第79話 腐った卵の中身はやはり腐っている
拳は防御行動すら出来なかったサラザールの顎に吸い込まれ――。
「無駄だ、クソガキ」
サラザールの首を、ほんの数度傾けるだけに終わる。
拳をゼアルの力で固めていたというのに、なんの痛痒も与えられなかった。
「はっ。大方こういうつもりだろうと思ったぜ」
サラザールはスマホを後方に放り捨てると、
「死ね」
無造作に剣を叩きつけてくる。
俺はそれを交差した腕で受け止め――。
≪ファイアー……≫
これを、待っていた。
武器一つ持っていなかった俺が、武器を手に入れる唯一の手段。
サラザールは確かに強い。だがそれは魔物相手であって、人間相手にではない。
人間は、嘘をつくし策を仕掛ける。様々な技術を使うのだ。
単純なスピードと力だけが強さの決め手にはならない。
「なっ」
魔術式は、呪文である程度代用が可能である。
俺の場合はヴァイダの加護もあって、三重魔術程度ならば真言と呪文、それに魔術名を唱えるだけで発動が可能だ。
とはいえそのためには長々と呪文を唱える必要があるが……。俺はそれを先ほど録音したばかりのスマホに代替させた。
真言は欠くことのできない要素だが、それはサラザールの剣に刻まれている。なら後は剣身に触れて魔力を流しこみながら、魔術名を唱えるだけで魔術は――。
≪……アロー!≫
完成する!
極近距離で炎の矢が生まれ、俺の策を見抜いたと油断しきっていたサラザールの心臓に突き立った。
まだだ。まだサラザールの死は確定じゃない。
≪ファイアー・バレット≫
一重魔術ならば、今の俺であっても真言と魔術名だけで発動が可能だ。
俺が生み出した炎の弾丸は、未だ自分の死を理解できず呆然としているサラザールの眉間を撃ち抜いた。
――まだまだ足りない。
相手を殺すには、心臓に2発、頭に1発が常識だ。とはいえ、順番が違ってしまったのだが。
≪ファイアー・バレット≫
ダメ押しの様に発動した魔術が、もう一度サラザールの命を掻きまわす。
そうなってようやく自分の死を理解したのか、サラザールの体は傾き――どうっと地面に倒れたのだった。
サラザールは死んだ。だが、それで油断してはならない。
こいつは魔に自らの命を差し出したのだ。この程度で死なない可能性だってある。
俺はサラザールの死体に警戒を払いながら、スマホを回収に向かう。
10重魔術で塵も残さず消し飛ばせばさすがに死ぬだろうという考えだ。
俺は地面に転がっているスマホを拾い上げると、横についているボタンを押す。一応、ゼアルの力で守られている為投げ捨てられたといっても破損はなかったようで、素直に立ち上がってくれた。
「あら、もう倒しちゃったのね」
背後から残念そうな声が投げかけられる。
俺の戦いを最前列で鑑賞したいなんてもの好きは一人しか居ない。
「イリアス。今回はお前の仕業か?」
俺はスマホの下部にある指紋認証の部分に親指を押し付ける。
「そうねぇ……。私が原因だけど、私の仕業じゃあないわね」
認証が弾かれてしまう。恐らくは土煙やサラザールの返り血で手が汚れてしまったからだろうと判断し、ズボンに人差し指を執拗に擦りつける。
「詳しく話せ」
「貴方に種を植え付けようとしていたでしょ、覚えてる?」
イリアスは魔王復活の為に、魔石を改造した種とやらを脳内に植え付けていた。
俺の場合は何らかの封印――ヴァイダ曰く、神様が俺に脳に施してくれた、この世界になじむための力――があって、それが邪魔で種が植え付けられなかったのだが……。
「貴方のその封印を破るためには特殊な魔石じゃないといけないじゃない」
「そうなのか」
綺麗になった人差し指を認証に押し付けると、今度はうまく読み取ってもらえたのか、見慣れたホーム画面が表示された。
「だから、虹の魔石、つまり魔王様の御魂を改造させてもらったのよ」
「は?」
何ともぶっ飛び過ぎてるイリアスの告白に、思わず間抜けな声が漏れてしまった。
つまり、過去の魔王を現代に召び寄せるために、現代の魔王を犠牲にしようとしたと言っているのだ。
明らかにイリアスのやったことは異常と断言できた。
「だがその魔石は地中深くに封印されてたろ?」
「イフリータの熱は岩盤を砕いたらしいのよ。それで、解放された魔王様が地上に降臨なさったというわけ。13分の1な上にきちんと封印が解けていないけれどね」
それが、何故かサラザールに――って、しまった!
