第75話 憎悪と愛情はどちらも強く想われている事では同じである
「サラザール、アンタ俺のおっかけなのか? それともそういう趣味でもあんのか?」
サラザールは、アウロラに対して悪意を持って接していた。
そのこと自体、俺は業腹だったのだが、アウロラがもう気にしていないというのだから俺が出る幕ではない。
だが、アウロラに絡むうち、それを潰して来た俺に対して敵意を向けてくる様になっていた。
「ふざけるんじゃねえっ。俺はお前が目障りなだけだ」
俺とサラザールの接触は二回。すれ違い様に睨み合ったり肩をぶつけてくるなどの小さな接触を含めても、両手で数えきれるほどしか接触はしていない。それでも何故か奴は俺に対して激しい憎しみをぶつけるようになって来ていた。
「そうかよ。俺たちはすぐにここを立つからもう見なくて済むぞ。じゃあな」
触らぬ神に祟りなしとばかりに俺は手をあげ、無視して過ぎ去ろうとしたのだが――。
「目障りだっつったろうが。今すぐ潰してやるから顔を貸せよ」
サラザールは俺の事をねめあげながら近づいてくる。
彼の瞳には狂気の光が宿っており、何が何でも俺の事を痛めつけるつもりのようであった。
一瞬、すえた臭いが鼻先をよぎるが、今は気にしている暇などない。
「あのな。俺たちはこの世界中の王様方や天使様からの依頼である物を届けなきゃいけないんだ。アンタの相手をしている暇はない」
「あぁ!? ガキが寝言言ってんじゃねえぞ!! てめえのケツを他人に拭かせる様なガキにんなもん――」
その瞬間、俺の背後に控えていたヴァイダがローブの下に隠していた翼を広げる。
この世界を護る守護天使。恐らくその姿を見た者などほとんどいない。それでもその翼の神々しさは、何よりの説得力を持っていた。
――俺の言葉が真実であると。
ミスティを始めとした人間たちは歓喜にも見える表情でその翼を眺める。
逆に顔をしかめたのは魔族であるイリアスと――サラザール。
「ナオヤ様の仰ることは純然たる事実でございますが、何か?」
すご、と受付に座るセレナが呟く。
それ以外は一切の音が無い中で、ヴァイダがうっすらと微笑みを浮かべる。
俺たちに対して浮かべる、イタズラ心満載で心から楽しんでいる物とは真逆の、見るだけで魂までも凍り付かせてしまう様な拒絶の笑みを。
「ナオヤ」
俺の肩にふっと重みが現れる。ヴァイダが翼を隠していたのと同じ理由から姿を消していたゼアルが、何故かその小さな体を顕現させたのだ。
「アイツ、おかしいぞ」
「誰がどうみてもおかしいだろ」
サラザールは明らかに切れてしまっていた。
もはや説得が通じるとも思えない。
「ちげえよ。アイツから魔族の気配がする」
「…………っ」
魔族と聞き、俺は思わずイリアスに視線を向けたのだが――。
小さく頭を振られてしまう。
だが、彼女の瞳は明らかに喜色に輝いていた。
原因は違うが、これから起きる事を特等席で楽しめる。そんな期待に満ちていた。
「おいクソガキ。気持ちわりぃ人形なんかで遊んでんじゃねえ!」
ゼアルは確かに今人形にしか見えない。だが、そんな彼女が、気持ち悪い?
ふざけるな。ゼアルをそんな風に……。
「ナオヤ、落ち着け。オレは気にしねえから」
――ナオヤ様、お話ししたいことがございますので気を落ち着けてくださいませ。
守護天使二人からそう言われて俺は何とか自分を抑える事に成功する。ヴァイダの声が聞こえなかったのはどうやら魔法で俺だけに語り掛けてきたからだろう。
「分かった」
――あの男の中身を、私が透視出来ないのです。
中身って言うと、内臓とか脳神経とか?
