はちゃんと侍女もつけるし、家庭教師は女性だけど二人になるような場面は作らないから安心してね。あと、その日のエレナの護衛騎士たちも騎士団長の授業を聞くことになるから、そこも踏まえて人選してほしいかな」
念のため、クリスはサバイバルの授業を受ける日の護衛騎士を選定しておくようにと言いつける。
その授業を受けていることを知るものは少ない方がいい。
エレナがそういう授業を受けている時点で外での訓練をすることを察するはずだ。
できれば当日同行予定の者を常に立ち会わせるようにしたいというのが本音である。
知っているものが多いと、それが騎士団内全体に知られて大変なことになる可能性が考えられた。
特にエレナ信者となっている今期の新人は、エレナを守ると全員がエレナの護衛任務を希望するに違いない。
エレナの実地訓練では騎士団長などもそちらに出向くので彼らを抑えられる者がいない。
そんな中で、新人が暴走するのは防ぎたいのだ。
騎士団長もすぐに意図は理解した。
「そのようにいたします」
「お願いね」
できるだけこの座学を引き延ばし、できればそんなものには挑戦したくないとエレナに言わせて、実技的なものは先送りしたい。
そう考えながらも、この授業に入る時点でそうならないことは明白だ。
エレナなら座学を受けたら早く体験したいと言うだろう。
二人とも表情には出さないが気が重いのは同じだ。
こうしてエレナの知らないところで次の授業内容が秘密裏に決められていったのだった。
クリスと騎士団長の間で密かに調整が行われた数日後、エレナは新しい授業が受けられると聞いて朝から楽しみだと上機嫌だった。
そうはいっても騎士団長と家庭教師のスケジュールは調整中で最初から二人が講師となる授業を行うわけではない。
この日はこの先の授業について、いわゆるサバイバル学習に関する導入部分が家庭教師から説明されることになっている。
「先生、今日は新しいお勉強をすると聞いたの。何をするのかしら?」
部屋にやってきた家庭教師に、エレナは弾んだ声で尋ねた。
エレナは勉強が好きな訳ではないが好奇心が旺盛なのだ。
「そうですね、サバイバルの訓練をそろそろ始めるのもよいかもしれないという話になっていると聞いております」
訓練のことは教えられないと言った手前、自分が訓練の内容を教えると家庭教師は言葉にすることはできない。
事実、家庭教師にもその知識やスキルあるとは言い難いのだ。
「サバイバル?それはどんなことをするものかしら?」
初めて聞く言葉にエレナは首を傾げている。
「はい。遭難した時や不足の事態に陥った時、生き残るための処世術にございます。私自身、授業を行うには実際の経験が足りないので、専門的なことはうまく説明できないと思います。ですから、本日はおおざっぱにどういうものなのか、今後どういう授業を行うのかについて説明させていただきます。専門的なところや実践的なところについては、私と騎士団長が一緒にエレナ様にお伝えするというお話になりました」
「先生の説明がおおざっぱになるなんて珍しいわね。それだけ難しいことに挑戦するということかしら?」
先生の授業はとても丁寧だ。
分からないことがあればすぐにかみ砕いて説明してくれる。
だが、今回はそれが難しいということだ。
先生にも説明できないような難しいことを勉強すると聞いて少し不安になったのか、エレナはそう尋ねた。
「そうですね、最終的にはその知識を生かして実践できなければ意味がありません。知っているだけでは何の役にも立たない可能性があると言うものです。そしてその実践経験を持つのが騎士団の皆さんです。緊急時以外にも野営が意図せず長期化する場合などにも必要な能力です。ですから経験のある騎士の皆さんはよくご存知かもしれませんが、それ以外の者にはあまり縁のないものです」
「まあ。でも先生だけじゃなくて騎士団長も一緒に授業をするということは、私に必要なことなのでしょう?」
驚いた声をあげながらもエレナの目は真剣だ。
やらなくていいことならきっと教えられることはない。
家庭教師と騎士団長が一緒になって教えなければいけないという内容なのだから、必ず身につけろと言われているようなものである。
「王族の皆様には必須かと思います。以前クリス様が大変疲れてお戻りになったことがあったと聞いておりますが、おそらくその日に実践的な訓練を行ったのでしょう。今度はエレナ様の番ということです。ですが知識もなく実践というわけにはまいりません。そこで、騎士団長が実践的な指導を、私が知識の補助をさせていただくことになりました。騎士団長の説明で分かりにくい部分があれば私も質問させていただけますし、その場でエレナ様と共有する方が、効率がいいと判断されたそうです」
必須の授業だが、先生の経験では抜けがあり、それを補うため騎士団長に授業をしてもらう必要があるという。
実践的な授業を騎士団長が行っている場に先生が同席するということは、先生も授業を受けると言うことだろうかとエレナはそう判断して尋ねた。
「じゃあ、先生も一緒に授業を受けると言うことかしら?私、同じ授業を複数人で受けるという経験がないから、そうだったら嬉しいわ」
「確かに今回は私も騎士団の方がどのような説明を受けているのか知る機会をいただいているようなものですから、そう思っていただいてかまいません。ご一緒できるのが楽しみです」
厳密には違うのだが、嬉しそうにそう言ったエレナに家庭教師は笑顔で答えた。
もしかしたらその方向で調整した方がうまく行くかもしれないと思ったのだ。
サポートしてもらうはずの人が生徒になったのでは騎士団長の負担が増すかもしれないので相談になるが、おそらく問題ないはずである。
そう思い直したところで家庭教師は授業の本題に入ることにしたのだった。




