蜥蜴の森
冷たい雨が降っていた。
暗い森の中、シロウとアルは木の下でその雨を眺めていた。
村を出てアルに次の魂の情報を視てもらい、二人は北に向かった。
その道中、森の中に古い街道が伸びていたので、突っ切った方が早いとその街道を進んだのだが、街道は幾多にも分かれており、結果として二人は森の中で迷子になってしまった。
「やはり迂回するべきじゃったの」
「お前も反対しなかったじゃねぇか?」
「シロウ…腹が減った。何か食べ物をくれ」
「さっきやったリンゴが最後だ。大体お前は食い過ぎだ」
食べ物が無いと知ると、アルは途端に悲しそうな顔をした。
「そんな顔したって、ねぇ物はねぇんだ。大体お前、獣の神様なんだから、変身して自分で獲ってこいよ」
「神に自分で獲ってこいとは、神の僕たる伝道師とは思えんな。……仕方がない、何か狩ってくる」
アルは四つん這いになり、光を放った。
中型犬程の大きさの美しい獣が現れる。
「へぇ、綺麗だな」
「そうじゃろう。見惚れたか?」
「あんまり遠くへ行くなよ。危ないと思ったらすぐ帰ってこい」
「ぐぬぬ、今に見ておれ」
捨て台詞を残し、アルは森の中へ消えた。
「さてと、火でも起こしておくか」
シロウはアルを見送り、木の下でかまどを作り始めた。
火を起こし、それに当たりながらアルを待っていると、獣のままのアルが胸に飛び込んできた。
「どうしたアル!?」
「逃げるぞシロウ!!」
「逃げる?」
シロウがアルが出てきた茂みを見ていると、揺れを感じた。
水たまりに溜まった水が振動に合わせて揺れる。
「早く逃げるんじゃ!!」
アルはシロウの腕から抜け出し、声を上げる。
アルが叫ぶのと同時に茂みをかき分け、巨大な蜥蜴が姿を見せた。
蜥蜴は金の光彩に、縦長の瞳孔の入った目でシロウ達を睨んだ。
『ここは私の森です。すぐに出て行きなさい』
「…出て行きたいのは山々だが、迷っちまって出て行き様がねぇ」
『……私を見て驚かないなんて…貴方、普通の人間では無いですね』
「俺は唯の人間だよ。中に魂が棲み付いてるけどな」
蜥蜴はシロウの内面を覗き見る様に目を細めた。
その細めた目が、驚きで少し見開かれる。
『…それでよく生きていますね?』
「俺はさっさと死にてぇんだけどな。それで出口を教えてもらえるか?」
『……少し助けてもらえませんか?助けてくれるなら、出口まで案内しましょう』
「いいぜ。アルそれでいいよな?」
シロウがアルを見ると、アルは木の影に隠れこちらを伺っていた。
「なに怯えてんだよ?」
「シロウ、その者はこの地域を支配している神じゃぞ」
「お前だって神さまだろう?」
「忘れられた我と違い、その者は今現在も信仰の対象じゃ。力の大きさが違う…」
シロウは改めて蜥蜴を観察した。
言われてみれば、七色の輝く鱗を持つ金の瞳の蜥蜴は、美しく神々しさを感じた。
「ふうん、アル以外の神様に会ったのは初めてだ。あんた名前は?」
「シロウ!敬意を示さんか!」
『ウフフッ、構いません。私の姿を見て、怯えなかった人間は久しぶりです。私はラケル・シルヴァ、この森を守る者です』
「ラケルだな。俺はシロウ、あの猫みたいなのはアルだ。それで助けるのはいいんだが……」
「我は猫では無い!」
『フフッ、それで何ですか?』
シロウはラケルを真っすぐな目で見て言う。
「食い物を分けてくれ。腹減って死にそうだ。…死なねぇけど」
「我ら、こんなんばかりじゃな…」
ラケルはシロウとアルを交互に見て少し震えた。
二人は身構えたが、そこから出たのは笑い声だった。
『フフフッ。分かりました。何か持って来ましょう』
シロウはアルと共に、火にあたりながらラケルを待つ事にした。
人の姿になったアルの体を拭いていると、黄色いドレスを着た褐色の肌、七色の髪を持つ、金の瞳の美女が茂みから現れた。
「神様ってのは皆、女なのか?」
「そんな事はありません。でも男神には気を付けた方が良いでしょう」
「そりゃまたなんで?」
「男神は総じてプライドが高く、喧嘩早いのじゃ」
ラケルに変わりアルが答える。
「そうかい、まぁ気を付けるとするさ。それよりあんたも火に当たれよ」
「フフッ、本当に肝の太いお方。食事はこのような物しかありませんが…」
そう言ってラケルは担いでいた猪を焚火の横に置いた。
「ありがとよ。じゃあ食べながら話を聞こうか?」
「はい」
猪は既に血抜きがされている様だった。
シロウは猪をナイフで捌き、焼いていく。
焼けた肉をアルに渡し、自身も口に運んだ。
「…実は頼みとは先ほど話に出た、男神についてなのです。」
「ほとふぉがみ?」
「口に物を入れたまま喋るでない。男神がこの森にいるのか?」
「はい。私、彼から求婚されているのです。」
シロウは焼いた肉を飲み込み、口を開いた。
「へぇ、神様も結婚するのか。…それで何が問題なんだ?」
「求婚をなんども断っているのですが、諦めてもらえず困っているのです」
「その男の何処が駄目なんだ?」
「彼、ハヤブサなんです。…あの目で睨まれると、私竦んでしまって…」
蜥蜴と鳥のカップルか…。相性以前の問題だな。
シロウはラケルを見ながら彼女に問う。
