第9話 決意
それから3日が経った。
7月に入り、そろそろまたテストがある時期だけれど、なかなか学校に行く気にはなれなかった。
たまに智明から連絡はあるけれど、面倒くさいという理由で電話を切り、部屋で1日を過ごしていた。「私、死んじゃうから・・・」千夏の言葉が頭の中をループしている。
ショックだった。彼女の病気の事も、いつも笑顔でいる理由も、僕は何も知らずに、彼女の表面しか見ないで、ただ毎日浮かれているだけだった。
彼女の心を知ったとき、何も言葉に出来ないまま、ただじっと立っているだけの僕は、今までの僕となんら変わっていないように感じた。その事に、本気で自分が腹立たしく思った。
それでも僕は、1日中彼女の事を考えていた。
出会ってから2ヶ月間、今まで話した会話の事を、一緒に見た物を、そして、彼女の病気の事を。
千夏がいない未来を想像して、そしてまた、2ヶ月間の千夏との思い出を脳裏に浮かべた。1日中、ずっと。
寝ることもなく千夏の事を考えて、考えて。そして僕は外に出た。外はすでに明るく、時間は朝の8時半になっていた。
バイクのエンジンをかけ、新青梅街道から環状八号線を走った。
そして、小田急線の線路が見えたところで右折し、細い道を抜けていくと、千夏の家の最寄駅に着いた。そこから商店街を抜け、住宅街の角を曲がったところでバイクを止めた。
エンジンはつけたままバイクを降り、千夏の家の近くまで歩いた。時間は9時を少し過ぎた頃。
すると、家から千夏がちょうど学校に行くところらしく、外に出てきた。
僕はドアを閉める千夏に歩み寄って「よっ、おはよ!」と声をかけた。
「ワタル君!」突然の訪問に、ビックリした顔をしている。
僕はヘルメットを被ったまま彼女に近づいて、もう一つのヘルメットを千夏の頭に乗せ、再びバイクのところまで歩いた。
「早く!乗って乗って!」そう僕が言うと、千夏は「え?え?でも、私、学校が・・・。」と言ったので、僕はお構いなしに「いいから、早く早く!」と促して、千夏をバイクの後ろに乗せて走り出した。
世田谷通りから246号線に抜け、そのまま真っ直ぐバイクを走らせた。
交通量は多かったけれど、その車の間をすり抜けるように走った。
もちろん、後ろに千夏を乗せているから、安全には気を使いながら、ゆっくりと走っていった。1時間ほどバイクを走らせ、ようやく目的地に着いた。東京、お台場。
まだ困惑している千夏の腕を引っ張るように歩き、一軒のカフェに入った。
「コーヒーとカプチーノ下さい。」カウンターで注文をしている間も、千夏は戸惑っているように見えた。
コーヒーとカプチーノを受け取り、カフェのテラスに出て、一番端の席に着いた。千夏も僕の後から続き、僕の正面の席に座った。海がよく見える席だった。
「急にどうしたの?」という千夏の質問には応えずに、僕は「これは俺の独り言だから」と言って話し始めた。
「この前、千夏ちゃんに告白して、フラれて、千夏ちゃんの病気の事も聞いて、千夏ちゃんの想いも聞いた。それでね?あれから3日間、ずっと一人で考えた。千夏ちゃんの事を、会ってから2ヶ月間の事を。時々、フラれた理由はもっと別で、俺の笑顔がむかついたのかなとか、耳に穴あいてるのが気持ち悪いのかなとか、そういう関係ないことまで考えた。それで思ったんだけど、それで思ったんだけど、死んだ時に付き合っている人が悲しむから、悲しい想いをさせたくないから、だから付き合うことを諦めたって言ったけど、じゃあ千夏ちゃんの事を好きな人は?俺は?俺は悲しまないって?もしも明日千夏ちゃんがいなくなっても、俺はなんとも思わないって、そう思う?千夏ちゃんに出会って恋して、でもそれは俺が勝手に好きになっただけだから、私が死んでも悲しまないって思う?ぶっちゃけるけど、俺は今まで散々遊んできた。クラブ行って、合コンして、好きでもない女と寝て、その繰り返しで。自分でも最低な男だと思う。千夏ちゃんみたいに純粋で、真面目で、強い人には不釣合いだと思う。似合わないと思う。でも、それでも俺は、千夏ちゃんに出会っちゃったから。出会って、好きになっちゃったから。本当に死んじゃうのかもしれない。それが明日なのかもしれない。でも、来年かもしれないし、5年後、10年後かもしれない。その頃には治療法だって見つかっているかもしれない。そういう希望を俺は持っちゃいけないかな?好きな人のことを、色々と考えちゃダメかな?好きな人と一緒にいたいって思っちゃダメかな?今までずっと周りの人のために努力して、辛さを我慢して受け止めて、でもやっと自分のために前に進みだしたのに、悲しい想いをさせたくないって、また相手のためにって自分に線を引いて、それじゃちっとも変わってないと思う。辛い想いとか悲しい気持ちを一人で背負うのは大変だし、立派だし、簡単に出来るものじゃないと思うけど、その気持ちを、好きな人の辛さを俺も一緒に受け止めちゃダメかな?全部受け止めた上で、それでも一緒にいたいって思っちゃダメかな?だから、こんなこと言うのは良くないのかもしれないけれど、千夏ちゃんの想いも、悲しみも、辛さも、全部俺が受け止めるから、だからもし、万が一、死ぬようなことがあったらその時は、俺の腕の中で眠ってよ。」
そう言って、僕はコーヒーを飲んだ。少し苦くて、冷めたコーヒーだった。
「今日はそのことを伝えたかったのと・・・」と言い、僕は海を眺めた。
「ただちょっと、好きな人と一緒に海が見たかったから。」
そう言って、残ったコーヒーを飲みほした。
それを聞いた千夏は、少しだけ瞳を拭った後、いつもの笑顔に戻って「私も・・・」と言い、「好きな人と海が見たかった。」と言って冷めたカプチーノを口に含んだ。
そしてまた、笑いながら「私、バイクに乗ったの初めて。」と言い、「学校サボったのも。」と言った。
そして、僕は改めて千夏に付き合って欲しいと言い、千夏は優しい笑顔でよろしくお願いしますと言った。