処刑
シロウが涙を拭うとファルはハッとして身を引いた。
「何をするのです!?」
「いや、泣いてたから……。俺は女が泣いてんのは好きじゃねぇ」
「……私は人に忌み嫌われる鼠の神ですよ」
「鼠か…。確かにあいつ等には苦労させられた。壁に穴開けるわ、麦や野菜を食い荒らすわ…。でも今思えばあいつ等も生きようと必死だったんだな」
シロウはその時の事を思い出したのか、少し苦笑しながら答えた。
「あなた変わってますね。誰に対してもそうなのですか?」
「ん?うーん。なんかよ、俺の中にはアルの祠で死んだ魂が棲んでんだ。それから変わった気がする。俺自身はあんま実感ねぇんだけど」
魂の影響で、この男の価値観に多様性が生じたのでは無いか?
だから何でも受け入れる事が出来る?
だから鼠の神である私の涙も、厭う事なく拭えた……。
「もういいか?気が済んだんなら俺は寝るぞ?」
「はい。……また来て良いですか?」
「好きにしろよ。まあいつまで此処にいるかは分かんねぇけど」
「そうですか…。そうですよね。……では今日はこれで」
「おう、またな」
シロウはそう答えると寝台に横になった。
本当に眠るようだ。
ファルは寝息を立て始めたシロウに、少し困惑しながら牢を後にした。
獅子神が言っていた事が少し分かった気がする。
あの人間と話していると、気持ちが軽くなるような気がする。
今まで漠然としていた、増え続ける意味。
衝動だった物におぼろげだが理由が出来た様な……。
教団の神達が獅子神についたのは、あの男がいたから…。
牢をさった後もファルはシロウの事を考え続けた。
王都の剣術道場では、木剣を打ち合わせる音が響いていた。
「ザルト殿は筋が良いですな」
「そうか?剣術は初めてだが、これはこれで奥が深いな」
「ザルト殿の体術も興味深い。わが流派に取り入れたいぐらいです」
「知りたいなら教えるぞ」
「おお!是非ともお願いしたい!」
ザルトとマーロウはそんな事を話しながら手合わせを続けていた。
「飽きずによくやるわね。ねぇアルブム、ホントにシロウを助けに行かないの?」
「場所は既に分かっておる。そう時を置かず何か起こるじゃろ」
「それまで待機かぁ、退屈ねぇ」
「それならお主も練習に混ざれば良いではないか?」
庭で行われているその手合わせを、ベンチに座って見物しながらアルはウネグに言う。
マーロウの病も癒え、道場には門下生が戻っていた。
ジョシュアがいなくなった事で人数は減ったが、それでも最初にここを訪れた時に比べれば雲泥の差だ。
「やーよ。私は頭脳派なの。剣を振り回すなんてまっぴらごめんよ」
「じゃが少しは自分の身を守れた方が良かろう?」
二人が話していると、ロックがお茶を運んで来た。
彼にはアルの事はシロウが連れていた子の姉だと伝えていた。
髪の色や雰囲気から、ロックもマーロウも違和感なく信じたようだ。
「お二人ともお茶はいかがですか?」
「ありがとう。頂くわ」
「すまんのロック。そういえばランガはどうしたのじゃ?」
「ランガさんは裏庭で薪を割っています。お客さんだからいいと言ったんですが……」
「本人がやりたいと言うのじゃから、やらせておけば良い」
ランガは何かしていないと落ち着かないのか、道場の雑用を引き受けているようだった。
ただ、力の調節が苦手らしく細かい仕事は尽く失敗したようだ。
アルはお茶を飲み、ほぅと息を吐いた。
春の日差しが心地よく、このまま眠ってしまいそうだ。
「平和じゃのう……」
「ホントにいいのかしら、こんなにのんびりしてて」
「お二人ともお暇なら短剣術でも練習してみますか?そちらなら僕でもご教授できますよ?」
「ふむ、短剣か。ウネグお主習ってみてはどうじゃ?」
ウネグはアルに促されてロックに目をやった。
