混乱の始まり
王都の平民街の食堂、シロウ達は町人たちに交じって食事を取っていた。
テーブルの上の皿には硬い牛のすじ肉をブラウンソースで、トロトロになるまで煮込んだ王都の定番料理が並んでいた。
ファルは目を細め幸せそうにその柔らかい肉を頬張っている。
余りに幸せそうなので、シロウも思わず笑みを浮かべてしまう。
そんな二人の前で、マオトは一人眉間に皺を寄せていた。
「どうした?牛肉は嫌いだったか?」
「そういう事では無い、ファ二様の無事が確認出来ねば何を食べても味などせぬ」
「まぁ、分からなくはないがな、それでも食っておけよ」
「分かっている!……少しでも力を蓄えねば」
マオトは眉間の皺を一層深くしながら、肉を口に放り込んだ。
一向がそんな風に食事をしていると、食堂の扉が乱暴に開かれた。
大きく開いた入り口には慌てた様子の白髪の娘と、栗色の髪が爆発した様に乱れ疲れ切った女がいた。
白髪の娘は店内を見回し、目的の相手を見つけると肩を怒らせ彼らのテーブルに駆け寄る。
「アル、お帰り。早かったな」
「うむ、ただいまなのじゃ……。違う違う!!危うく流される所だったのじゃ!!呼びつけておいて、暢気に食事をしているとはどういう事じゃ!?」
「すまん、すまん。ファルに探りを入れて貰ってたんだが、猫がいて入れないって言うからお前なら追っ払えるんじゃねぇかと……」
「何かあったのかと心配したではないか!?」
アルはシロウを睨み頬を膨らませる。
「悪かった。……機嫌直してくれよ」
「むう、次からはきちんと詳細も伝えよ」
「分かった、そうするよ」
「……しょうがないの。今回だけは大目に見るのじゃ」
そう言うとアルはシロウの隣に座った。
二人のやり取りにマオトは呆気にとられ、ファルは少しつまらなそうな顔をした。
後を追う様に栗色の髪の女ウネグもフラフラとテーブルにつく。
椅子に座るとコップに水を注ぎ、それを一気に飲み干した。
「ウネグ……、お前大丈夫か?」
「大丈夫じゃないわよ!アルブムがいきなりスピードを上げるもんだから、生きた心地がしなかったわ!」
「……悪かったのじゃ」
「それでなんでマオトがいるの?……もしかして仲間に引き入れたとか」
乱れた髪を整えながら、ウネグはシロウ達を見回し尋ねる。
「フンッ、仲間になった覚えはない!ファニ様の為に仕方なく協力関係を結んだだけだ」
「ふーん」
ウネグはニヤニヤとマオトを見ている。
全員がテーブルについたのを確認し、若干声を潜めシロウは二人に現状を語る。
「ふーん、猫神のシャオね。彼、気まぐれで掴みどころがないのよね」
「どうにか猫達を追っ払って、ファルが入り込む隙を作りてぇんだ」
「我が吠えれば猫は逃げ出すじゃろうが、キマにもバレてしまうじゃろうな」
「フフン、任せないさい」
ウネグは得意げな笑みを浮かべた。
「掴みどころがねぇんだろ?」
「そうよ、でも誘き出す事なら簡単に出来るわ」
「そうか、んじゃ任せた」
「ちょっと待て!?詳細も聞かず任せていいのか!?」
マオトの問いにシロウは笑みを浮かべ答える。
「ウネグが出来るって言うんなら大丈夫だ」
シロウの言葉を聞いて、ウネグは思わず顔を緩ませた。
「どうしてそこまで信用出来る!?」
「仲間だからな。やれるんだろウネグ?」
「ええ、神殿中の猫を集めてみせる。なんならシャオも誘き出しましょうか?」
「いいねぇ、思いっきりやってくれ」
やる事が決まった所で、アルがウルラとランガがいない事について尋ねる。
「二人にはクレードの所に行って貰った。貴族への根回しがどのぐらい進んでいるか知りたかったんでな」
「ふむ……、あの二人で大丈夫かのう?」
「どの道、ランガの力は街中じゃ使えねぇからな。ファルの眷属に頼んでも良かったが、いきなり鼠が喋り出しても信用してもらえねぇだろ?」
「確かにの」
「申し訳ありません。私の眷属は数は多いのですが、人になれる程の力は持っていませんので……」
「気にすんな。お前は十分役に立ってるよ」
「そうですか!」