「それで俺達は何をすりゃいい?」
「あの…。私の恋人になっていただけないかと…」
「ブフッ!!」
アルが肉を盛大に噴き出した。
「汚ぇなぁ」
シロウはアルの口元を拭ってやる。
「ん、すまんのシロウ。しかし恋人とは…こやつは規格外ではあるが人間じゃぞ?」
「分かっております。フリで構わないのです…。恋人がいると分かれば、彼も諦めてくれるのではと…」
「いいぜ」
「よいのかシロウ?襲って来るやもしれんぞ?」
「飯も貰っちまったし、困っている奴を助けるのは布教の一環だろ?」
「神も信徒にするつもりか?」
シロウはラケルを見て言う。
「…女の頼みを断る男には、二度となりたくねぇんだ」
「シロウ…。分かった我も力を貸すぞ!」
「おう、頼りにしてるぜ!」
ラケルはそんな二人を見て不思議そうに言った。
「お二人はお互いを信頼しているのですね」
「信頼…?そうでもねぇ。いや、してんのか?」
「どうじゃろ?お主、タマに暴走するからのう」
「ウフフッ、仲が良くて羨ましい。私もそんな番いに、再び巡り合いたいです」
「つっ、番い…」
顔を赤らめているアルを見て、ラケルは目を細めて微笑んだ。
「それで、具体的にはどうすりゃいいんだ?」
「そうですね……。一番良いのはシロウが私と、ふしどを共にしている所を見せつけるとか…」
「ふしどを共に!?」
アルは赤面して声を上げた。
シロウはラケルの提案に首を振った。
「悪いがそれは出来ねぇ。俺は結婚してるんでな。…もう少し軽い感じで頼む」
「軽いですか…?では私と腕を組んで歩くのはどうでしょうか?」
「まぁそれぐらいなら…。それでアルはどうすんだ?」
「アルには私の社で待っていて欲しいのですが…」
ラケルの言葉にアルは反発した。
「嫌じゃ!!力を貸すと言ったじゃろう!!」
「ですが、アルがいると恋人同士に見えないのでは?」
「ぬう、では我は獣の姿でついて行くのはどうじゃ?」
そう言うと、アルは光を放ち獣に姿を変えた。
「どうしてもついて来たいのですね?」
「うむ、シロウは我の伝道師じゃからな。ハヤブサに食われると困る」
「フフッ、分かりました。アルは本当にシロウが好きなのですね」
「ちっ、違う!!これは共存共栄の為じゃ!!」
「そうだぜ、ラケル」
すぐさま否定したシロウの足に、アルは噛みついた。
「痛ぇ!!なにすんだよ、アル!?」
「うるさいのじゃ!!」
そっぽを向いたアルに、シロウは頭を掻きながらため息を吐いた。
食事を終えた二人は、シロウとラケルは腕を組んで、アルはその後を追いながら森の中を歩いた。
歩きながら、ラケルはシロウに森について話してくれた。
「もともとこの森は、主人と私で守っていたのです。ですが主人は悪神との戦いで傷を負い、大地に還ってしまいました」
「悪神?」
「信仰を失い狂った神の事です。シロウも出会う事があれば気を付けて下さい」
信仰を失った神と聞き、シロウは後ろを歩いているアルをチラリと見た。
「フフッ、アルは大丈夫ですよ。信仰を失っても穢れておりませんから…」
「信仰を失うとどうなるんだ?」
「普通は力が弱まり、いずれ消えてしまいます。ですがそれに抗おうと人を殺め、大地を荒し、怨嗟を糧にするものがいます」
「それが悪神か?」
「はい、怨嗟を糧にすると、その体は光を失いひたすら黒く淀んでいき、やがて正気を失います」
黒く淀む…。シロウが死のうとした祠で出会った黒く巨大な獣。
アレは悪神になったアルの姿だったのだろうか。
シロウが黒い獅子の姿を思い浮かべていると、風が巻き起こり巨大なハヤブサが空から舞い降りた。
『ラケル!?誰だよその男!?』
「ウルラ、この方は私の恋人、シロウです」
『恋人だと!?そいつは人間じゃないか!?』
大地に降り立ったハヤブサは、光を放ち人の姿になった。
黒髪黒目の青年が現れる。
青年はシロウより若く、少し幼い印象を受けた。
「人と神が夫婦になるなんて聞いた事ない!!」
「何事にも最初というのはあります」
ラケルの言葉に、ウルラはシロウを睨みつけた。
さすが猛禽類だ。その眼光は人にはない鋭さを備えていた。
「貴様、僕と勝負しろ!!」
「なんで?」
「勝った方がラケルと夫婦になる!!」
「だから、なんでだよ?ラケルは俺に惚れてるし、俺もラケルに惚れてんだ。お前の入り込む余地なんてないだろ?」
二人が相思相愛だと聞いて、ウルラは少し涙ぐんだ。
「うるさい!!とにかく勝負だ!!」
ウルラは飛ぶような速度でシロウに迫った。
だがそのウルラの突進は、ラケルの放った尻尾の一振りにより弾き飛ばされた。
いつの間にかドレスの下から蜥蜴の尻尾が伸びている。
「シロウを傷付ける事は私が許しません」
「…そんなラケル、本当にその男と?」
「はい、ですから貴方の求婚はお受け出来ません」
「クソッ!!僕は!!僕は諦めないからな!!」
男は光を放ち大空に飛び立った。
「流石、ハヤブサ。恐ろしく速いぜ」
「シロウ、大丈夫か?」
アルが駆け寄りシロウを見上げる。
その頭を撫でながらシロウは空を見上げた。
「ありゃ、心を折らねえと諦めそうにないな」
そう言ったシロウの顔には、昔を懐かしむような笑みが浮かんでいた。