――はい。全てが黒く塗りつぶされている様で、尋常ではありません。
つまり話をまとめると、ゼアルはサラザールから魔族の力を感じ取り、ヴァイダはサラザールそのものがおかしい事を確認し、魔族と俺が戦うところを最前列で見物しようとイリアスがやってきている。
サラザールの潰すという発言から見て、何か自分の力に自信を持つような何かがあったとすれば――ああ、自体は最悪だ。
ヴァイダ。すまないけど皆をこっそり避難させられるか? 俺がサラザールを抑えとくから。
――……それしか方法はございませんね。
ヴァイダからは言葉と共にためらいの様な気配が伝わって来る。
コキュートスの時はあっさりと譲ってくれたのだが、今彼女は迷ったのだ。つまりはそれぐらい、危険な相手だという事だ。
俺はその事を肝に銘じた上で、サラザールの瞳を睨み返す。
「おい、急に黙って怖気づいちまったのか? あぁ?」
「……ああ、怖気づいたから帰っていいか?」
「良いわけねえだろうが!!」
そんな事は分かっている。いきなり乗るよりも、そちらの方が自然だからそうしただけ。そうやって時間を稼いでいる間に、ヴァイダが事を進めてくれるはずだ。
これから少しずつ、顔を貸すというのを受ける方向に話を持って行くか、なんて考えて居たら――。
「サラザールさん。今は私達がアカツキ様とお話ししている最中ですのよ。失礼だと思いませんこと?」
「そ、そうだ。それに天使様の御用時を邪魔するなんてギルドに迷惑がかかるだろ。やめろよ」
意識を取り戻した女性二人組が、サラザールに食ってかかる。
俺を庇う為であろうが、それは非常に拙い。間違いなく彼女たちの手に余るのだ。
「ちょっとごめんなさい、二人共。ヴァイダさんが二人に聞きたい事があるそうなんでいいかな?」
「は、はい? ヴァイダさんとは……」
「そちらの天使様」
言いつつ、俺は脳内で二人が魔族に何かされていた事を考える。ヴァイダならばそれを元に適当な理由をつけて二人をサラザールから引き離してくれるだろう。
「も、申し訳ございませんが今はアカツキ様の……」
「俺はいいから――なあ、サラザール。俺と訓練したいんだよな?」
一応確認を取ってみるが、サラザールは鼻をふんっと鳴らし、恐らく肯定の意を示す。
「一対一だ」
ギルドの裏手には、ある程度暴れられる様な広場が存在する。そこならば、人が巻き込まれる可能性も多少は下がるだろう。
ただ、街中で魔術をぶっ放すなんて馬鹿な真似をしなければ、の話だが。
「ナオヤ……」
頼れる相棒の少女が心配そうな視線を送って来る。
彼女の事だから、俺に迷惑をかけてしまったと思っているのだろう。そんなのは違う。俺がこうやって目立てば、その足を引っ張ろうと考える奴が必ず出てくるのだ。そんな奴がたまたまサラザールというだけの話である。
サラザールは間違いなくアウロラが居なくとも俺にちょっかいを駆けて来ただろう。そんなやつなのだ。
「アウロラ」
俺はちらっとヴァイダの方に視線を送る。
ヴァイダの事を手伝ってほしい、という俺の思いは、きっとそれで伝わったはずだ。
「分かった」
いつも通り、緊急時に俺とアウロラの間に言葉はほとんど必要ない。
お互いにお互いの事をよく分かっているから、ほんの少しの挙動で何となくやりたいことや伝えたいことが分かるのだ。
「……気を付けてね」
「ああ」
俺は一瞬だけアウロラの手の甲に俺の手を重ねる。
この小さなぬくもりを、俺は絶対に傷つけられたくなかった。
だから――。
「サラザール、遊んでやるよ」
目の前のクソ野郎を叩きのめすことに決めた。




