獅子神の雷
遊牧民の集落は地震と突然現れた巨大な怪物の所為で人々、いや家畜も含めた全ての生き物がパニックを起こしていた。
ウネグが避難を呼びかけた事で、天幕の倒壊に巻き込まれた者はいなかったが、馬で移動しようとしていた者の中には落馬して怪我を負った者もいた。
「静まれ!!動ける者は家畜を連れて東へ逃げろ!!動けない者は俺が運んでやる!!」
「ザルト様、一体何が!?」
「説明は後だ!!とにかく逃げろ!!」
「はっ、はい!!」
ザルトは巨馬に姿を変え、怪我をした者を拾い集めた。
「しょうがないわねぇ」
ウネグも狐に姿を変える。
「うわっ!?こっちにも化物が!?」
『失礼しちゃうわね』
『その狐は一応味方だ!』
『一応は余計よ!』
突然出現した巨大な獣に人々は怯えたが、ザルトの言葉で不安げにウネグを見た。
『馬の数が足りないんでしょ?運んであげるわ』
「その声ウネグ姉さん?姉さんも神様だったの?」
彼女によく懐いていた十代半ばの娘がおずおずと話しかける。
『まぁね。いいから早く乗りなさい。逃げるわよ』
「はい!……姉さんフワフワですね。綺麗……」
娘は背中に乗り、ウネグの毛を優しく撫でた。
『くすぐったいから止めなさい!』
その様子を見て、ザルトだけでなくウネグの周囲にも人が集まり始めた。
ザルトとウネグは集落を一通り見て回り、馬に乗れない人々を背に乗せると東へ向けて駆け出した。
『アルブム一人で大丈夫なの!?』
『分からん!!だが今は一族の無事を優先したい!!』
『どこまで逃げるの!?』
『それも分からん!!とにかく目一杯だ!!』
アルはその様子を空から見下ろしていた。
先ほどガーヴが起こした地震で、周辺にいた生き物は殆ど逃げ出したようだ。
これなら思いっきり力を使っても、無関係な者を傷付ける心配はないだろう。
「ふむ、しかし大きいの」
『もう、逃げちゃ駄目だよ』
「お主の相手は我じゃ」
ガーヴの前に飛ぶと、アルは雷雲から稲妻を呼び出しそれを掴んだ。
手にした稲妻は輝きを増し、青く白く輝く。
『何をするつもりか知らないけど、皮一枚傷ついた所で僕は止まらないよ』
「……そうじゃの」
アルは手にした稲妻に更に力を注ぐ。
青い白い輝きは天高く伸びていく。
『何……それ……?』
「少し痛いかもしれんが、後で直してやるのじゃ」
周囲の雷雲が弾け、加速したアルはガーヴの足元に降り立った。
その勢いで地面はひび割れ周囲が丸く陥没する。
そのまま手にした光を真横に振り抜く。
光はガーヴの四本の足全てを抵抗なく通り抜けた。
『嘘……滅茶苦茶だ……』
四肢を失ったガーヴは地響きを立てて横倒しになった。
アルは倒れたガーヴの頭に近づき声を掛ける。
「もう動けまい?諦めて我の話を聞くのじゃ」
『……嫌だ!!僕はもう考えたくないんだ!!』
アルの足元が泥に変わり、隆起して彼女を飲み込む。
アルを飲み込んだ泥は大地に戻り、一瞬で草原の土に姿を変えていた。
ガーヴは人に姿を変え、失った四肢を土で作り出し補った。
「伝説の獅子神、アルブム・シンマか……。まあまあ強かったね。さてと、お仕事の続きをしようか」
ガーヴは作り出した足を大地に打ち付けた。
地面が盛り上がり、ガーヴを東の空へ打ち上げる。
「逃がさないよ」
ガーヴが東へ去った大地の底から、巨大な雷が立ち昇った。
「ぺっぺっ…。口の中が泥だらけなのじゃ……。ふむ、流石は不死鳥の眷属じゃの」
アルは抱えていた金髪の男を地面に降ろすと、鼻を鳴らし東へ飛んだ。
ウネグと共に東に逃げていたザルトは立ち止まり、西の空を睨んだ。
ザルトだけなら簡単に振り切れるだろうが、乗った人間はその速度に耐え切れないだろう。
それに馬や家畜たちはついてこれまい。
ザルトはその場にしゃがみ込み、背に乗った人を下ろすと人に姿を変えた。
「お前達はこのまま逃げろ」
『あなたはどうするのよ!?』
「ガーヴを足止めする。狐、しんどいだろうが一族を頼む」
「そんな!?ザルト様、我々も戦います!!」
「そうですよ、私達は家族でしょう?」
「ああ、もちろん家族だ。だからこそ生き残ってほしいのだ」
そう言うとザルトはウネグに目をやり強く頷いた。
『仕方の無い男ね…。私は逃がすだけで後の面倒は見ないわよ』
「十分だ。逃げ延びさえすれば、俺の一族はこの平原ならどこでも生きていける」
『ほら、あんた達、行くわよ』
「……ザルト様」
それでも立ち去ろうとしない人々を強引に背中に乗せ、ウネグは東へ向かって走った。
馬に乗った者達も、迷いながらそれを追う。
「感謝するぞ狐」
ザルトは雪狼の籠手をはめ、ガーヴを待ち受けた。
程なく土煙を上げてガーヴが空から飛来する。
「ザルト君。君も懲りないね」
「獅子神はどうした?」
「埋めた。君も埋めた方が早そうだね」
そう言うとガーヴは足を地面に打ち付ける。
地面が流砂に変わるより早く、ザルトは大地を蹴り拳をガーヴに打ち込んだ。
そのまますり抜ける様に間合いを開ける。
「だから、君じゃ僕に勝てないって」
「それは分かっている」
「ふう、君は早すぎて面倒だ」
そう言って再度ガーヴは足を打ち鳴らした。
彼女の周囲全てが砂に変わっていく。
ザルトは咄嗟に間合いを開けたが、浸食の速度はそれより速くザルトの足を捉えた。
「じゃあね、ザルト君。安心してよ君は殺さないから」
「クソッ!待てガーヴ!!」
流砂に飲まれるザルトを残しガーヴは再び飛ぼうとした。
見上げた空に雲が立ち込めている。
先ほどまでは晴天だった筈だが……。
訝し気に雲を見上げたガーヴの頬に水滴が落ちる。
「雨……?」
日の影った大地が真っ白に染まった。
轟音が轟き近くにいたザルトは目と耳をやられ周囲の状況を見失う。
「…………」
「誰だ?良く聞こえん?」
暖かい何かに包まれると、一気に周囲に光と音が戻って来た。
目の前にアルが浮かび、ザルトを見つめている。
「聞こえるか?我が分かるか?」
「……獅子神…か?一体何をした?」
「フフン、特大の奴を落としてやったのじゃ。これでしばらくは動けんじゃろ」
ガーヴに目をやると、焼け焦げて煙を上げる彼女の姿が目に飛び込んで来た。
「……お前、無茶苦茶だな」
「むう、さっきもそう言われたのじゃ。仕方あるまい、聞き分けの悪い彼奴がいけないのじゃ」
口を尖らせ少し不満そうにアルは言った。