俺は慌ててスマホを操作し――。
『この男の意識が消え、我が出てくるまでにこれほど時間がかかるとはな。忌々しい』
声が、聞こえて来た。
俺の魂を震わせるほど、威圧的で、力に満ちた声が。
体は金縛りにでもあったかのようにピクリとも動かず、振り返る事すら出来なかった。
恐怖――ではない。絶対的な存在の差を、俺が自覚してしまっただけ。
俺の力など通用するのだろうか。どれだけ策を練ったとしてもハエの様に叩き潰されて終わりとなってしまうのではないかと、ただ思考が空回りしてしまう。
「はい」
俺がもっと急いでスマホを起動し、サラザールの死体を焼き払っていたら、魔王の復活を阻止できたかもしれないのに……。
そんな後悔だけが俺の思考を埋め尽くしていった。
『よくぞやった、リリン』
「いいえ魔王様、私の為でもありますので。ああ、今の私はイリアスとお呼びください」
イリアスは魔族だ。
魔王の復活こそが至上命題であり、存在理由である。
そんな彼女が、魔王の死を望むわけがない。俺の想いはただ厄介な敵を残しただけ。無駄だったんだ……。
『……よかろう』
「失礼ながら魔王様、一つ褒美を戴けませんでしょうか」
『我は近くに在る我が分け身を取り戻さねばならぬが、それよりも貴様を優先せよと言うのか?』
「はい」
俺の背後では、まるで俺など居ないかのように話が進んでいる。
それもそうだ。人間一人なんてどうにでも出来るからだろう。
サラザールの振るっていた力など、魔王本体からほんの少し漏れ出たものでしかなかったのだ。
俺は魔王を倒せない。抗う事すら出来ない。
そう、思って――。
「その人間を御手により罰して頂けませんでしょうか」
は?
『……その人間は多少力を持っているかもしれんが、何故我が直々に手を下さねばならん』
「その人間は魔族を2柱も消滅させました。私も力の大半を奪われておりまして、早い話仇を討って欲しいのでございます」
俺はイリアスの戯言を聞き、頭に軽い疼きのような物を覚えていた。
ああ、勘違いしていた。
イリアスは魔族だから魔王を救ったんじゃない。
俺と魔王が戦うところを見たかっただけなのだ。
まったく、本当にイリアスはとんでもない奴だった。だって、自分の興味の為に親すら利用するとか本当に頭がおかしい。きっとネジが10本ぐらい飛んでしまっているに違いない。
ああ、つまりお前は――。
『人間如きに敗北するとは、不甲斐ない』
俺が信じられなかった俺の力を、俺よりも信じてくれているって事か。
本当に、笑えてくる。
『そこまで堕ちたのか。貴様らは』
先ほどまで背中にずっしり圧し掛かっていたプレッシャーが、嘘の様に消えてしまっていた。
「申し訳ございません、魔王様」
スマホの画面を見れば、まだ20%以上電池は残っている。
俺は、まだまだ戦う力が残っているじゃないか。なんで戦う前から怖気づいてんだ、俺は。
そう自分の恐れを笑い飛ばしながら、振り返った。
イリアスの悪戯を我慢している子どもの様な顔が目に入る。
間違いない。サラザールとの戦いになんて遅れても構わなかったのだ。
メインはこれから始まるのだから。
「イリアスをそんなに責めるなよ。大体、そんだけ言っておいて人間如きに負けたらお前、恥もいい所だろ」
『吠え声は勇ましいな。我の囁きに乗った人間もそうだった』
「そいつは本当に口だけだぜ。なんだ、口だけの人間とそうでない人間も見分けられないとかお前の目は節穴なんだな」
ゼアル、と心の中で呼びかければ、頼もしくも愛おしい天使が俺を守りに駆けつけてくれる。
それに俺の事を信じてくれている二人も居る。
まったく、情けない姿は見せられないよなぁ。
「こいよ、魔王。今なら寝ぼけてたって言い訳を認めてやってもいいぜ?」




