訓練場で見たもの
こうして自然とブレンダが視察に同行することになった。
クリスの横に案内をするためにブレンダが、護衛騎士はその後ろからついて歩く形となっている。
しばらくそうして歩いていたが、ブレンダが曲がり角に差し掛かったところで急に足を止めた。
そんなブレンダを見て黙ってクリスも立ち止まる。
護衛騎士はクリスに合わせて、意味も解らないまま黙ってその場に立ち止まった。
「静かにお願いしますね」
ブレンダが小声で言うと、クリスも護衛騎士もうなずいた。
ブレンダにはこれからここで何が起こるのか分かっているらしいが、クリスからも護衛騎士からも死角になっているのかよくわからない。
皆はその先の廊下の様子をうかがっているブレンダをじっと見ていることしかできないのだった。
そのまま少し待っていると、彼らの耳に騎士の声が聞こえてきた。
「エレナ様!今日も訓練ですか?」
「そうなの。皆の騎士団長を借りてしまって申し訳ないわ」
どうやらエレナとすれ違いになった騎士がエレナに声をかけているらしい。
ブレンダがクリスの隣にいて、エレナが訓練場にいるのだから今日の指導は騎士団長が行っていたのだろう。
しかし会話の中で騎士団長の声は聞こえない。
「そんなことは気になさらないでください」
「そうですよ!騎士団長ならどんどん貸し出しいたしますから。ご指名があれば我々もお手伝いいたしますし」
自分の腕に自信があるのか、騎士団長がいない方が訓練が緩むから喜ばしいと思っているのか、単純にエレナを応援したいのか、複雑なものが混ざり合った声がエレナに掛けられている。
「ありがとう。騎士団長に相談してみるわ」
会話から声をかけた騎士は少なくとも二人いることが分かる。
そして会話が終わるとすぐ騎士たちの足音は遠ざかっていった。
少しすると、また別の騎士たちがやってきたのか、似たような挨拶と、気さくな会話を繰り返している。
騎士たちも長く話すことはしないようで、挨拶と近況などを離したらすぐに立ち去るのだが、壁に隠れてその様子を覗き込んでいたクリスの目から見ると随分と親しげに映る。
エレナは周囲に誰もいなくなって声をかける者がいなくなると、再びどこかに向かって歩き出そうとした。
クリスがちらっとブレンダを見上げると、ブレンダは黙ってうなずく。
それを合図にクリスはエレナの前に偶然を装って出て行った。
「エレナ」
名前を呼ばれたエレナは驚いてこれのする方を向いた。
「まあ、お兄様?お兄様も訓練ですか?」
「僕のは視察かな。エレナの訓練は終わったの?」
「ええ。ちょうど終わりにしようと思っていたところよ!これから騎士団長に声をかけに行くところだったの」
話によるとエレナは少しの間、自主練習をしていたらしい。
騎士団長はその間に仕事を進めるため、エレナの指導を終えていた。
エレナにも護衛がついているので一人というわけではないが、護衛がついていながら別の男性騎士が容易に話しかけているのはどういうことなのかと、クリスからすれば少し思うところがあった。
「じゃあ、一緒に行ってもいいかな?」
「もちろんよ!」
こうしてクリスはエレナと騎士の会話のことには一切触れずうまくかわした。
つまりエレナも先ほどの会話についてはあまり気にしていないということだろう。
とりあえずクリスはエレナと一緒に騎士団長のところに向かうことになった。
「騎士団長」
エレナはノックをしてから静かにドアを開けて、部屋の中を覗き込みながら騎士団長に声をかけた。
騎士団長はすぐにその声に気がついて、立ち上がった。
「エレナ様、お疲れ様でした。クリス様……」
エレナの後ろに笑顔で立っているクリスに驚きながら騎士団長はクリスにも声をかけようとすると、エレナが先に話を始めた。
「今、廊下で会ったの。今そこでお兄様に聞いたのだけれど、今日は視察の日だったのね。そんな日に訓練の予定を入れてしまってごめんなさい。私も一緒に見ていた方がよかったかしら?」
「いえ、大丈夫でございます」
抜き打ちであることを知っている騎士団長は問題ないと言ったがエレナは首を傾げた。
「そう?」
「とりあえず中にお入りください」
エレナはともかく、クリスが外にいるのは目立つ。
騎士団長はすぐに二人を中に招き入れた。
「お兄様は騎士団長の案内がなくてよかったの?」
エレナが尋ねると、クリスは首を傾げながら笑みを浮かべて言った。
「僕は訓練場の配置を覚えているし、気ままに見せてもらったんだ。訓練しているところを見に来たのに、訓練の手を休められては困るからね」
クリスもエレナも公式に来ることが知れたら皆が整列して迎え入れることになってしまう。
そうなれば通常の訓練の様子など見ることはできない。
訓練場は少し特殊な作りで入り組んでいる。
かなり通っているエレナでも、迷いそうになると自分よりこの場所に詳しい護衛騎士に道を尋ねることがあるくらいなのだが、クリスはその道を全て覚えているらしい。
だから護衛を含めて騎士たちには今日ここに来ることは伝えなかったし、一人で歩けるから大丈夫だとクリスが言うと、エレナは納得したようにうなずいた。
「そういうことなら、確かにそうね」
一方、騎士団長は少し渋い顔をしている。
連絡できたら連絡すると言われていたが、自分のところにも連絡は来なかった。
そうなるだろうことは予測していたものの、やはり心の準備ができていない。
騎士団長はそれを悟られないように尋ねた。
「……それで、いかがでしたか?」
「うん。皆、訓練はしっかりとしてくれているみたいだね」
「訓練は、でございますか」
騎士団長はその言葉で全てを察したらしい。
なぜか同行しているブレンダの方をちらっと見ると彼女は笑顔だ。
クリスの押さえたかった現場をしっかりと見せたということだろう。
「話に聞いてちょっと気になることがあったけれど、今回はそれも確認できた。だからこれから対策を考えるよ」
「そうですか……」
「ちょっとあれが常態化しているのなら、あまりよくない気がするけどね。その話はもう少しまとまってからしようかな」
「わかりました」
この会話の内容は騎士団長とクリス、そして事情を察しているブレンダだけが理解していた。
その現場に立ち会っていたはずのクリスの護衛騎士も何の話をしているかわからないため無言のまま、そして廊下で偶然出会っただけだと思っているエレナは、首を傾げることしかできないのだった。




