第66話 氷山を削る
俺の眼前に生み出された氷の柱がコキュートスのどてっぱらに突き刺さり、更に成長して天井にまで彼女を突きあげる。
「か……はっ……」
コキュートスの肺腑の奥から全ての酸素を絞りつくしてもまだ勢いは止まらない。柱は更に長く、太く伸びてコキュートスを張りつけにしていった。
「アウロラ、ありがとうっ」
「どういたしましてっ」
礼を交わしてから再び逃走を開始する。
しかしこれは敗走ではなく勝利へと至るための逃走だ。
時間は俺たちの味方なのだから。
「次は?」
アウロラの問いかけに対して、俺は無言で人差し指を立てる。
これで意味は伝わるはずだ。
「分かった」
アウロラは頷くと、階段のある方へと走り出した。
「まっすぐ来てるよっ」
二階に逃げたというのに破壊音は確実に迫って来ていた。
どうやら何らかの手段で俺たちの事を探知しているらしい。
「熱……もしくは赤外線が妥当な所かな」
泥を全身に塗って赤外線を消して対抗した有名な映画の事を思い出す。いくら赤外線が水に吸収されやすいからといって、そんな簡単な方法でコキュートスを騙しきる事は難しいだろう。
まあ、消すことが出来ないのなら……。
「増やすしかないよな」
本当は熱を与えるような事は避けたいのだが、それ以上に減らせれば構わないだろう。
ただ、そんな仕掛けをするには時間が足りない。もう一度何らかの手段でもって引き離さなければならなかった。
「アウロラ、確かガンダルフ王の私室前に近衛兵の詰め所があったよな」
「うん。今はからっぽだと思うけど」
「そこで――」
俺はアウロラに仕掛けの方法を伝え、先に行くように頼む。
アウロラは一瞬逡巡したが、すぐに大きく頷くと、
「分かった。待ってるからね」
と言って駆け出していく。
その背中を見送ってから、俺は迫って来るコキュートスの方へと向き直った。
彼女がこの場所に到達するのはもう10秒も無い。
何か利用できるものは無いかと周囲を見回し――。
「会議室かっ」
手近な部屋に飛び込んだ。
その部屋――会議室は、50人程度ならば楽に入る事が出来るほどの大きさを持つ長方形の部屋で、中には大きな大理石の机をいくつも隙間なく並べてあった。
俺はスマホを操作しながらその机を迂回して走る。
ゴバァッと音を立てて壁が粉砕され、土煙と共にコキュートスが姿を現す。
俺だけは逃がすまいとする鋭い目が、俺の姿を認めてギラリと光った。
≪ストーム……≫
コキュートスが俺に向かって走り出す。そのコキュートス……ではなく、机の下へ向けて――。
≪ローグ!≫
撃ち放つ。
風の塊は床に着弾すると同時に周囲に爆風をまき散らしていく。
机と床の隙間で暴れ回った風は、地面効果を起こして机を巻き上げ、コキュートスへと吹き飛ばす。
「こんなものでどうにかなると思ったか!」
コキュートスが迫りくる大理石の机に向けて手をかざすと同時に、生暖かい風が吹き荒れる。
「貴様が潰れろっ」
熱を吸収できるという事は、ある程度その逆も出来るのだろう。コキュートスの手元で膨れ上がった風により、空中に在った質量の塊は逆再生された映像の様に押し戻され、俺自身を害する凶器となって戻ってきてしまった。
俺は――。
もはやただの岩石となり果てた机の数々が降り注ぎ、壁を、床を、押し潰し、暴虐の限りを尽くしていく。
だが――。
「ここだぁっ!」
俺は既にそこに居なかった。
俺がこの部屋に入って来た時に使った扉から再び部屋に入ると、拳を掲げてコキュートスへと突っ込んで行く。
もちろん、その拳には斥力を纏いつかせてある。
仕掛けは単純。空中に在るの机の陰に隠れて壁を壊して廊下に出て、迂回しただけ。
「らぁっ!」
拳に纏わせた不可視の力をコキュートスへと叩きつける。
腕でガードしようが関係ない。力場はその範囲内にある全ての物質に影響するのだから。
コキュートスの肉がへしゃげ、骨が砕けていく。その音を聞きながら、俺は思いきり拳を振りぬいた。
コキュートスの体は床にたたきつけられ、それでも勢いは収まらずに反動で一度跳ね上がる。だが――大きなダメージを受けながらも、彼女の瞳は死んでいない。
ヒュイッと音がして、氷の弾丸が複数放たれる。
反射的に首を動かして、頭への直撃を避けたのだが――。
「ぐっ」
胸の中央と左肩口にゼアルの守護の上からでもずしっと響く一撃を貰ってしまう、が――。
こんなもので怯んでたら、魔族となんて戦えるわけねえだろっ!!
心の中で吠えながら、スマホの画面を高速でスワイプしていく。選んだのはもちろん――。
≪フリージング・ヴァイン≫
「がっ……ああぁぁぁっ」
直撃、二発目!
自分の戦果を堪能する暇などない。当たった事を確認するや否や、俺は踵を返してその場から離脱を始める。
腕を砕いた分、魔術から脱するのには少し時間がかかるだろう。その前に、アウロラの下へとたどり着かなければならない。
俺は動きにくい防寒具に舌打ちしながら懸命に走り続けた。
俺は額の汗を拭う。
熱い。
それも当然だ。この辺り一帯にはアウロラが火をつけて回ったのだから。
ついでに近衛兵の詰め所から持ち出した鎧を温めて放置したため、人型の熱源も各所に存在する。
これで、しばらくは時間が稼げるはずだ。
本当に、色々とやってくれるアウロラには頭が上がらなかった。
遠くに聞こえる破砕音をBGMに、走り回ったせいで上がった息と鼓動を整える。
暖かい空気を胸いっぱいに吸い込むと、高ぶった闘争心が治まっていくのを感じた。
冷静に、冷静に。
相手の意表をついて一撃を叩き込んでいくことが重要だ。
ゲームで言うならライフが数十万ある相手に、地道に数百点ずつ稼いでいく感じだろうか。
なんて……。
「最期の一撃が準備されてんだからそれより楽だな」
懐かしい事を思い出してしまい、少し自嘲気味に呟く。
大丈夫だ。俺はここで生きている。
求められているから、ここに在る。
俺の事を求めてくれている人たちに報いる為にも、絶対に勝たなければならない。
「よしっ」
気合を入れ直し――気付く。
先ほどまで感じられていた熱気が、だんだんと下がってきたことに。
ああそうだろう。そうくるはずだ。俺だってそうする。
邪魔くさい火を消すために、この宮殿ごと冷やして行けばいい。そうすれば――。
忍び寄るような冷気と共に、ゾッとするような殺気が向けられる。相当に苛立ちを募らせているのだろう。
ヴァイダの一撃が整うまでは、まだ少し時間がかかりそうだった。




