熊神の湯
国境を超えた北の大地、帝国と呼ばれるその地には暦の上では春だがまだ雪が残っている。
シロウはランガ、ファルそして合流したウルラと共に王都を出て、ランガの生まれたベルダ山の麓に来ていた。
山の麓には集落があり、彼らは火山の地熱で雪の解けた土地を使い、農業と狩りで生計を立てている。
土地に雪は無いと言っても風は冷たく、シロウとファルは防寒具を身につけていた。
日の光は注いでいたが、王国のそれと比べると酷く弱い。
「ふうん。北っていうから氷の世界かと思ってたけど、そういう訳でもないんだね」
「氷だけになるのはもっと北だ。そこは年中雪と氷に閉ざされている」
「どっちでもいいから早く村に行こうぜ。飛んでる間も寒くてしょうがなかったんだ」
「賛成です。そして何か暖かい物を食べましょう」
一向はウルラの背に乗り、ベルダ山近郊まで運んでもらった。
ウルラは重いと文句を言ったが、ファニが何時現れるとも知れないのでスピードを優先したのだ。
「ランガは村に知り合いはいるのか?」
「いない。俺は人と交流を持った事は無い。凍死しかけた奴を何度か麓まで運んだぐらいだ」
「へぇ、優しいとこあるじゃねぇか」
「……巣の近くで死なれるのが嫌だっただけだ」
ランガはそう言ったが、鼻の頭を掻いていた。
村では王国の金は使えなかったので、事前に立ち寄った国境近くの街で換金した帝国の金を使った。
ただ、村は余り豊かとはいえず、金よりはウルラが仕留めてきた獲物方が喜ばれた。
村に宿は無く、シロウ達は村長の家に客という形で逗留させてもらった。
「フフン、お金が有っても使えないなら意味は無いね。この村にいる間は僕が皆の面倒を見てあげるよ」
「シロウ様、良いのですか、あのような物言いを許しておいて?」
「村の連中も喜んでるし良いんじゃねぇか?」
「成程、村人の事を考えれば、無礼な言動など取るに足らぬ事でした」
ファルはそう言うとウルラに向き直った。
「ウルラ殿、シロウ様の寛大なお心に感謝しなさい」
「……ねぇ、シロウ。なんでこの娘は君の従者みたいになってるんだい?」
「よく分からねぇが、妙に懐かれちまってよ。まっ、そのうち飽きんだろ?」
「そんなシロウ様!?私は身も心も既にシロウ様の物ですのに……」
「はいはい、あんがとよ。それより食べようぜ」
食事は基本的には芋料理がメインだった。
肉や魚もあったが、それ程量は無かった為、ウルラは少しがっかりしたようだった。
ファルとランガは特に文句も言わず、出された物を口に運んでいる。
「はぁ、血の滴るステーキが食べたいなぁ」
「だったら自分で獲ってくるしかないな。だがこの辺り、今の時期には余り獲物はいない」
「お詳しいですな。生まれはこちらですか?」
ランガの言葉に旅人の話を聞こうと、シロウ達のもとにやって来た小柄な老人が声を掛ける。
この老人はこの村の村長で、旅人だと名乗った一行を快く受け入れてくれた。
「あ、うむ、この近くだ」
「そうでしたか。この辺りももう少しすれば獣も多くなるのですが、今は籠っていたり南へ行ってしまって……。あんな立派な鹿は久しぶりです」
「そうか……」
ランガが黙り芋を食べ始めたので、椅子に座った村長は会話の相手をシロウに変えた。
「ところで皆さんはこんな何も無い村にどんな御用で?」
「俺は獅子神アルブム・シンマ様の伝道師でね、この村は熊の神様を祀ってるんだろ。それでちょっと挨拶によったんだ」
「ランガ様に挨拶ですか?」
「そうだ、お社ぐらいあるんだろ?」
「お社は御座いますが…」
「ついでに温泉にでも入れりゃいう事無しだぜ」
シロウはランガの話で村長の顔が曇ったのを見て、昔聞きかじった知識で温泉に話を逸らした。
確か火山の近くには温泉が湧く筈だ。
「残念ながら、この村に温泉は無いんです」
「なんでだ?火山には温泉が付き物だって昔聞いたぜ?」
「山には湯が噴き出る場所は有るには有るのですが、悪い空気が溜まっていて近づく事も出来ません」
「悪い空気?」
「はい、猟師の話では、迷い込んだ動物の死骸が転がっているとか」
シロウは温泉を楽しみにしていたので、少し消沈した。
「そうか…、そりゃ残念だ」
「温泉、入りたいのか?」
「まあな。でもねぇモンはしょうがねぇ」
「……村長、一緒に村を見て回ってもらっていいか?」
「勿論、構いませんが…、一緒にですか?」
ランガの問いに首をかしげながら村長は答えた。
「ああ、頼む」
「はぁ、分かりました」
食事を終えたランガは村長と共に家を出て行った。
ウルラがシロウの側に寄り、囁く様に話す。
「ねぇ、見張ってなくていいの?」
「大丈夫だろ。ここの住人はあいつの生みの親みてぇなもんだし」
「君はいつも楽観的だなぁ。大体、不死鳥が来るんでしょ?なにか対策は立ててるの?」
「四人もいるんだし、何とかなんだろ」
「……聞いた僕が馬鹿だったよ。そうだよね、君はそういう奴だった」
