誰かが必要とするから…
針葉樹の森、その樹々がなぎ倒されの森の一部は燃えていた。
その燃えた匂いの漂う森に淡く緑に輝く雨が降り注いでいる。
雨は炎を消し森を癒すだろう。
雨を呼んだ雲を見上げながら、アルの事をシロウは考えた。
キマが言っていた完璧な神がどんなモノかは分からないが、アルはそれに近いのではないだろうか。
雲を纏い空を舞い、雷を操り、そして全てを癒す雨を降らせる。
かつて彼女は通力さえ戻れば、出来ない事は無いと豪語していた。
あの時は冗談だと思っていたが、今のアルなら確かに殆どの事は何とか出来そうだ。
「ふむ、ナミロは消滅してしまったようじゃ……。シロウの目論見どおりにいけば、害の無い神として生きる事も出来たじゃろうに……」
アルが窪んだ穴を覗き込み、ナミロがどうなったか確認しつつ話す。
穴の中には何も残っておらず、恐らく熱により蒸発したのだろうとアルは考えた。
「……かもな。でも今のを聞くと、人間の都合で勝手に存在を歪めていいのかって気分にもなるな」
シロウは自分のやっている事が、エゴではないかとアルの言葉で感じてしまった。
「気にするな。……ナミロは元々北の厳しい土地の民たちが信仰していたのじゃ。作物は余り取れず人々がより豊かになる為には、力によって他者から奪う道しか無かったのじゃろう。じゃが時と共に神の姿も変わっていくべきじゃと我は思う。生みだした人が変化を続けておるのじゃから……」
北か……。
ウルラの背に乗って北の大地、帝国の姿を見たシロウにはそれも分かる気がした。
王国では既に雪は溶け、田畑に作物が芽吹き育ち初めている。
だが帝国の北では大地は雪で覆われ、作物の生産などまだ先の話だった。
短い夏にしか作物を作れなければ、当然の様に収穫量は減る。
人々は豊かさを求め暖かい南の土地を求める。
その為の力の象徴としてナミロを作り上げたのだろう。
「誰かが必要とするから存在できる……か……」
「何じゃ?」
「昔、何処かで聞いた言葉さ……。少し気が楽になったぜ。あんがとなアル。さて、ランガとウルラを治して帰るとするか?」
「うむ!」
「アルくーん!!」
「むぎゅ!?」
元気よく返事をしたアルに、ドスドスと足音を鳴らしてガーヴが飛び付いた。
顔を胸にうずめられたアルは手をばたつかせている。
「凄いよアル君!!僕は感動したよ!!」
アルを抱きしめ頬擦りしているガーヴを見て、シロウはこちらに向かって来たザルトに尋ねる。
「この姉ちゃんは誰だ?」
「こいつはガーヴ、牛の神だ」
「何でこんなにアルに懐いているんだ?」
「それは俺が聞きたいぜ。ファルの使いに呼び出された後、急げ急げ煩いのなんの。走るのが好きな俺も流石に疲れた」
そう言うとザルトは大仰に肩を竦めた。
「すまねぇな。ナミロが人間を襲い始めたんで、戦える奴が必要だったんだ」
「別に構わん、面白いモノも見れたしな。それでシロウ、これからどうするんだ?」
「ランガを治してウルラを回収したら、帝都で待っているファルを拾って王国に帰るつもりだ……」
「シロウ?君がシロウなのアル君が家族だって言ってた?」
ぐったりしたアルを抱えたまま、ガーヴがジトっとした目でこちらを睨んでいる。
どういう事だろうか。彼女とは初対面の筈だ。
シロウは訝し気に肯定の返事を返した。
「ふーん、君がそうなんだ……。見た所、アル君の話していた通り普通の人間じゃないようだけど、僕はまだ認めた訳じゃないからね!!」
「認めるって何の話だよ……。なぁザルト、お前、牛の神はいつもニコニコしていて、良く分からないとか言ってなかったか?物凄く睨んで来るぞ……」
「よく分からないだろう?」
ニヤッと笑ってそう答えるザルトに、シロウはため息を吐いた。
「ガーヴだったっけ?アルを離してやってくれ。ランガを癒して貰いてぇんだ」
ガーヴはシロウを値踏みするように見て、渋々アルを離した。
解放されたアルは逃げる様にシロウの後ろに駆け込んだ。
シロウの肩に手を掛け、怯えた様子でガーヴを伺っている。