ロックは人に自分の技術を教えるのが嬉しいのか、期待に満ちた目でウネグを見ている。
「ロック君、そんな目で見ないで」
ロックはウネグの言葉で途端にションボリした。
「……しょうがない子ね。分かったわよ、教えて頂戴。でも優しくしてよ」
「はい!すぐ準備しますね!」
ロックは嬉しそうに母屋へ向かって駆け出していった。
アルはその様子を見て優しく微笑んだ。
「本当に昼寝でもするかの……」
空を見上げアルはポツリと呟いた。
叡智神の神殿でキマは一人苛立っていた。
シロウと話してから、あの男の言葉が頭から離れない。
いくつかの策がつぶれ、それを補う物を考えなければならないのに、思考に集中出来ない。
こんな状態は生まれて初めてだ。
グルグルと回る思考の果て、キマは一つの結論を出した。
卓上の呼び鈴を鳴らす。
「ご用は何でしょうか?」
「牢の男を中庭に連行しなさい」
「中庭ですか?ではやはりあの男は邪教徒……」
「ええ、私自ら確認しました。悪しき神の信徒です。改宗を促したのですが受け入れませんでした。……残念な事です」
キマは机に肘を付き、苦悩するように首を振った。
「せめて苦しまない様に、処刑人にはゴンズを使いなさい」
「畏まりました」
側近は表情を引き締め部屋を後にした。
処刑人のゴンズには、キマが呪を掛けた剣を渡してある。
いかに人外であろうとも、仕留め損ねる事は無いだろう。
キマは自身の決断に深くため息を吐いた。
シロウは看守に連れられ神殿の中庭に立っていた。
中庭には神殿騎士が並び、庭の中心には断頭台が置かれている。
正面のバルコニーにはキマの姿も見えた。
「国に邪教を広める伝道師よ!これはお前の罪に対する神からの罰だ!」
キマはシロウに手を翳し、高らかに叫んだ。
断頭台の横には覆面を被った男が立っている。
男の筋肉は盛り上がり、手にした剣からは奇妙な雰囲気が漂っていた。
「こりゃ交渉決裂かな」
「黙って歩け邪教徒め!」
「邪教徒ねぇ。へんな教えを広めた覚えはねぇんだけどなぁ」
「黙れと言っている!」
看守がシロウの肩掴み、断頭台へ向かっていく。
「しゃあねぇ」
シロウは嵌められた短い鎖の付いた手枷を引きちぎろうと、腕に力を込めた。
だが後ろ手に嵌められたそれはビクともしない。
「こりゃあ想定外だ」
このまま黙って首を落とされる訳にはいかない。
シロウは看守の足を払い、飛んで体を丸め、手枷を嵌められた手を手前に回した。
「貴様逆らうか!?」
「黙って殺されるつもりはねぇんでな」
取り囲んだ神殿騎士達を、シロウは繋がれた両手と、自由の利く足を使い次々に打ち倒した。
背後に気配を感じ咄嗟に前に飛び、転がる。
その直後に振り抜かれた剣が、シロウの足をかすめる。
剣がかすめた右脛からは血が滴っていた。
「やっぱ普通の剣じゃなかったか」
「じっとしていれば痛み無く送ってやる」
覆面の男は静かにシロウに告げた。
覆面から除く瞳には何の感情も浮かんでいない。
「そういう訳にもいかねぇんだ。大事な約束があるんでね」
「……俺は俺の仕事をするだけだ」
男は剣を振りかぶり、シロウに叩き付ける。
それを躱そうとしたシロウの隣に、突然槍の穂先が突き出された。
神殿騎士は残っていない筈だ。
動揺はシロウの動きを鈍らせ、剣が眼前に迫る。
両手を前に突き出し、手枷の鎖で剣を受け止める。
だが勢いは殺しきれず、剣はシロウの肩口を浅く切り裂いた。
「抵抗は痛みを長引かせるだけだ」
男はのしかかる様に剣を押し込んでくる。
常なら押し返せるだろうが、体勢が悪すぎる。
剣はゆっくりとシロウの肩を切り裂いていく。
その肩に小さな鼠が何時の間にか乗っていた。
鼠はその口に銀色に輝くカギを咥えていた。