食事を終え、村長が用意してくれた部屋で寛いでいると、ファルが突然虚空を見上げた。
「どうした?不死鳥か?」
「いえ、ランガ様が力を使い土地を掘り返しています」
「ランガが!?」
「あっ!水が!」
ファルの言葉にシロウは村長の家を飛び出した。
外に出ると、村の南側で大量に湯気が上がっている。
シロウはそちらに向かって駆け出した。
湯気の出ている場所に着くと、村長が腰を抜かして倒れている。
突然の出来事に、村人達も集まり始めていた。
シロウは村長に駆け寄り声を掛ける。
「何があった!?」
「あっ、あの御仁が、こっ、この一画を使って良いかと尋ねられたので」
「良いって言ったのか!?」
「はっ、はい!」
シロウはお湯の溜まった池の側にいるランガに詰め寄った。
「お前何考えてんだ!?」
「温泉に入りたかったのだろう?」
「……俺の…為か?」
「……村人の為でもある。この湯は毒気を含んではいない。危険な物を避けて水を引いたからな……」
シロウが池を見ると、周囲は溶岩が固まったような岩で覆われ、水が大地に染み出す心配はなさそうだ。
手を差し入れると、少し熱く感じたが冬場に体を温めるには丁度良さそうだ。
「ファニへの対抗策も見つけた」
「ホントかよ!?どんな手だ!?」
「……シロウ、あいつの相手は俺に任せてくれないか?」
「一人でって事か?」
「そうだ。俺とあいつがぶつかれば周囲は焼け野原になるだろう。お前らは危険だ」
シロウが見上げたランガの顔は自信に満ちていた。
「分かった。でも駄目そうだったらすぐ言えよ」
「承知している。南西に誰も住んでいない場所がある。昔噴火で不毛の大地になった場所だ。そこにファニを誘き出す。それだけ手伝ってくれ」
「了解だ。……そっちはそれでいいとしてだ」
ランガはシロウの言葉に不思議そうに顔を向ける。
「いきなり力を使うんじゃねぇよ!」
シロウは飛びあがり、ランガの頭に拳骨を落とした。
「ぐあっ!」
ランガは突然の事に防御も出来ず、痛みでしゃがみ込み頭を抱えた。
「お前の力は危険なんだ!村長巻き込んだらどうする!?」
「ううっ、すまん。軽率だった」
「分かればいい。皆の為を思ってしたみてぇだしな」
「あの、一体なにが起きたのでしょうか?」
シロウ達に近づいた村長が、すこし怯えた表情で話しかける。
「これは、そうあれだ。熊の神ランガ様のお恵みだ」
「ランガ様の?……あの方は荒ぶる熊の神様ですよ。そんな事をする筈が……」
「そりゃ、俺が聞いた話と違うぜ。ランガ様は火山の怒りを鎮めてるって俺の教会には伝わってる」
「怒りを鎮める……。初めて聞きました」
「うちのアルブム様は千年以上前から信仰されてる由緒正しい神様だぜ。そこの蔵書にしっかり書かれてる」
村長は困惑した表情で二人を見た。
「実はこの男は、その書を読んでアルブム教からランガ様に宗旨変えしたんだ」
シロウはしゃがんでいたランガの肩に手を置き言葉を紡ぐ。
「たぶん、祈りを捧げたこいつを見て、ランガ様が答えてくれたんじゃねぇかな?」
「はぁ、ランガ様の……」
「そうそう、立派な神様にはきちんとした伝道師がいねぇといけねぇだろ?」
「そういうものですか?」
村長はまだ納得出来ない様子だったが、シロウはその肩に腕を回し言う。
「いや、ランガ様みてぇな、優しくて強い神様に守られてるこの村はラッキーだぜ」
「そうでしょうか?」
「当たり前だろ。俺だって各地を回るって役目がなきゃ宗旨変えしたいぐらいだ」
「そんなに……」
「まあ、とにかくだ。こいつは兆しだ。この村は温泉の湧く村として発展する筈だぜ」
「発展……。人を呼べるでしょうか?」
あと一押しだな。
シロウは、一気にまくしたてた。
「さっき、お湯を調べたんだが、見てくれスベスベだろう?」
シロウの肌は魂が棲み付いてから、荒れていた手も直り傷一つ無くなっている。
「こいつは美肌効果も期待できるぜ。女は十歳は若返るんじゃねぇか?もちろん疲労回復にだって効果抜群だぜ」
「……本当ですか?」
「ああ、嘘だと思うなら入ってみなよ」
村長は湯気を上げる温泉を見てゴクリと喉を鳴らした。
「ランガ様は今まできっと火山を抑えるのに必死だったのさ。それがひと段落したんで、新米伝道師の祈りにも応えてくれたんじゃねぇかな?」
「なるほど、そういう事だったのですね……」
「女たちに教えてやれよ。喜ぶ筈だぜ」
「そうですね…。そうします!」
村長は集まっていた村人たちにシロウの言葉を伝えた。
黄色、いや茶色の悲鳴も混じってはいたが、村人は喜びの声を上げている。
「よくまぁそれだけ口が回るな」
「お前が変な事するからだろ。……お前水も弄れんだろ?美肌と疲労回復もやっといてくれよ」
「フハハッ、クククッ…。分かった、こうなれば最高の温泉にしてやろう」
ランガそう言うと、愉快でたまらないといった風に腹を抱えて笑った。