「大丈夫か?」
「とても柔らかいのにガチガチで、全く動く事が出来なかったのじゃ!!……命の危険を感じたのじゃ!!」
「そんなにかよ……。まぁいいや、アル、ランガを癒してくれ」
「うっ、うむ」
アルはガーヴを警戒しながら、ランガに歩みより雨で冷えて固まった体に手を当てた。
アルに警戒されたガーヴは涙目で「アルくーん!」と叫んでいる。
「ガーヴ、女同士ってのが良く分からんが、恋って奴は押すだけじゃ駄目な時もある。タマには引いてみな」
ザルトはガーヴの肩に手を置き、したり顔で話していた。
ガーヴはその手を払いのけ声を上げる。
「恋なんかじゃない!!僕のアル君に対する想いはもっと尊いモノなんだ!!」
「尊い……。一体どんな感情なんだ?少し興味が出てきた」
「フフッ、聞きたいかい?僕の溢れる気持ちを……」
ガーヴがザルトにアルに対する熱い想いを語っている間に、シロウはアルの横に膝をつき尋ねた。
「どうだ?ランガは治りそうか?」
「ふむ、蠍の毒のようじゃ。ランガはタフじゃから中和すれば問題なかろう」
「蠍か……。ひねくれた奴だったな」
ナミロは襲った神の力を奪い、体は放置したままだった。
シロウ達はその神を癒して救ったのだが、ファルの説得に応じなかっただけあって酷く臆病だったり、プライドが高かったりした。
その中でも蠍はかなりのひねくれ者で、助けた二人にも文句を言う始末だった。
蠍の事を思い出している間にも治癒は進み、ランガは意識を取り戻した。
『ううっ、面目ない、殆ど役に立てなかった』
「んにゃ、よく来てくれた。嬉しかったぜ」
『そうか……』
「うむ、説明不足だった我らが悪いのじゃ。ランガが気にする必要は無い。お主が来てくれて心強かったのじゃ」
『そうか……』
ランガは人に身を変え、マントを纏いフードを被るとポリポリと鼻の頭を掻いた。
それを見てシロウとアルは顔を見合わせ笑った。
その後一行は森に落ちたウルラを探し、針葉樹の中を進んだ。
森の中は日陰にはまだ少し雪が残っている。
ガーヴの話はまだ続いており、安易に話を振ったザルトは表情を失くし相槌を打つだけになっていた。
「そう言えばウネグはどうしたんだ?貴族の連中を説得するんでお前達と一緒だった筈だろ?」
「ウネグはクレードの所だ。イッシュとかいう伯爵を気に入ったようでな、何とか取り入ろうとしていたぞ」
「アイツも懲りないねぇ」
「生まれついての性を変えるのは時間がかかるものだ」
話している間に先導していたアルが、ウルラを見つけた。
彼は木に体を預け荒い息を吐いていた。
アルが駆け寄り癒しの光を体に当てる。
「ありがとね、アル」
「ウルラ、助かったぜ」
「うむ、お主がおらねば術を練る時間は稼げなかったじゃろう」
「フフッ……これで爺ちゃんにも胸を張れるよ」
「そうだな、そう言えばお前の爺さんにも挨拶しとかねぇと……」
「うん、爺ちゃんも会いたがってたよ」
シロウはウルラに手を差し出した。
ウルラは微笑みその手を握り返した。
その後、森を抜けた一行はファルと合流する為、帝都へ向かった。
一行が去った森の中、球形に抉られた穴の底、植物の芽の様なモノが土から顔を覗かせた。
芽は異常な速度で成長し、大木となった後、その身から炎を吹き出した。
焼け焦げた大木が砕け、中から深紅の異形が姿を現す。
『キマ、いるのだろう?』
頭の横の鹿に似た目が、木の枝の影に隠れていた獣に向けられる。
たちまち獣の姿は掻き消えるが、異形は長い耳を小さく動かし、森に指先を向けると唐突に光を放った。
指先から放たれた細い光は、枝を伝っていた獣を撃ち落とす。
『幻術が効かない!?』
『グハハッ、キマ、喜べ。お前も覇王たる我が力の一部に加えてやる』
『……覇王?誠に王と呼べるのは獅子神の方でしょう。あの力……癒しと破壊、あの力こそが完璧なる神の土壌としては相応しい……』
『フンッ!安心しろ、アルブム・シンマの力も取り込んでくれるわ』
異形はそう言うと、肩を撃ち抜かれた猿に似た獣に牙を突き立てた。