二人の様子を見て、アルは気が気ではなかった。
「ファル!シロウに手を出しておらぬじゃろうな!?」
「はい、残念な事に旅の間も夜伽に呼ばれる事も無く……」
「夜伽……!シロウ、お主が誰にでも優しくするからいけないのじゃ!」
「はいはい、分かった分かった、今後は気を付けるよぉ……。とにかくウネグ、ファル、飯を食ったら作戦開始だ」
「りょうかーい」
「はい、シロウ様」
「むう、ホントに分かっておるのか……」
マオトは不思議でならなかった。
シロウという人間を中心に、獅子神の他、神々が不満を抱く事も無く、自ら進んで協力しながら事に当たっている。
しかも、ザルトやランガの様な力ある神までも取り込んで……。
教団では基本上からの命令に従っていただけだった。
全く違う集団の形にマオトの心は酷くざわついた。
食事を終えたシロウ達は、叡智神の神殿の近くに身を潜めていた。
ウネグは一行から離れ、一人神殿の入り口近くに歩いて行く。
その姿はいつの間にか町娘の様な容姿に変わっていた。
「むッ、この香りは……、なんというか頭がフワフワするのじゃ」
「おいアル、しっかりしろよ」
「ふにぁ」
フラフラとウネグに近づこうとするアルを押さえ、シロウはウネグに目をやった。
彼女の周囲には神殿にいたであろう猫達が無数に集まって来ている。
ウネグはその猫を引き連れ、神殿から離れ平民街へと歩いて行った。
猫の行列は注目を集めそうな物だが、街行く人々は誰一人その事に違和感を持っていないようだ。
行列の最後尾には、茶色の髪の男が一人、酒に酔った様な千鳥足で歩いていた。
「凄えなアイツ」
「一体何をしたのだ?」
「恐らくマタタビですね。この香りに抗える猫は余りいないでしょう」
「そうか、んじゃファル頼んだ」
「はい、お任せを」
シロウ達が神殿を探っていた頃から時はほんの少し遡る。
神殿が所有している建物の一つ、貧民街にあるその建物の中、ベッドに金髪の女性が横たわっている。
眠るでもなく、ずっと苦し気に赦しを請い続けるその女性を、一人のシスターが不安げに見つめていた。
「彼女の様子はどうですか?」
「教皇様!?……肌に黒いシミのような物が浮いて来て……。本当にこのまま、このような場所でお世話するだけで良いのでしょうか?」
「彼女は至高神の教皇です。その彼女が精神を病み、原因不明の病に倒れた等と知られればどうなります?」
「ですが、至高神のお医者様なら治療も出来るのではないでしょうか?」
シスターは純粋に教えを信じ、知恵をもって平和を為すべしという教義に誇りを持っている。
善良な人間を利用する事はキマにとっても苦痛を感じたが、全ては完璧な神、全能の存在を生み出す為と心を殺した。
「その至高神の司祭たちが我らの叡智神を頼って来たのです。いま文献を調べ癒す術を探しています。貴女はしっかりお世話をして下さい」
「……はい。……ファニ様の苦しみを私が肩代わり出来れば……」
「その心はきっとファニ殿の力になるでしょう。……病の者をずっと見ているのも辛いでしょう?街に出て少し息抜きをして来なさい。その間に私は彼女の為に祈りを捧げようと思います」
「……分かりました。お心遣い感謝します」
シスターが部屋から遠ざかったのを確認したキマは、ファニの体を調べた。
どす黒いシミの様な痣が体のいたるところに浮き出ている。
キマが手を翳すと、ファニの顔は苦痛に歪み痣はどす黒く白い肌を染めていく。
「申し訳ありません。貴女には来るべき平和で穏やかな世界の礎となって頂きます」
街でファニの為に果実を絞った物を買い求め、シスターは帰途についた。
食事を取る事は出来ないが、水だけでは弱る一方だ。
これならば水より幾分栄養も取れる筈……。
そう思い少し足早に歩いていた彼女の目に、異様なモノが飛び込んで来た。
彼女が戻る筈だった建物は黒い炎上げ焼け落ちている。
その瓦礫の中から漆黒の体、赤黒い目の怪物が立ち上がる。
「ああ……」
怪物は首をもたげ、高く長く一声鳴いた。
それはまるで女の悲鳴の様だった。