第16話 車内
環状八号線はもの凄い車の量で、少し進んではまたすぐに止まってしまい、なかなか先には進めなかった。
家にいた時は明るくて気さくで楽しいお父さんだったけれど、いざ2人きりになると、なかなか会話も弾まず、無言の時間が長く続いた。
「ワタル君。」
沈黙を破るように千夏のお父さんから話してきた。
「ハイ!」
「今日は本当に来てくれてありがとう。少し家では騒ぎすぎてしまったかもしれないけど、本当に嬉しく思ったから、ついね。」
「いえ、俺・・・じゃなくて僕の方こそお邪魔させていただいて、ありがとうございました!すごく楽しかったです!」
「私も楽しめた。君が明るい人で嬉しかったよ。最近の千夏は、毎日が楽しそうに生活しているからね。それは君のおかげだと思うし、本当に感謝している。」
「はぁ。いえ、とんでもないです。」
「ところで、あの子の、千夏の病気の事は聞いているのかな?」
少しだけ車のスピードが上がった。
「・・・病気の事ですか?ハイ、本人から最初に聞きました。」
「そうか、聞いているのか。」
「はい・・・。」
車のエンジン音が重たく響いているのを感じた。
「ワタル君。私はね、あの子が病気とわかってから、心配しない日はないんだ。毎日あの子の事を考えて、あの子中心で毎日を過ごしている。もし出来ることなら変わってやりたいとも思う。私が死んであの子が助かるなら、それでいいと。だが実際そんな事は出来るはずもなく、ただただ、私達はあの子を気遣う事しか出来なかった。あの子の体を心配して、そして、心を心配して。だから私達はいつも明るく振舞って、あの子が病気のことを心配しないで生活できるように勤めてきたつもりだ。でもそれは、逆にあの子には重荷だったのかもしれない。あの子は優しい子だから、私達の思いに気付いて、心配させないために、どこにも出かけることもなく、学校が終わればずっと家にいて、笑顔を絶やさないようにして。一番楽しい時期を、私達の為に使ってしまったんだ。だけど、去年からあの子は少しずつ変わった。恐らく君と出会ったからだと思う。心から笑うようになった。楽しそうに毎日を送るようになった。今まで私たちに見せていた笑顔とは違う、本当に嬉しそうな笑顔を見せるようになった。それを見て私は、私達に出来ることはもう無くなったんだなと思った。今以上の笑顔を与えることは私達にはできない。けれど、君にならできる。あの子に幸せな時間を、残された少ない間に与える事ができる。だから、無責任に聞こえるかもしれないが、私達は君に託そうと決めたんだ。私達の為に使ってしまった時間を、今度は自分の為に使えるように。だから本当に君には感謝している。死んでしまう前に自分の為の幸せな時間が作れた事に。」
「・・・お父さんすいません。」
「ん?」
「千夏が病気だとわかったとき、お父さんがどれだけ悲しんだのか、僕なんかには想像が出来ません。もの凄く苦しくて、辛かったと思います。僕も初めて聞いた時はショックでしたから、きっと僕の何倍も何十倍もショックを受けたんだと思います。そして、そのショックを乗り越えるのも大変だったと思います。全てを千夏の為に捧げて、明るく振舞って。でもそれは、きっと千夏は重荷だなんて思っていないと思います。支えてくれる人がいるって思えるだけで嬉しかったと思いますし、生きる力になったと思います。」
千夏のお父さんは黙ったまま前を見つめている。
「それに、千夏の幸せを僕に託してくれるのはすごくありがたいですし、励みにもなります。今以上に楽しく一緒に毎日を送ろうって思います。お父さんが今までしてきた努力を無駄にしないようにしなきゃって思います。だけど」と言って一度言葉を切り、少しだけ間をおいてから続けた。
「だけど、千夏が当然のように死ぬみたいな言い方はやめてください。死にませんから、千夏は。僕は千夏が死ぬだなんて思ってないですから。千夏の思い出作りの為に付き合ってるなんて僕は思ってないですし、この先もずっと千夏と一緒に生きていこうと思ってますから。だから、死ぬことが前提みたいな言い方は止めてください。」
そう言って、また少しだけ沈黙が続いた。
「・・・生意気なこと言ってすいません。」
僕は正面を向いたまま言った。前の車のテールランプが妙に明るく光ってるように感じた。
「・・・そうだな。ワタル君の言うとおりだ。申し訳ない。許してくれ。」
千夏のお父さんが震えた声で言った。それからまた2人とも無言のままだった。
家の前に着き、車を降りるとき、「また、是非遊びに来てくれ!」と言われ、「ハイ。お邪魔させていただきます。」と答えた。
そして、車が見えなくなるまでテールランプを見送った。
正直、千夏のお父さんが言った事は間違っていなかったと思う。
千夏の死を受け入れるまでに、どれほどの覚悟が必要だったか想像なんて出来ない。
その覚悟を決めたからこその言葉だったんだと思う。それでも、僕には許せなかった。
千夏が生き続けると希望を抱いている僕には受け入れることは出来なかった。
希望を持ってしまうと、裏切られた時に訪れる残酷な現実がどれだけ人を深く傷つけるのかわかってはいるけれど、それでも僕は千夏の未来に希望を持ち続けていたかった。
次の日も、その次の日も、僕達はカフェで語り合い、散歩をして、家に帰ってからも電話で遅くまで話し続けた。僕はいつもと変わりないように接していたけれど、千夏のお父さんと話してから、どこかで千夏の病気のことが気になり始めていた。
千夏は死ぬかもしれない、そう思うと胸が締め付けられて苦しくなり、また、そう思ってしまう自分をひどく嫌った。
決して表情には出さないようにしていたけれど、感のいい千夏はもしかしたら僕の葛藤に気付いていたのかもしれない。
それでも僕は、必死に堪えて、いつもと同じように明るく振舞い、千夏もいつもと同じように優しい笑顔で僕に微笑みかけた。