知恵の神が望む事
ファルは彼女を運んでいた不死鳥ファニの眷属の背で、アルを襲わせた同胞との繋がりが切れた事を感じた。
あの数では獅子神を喰い尽くす事は出来なかったようだ。
だがその事は別にどうでも良かった。
彼女は国中に同胞を放っている。
今回は数が足りなかっただけだし、獅子神をどうにかしろと命じられた訳では無い。
キマがファルに命じたのは、獅子神と行動を共にする男を連れてこいという事だけだ。
それは果たしたし、獅子神の相手は他の力のある神がすればいい。
ファルにある強烈な衝動は、産んで増えて、この世界の隅々に同胞を行き渡らせる事だ。
ファルは掌に息を吹きかけた。
するとたちまち小さな鼠が一匹現れる。
「お行きなさい」
ファルがそう命じると鼠は掌から眼下の森へ飛び降りた。
シロウの前にニコニコと笑みを浮かべる小柄な老人が座っている。
「すみません。お願いした者が随分と強引な手段でお招きしたようで。後で叱っておきますので、どうかお許しを」
調度の行き届いた部屋だった。
ただ窓は一つも無く、部屋は幾つもランプの灯りが照らしていた。
テーブルが一つに椅子が二つ、シロウと老人は向かい合って座っている。
ここまでシロウを連れて来た看守は、老人の命で部屋の外に待機していた。
懺悔室にいるみてぇだ。
シロウは部屋にそんな感想を持った。
「素で構わねぇぜ。アンタがキマか?」
「……お心遣いは感謝しますが、これが本来の私です。それで私の事は裏切り者達から聞いたのですかな?」
「裏切り者ねぇ…。どっちかつうと、あんた等の方が裏切り者なんじゃねぇの?」
「はて、どういう意味でしょう?」
シロウはテーブルに肘を乗せ、手枷の嵌められた手を顔の前で組んだ。
「人の神への願いは平穏に生きる事の筈だ。あんた等がどんな神であろうとそれは願いに含まれている。そうじゃないのか?」
「そうですな。確かに私も知恵の神として、人により生み出されました。私を生み出した人々の望みは簡単に言えば、知恵による生活の向上でした」
「戦は生活の向上か?」
「……彼らがいけないのです。暮らしが安定すれば人はより多くの富を求め、他者から奪う事を始めました。知恵は武器を作り出し人は戦を繰り返す」
キマは椅子に深く座り直し、背もたれに背を預けた。
「強力な王の元で統制された世界。それが叶えば世は永続的に発展できるでしょう。その為には力が必要なのです」
「んで、ナミロを王にすんのか?聞いた話だと、あいつずっと戦を続けるつもりじゃねぇか」
「世界がまとまるまでは力ある王が必要です。仕事が終われば彼には休んでもらうつもりです」
「成程ねぇ。ナミロにまとめさせて、その後はお前が世界の王になるって訳か?」
「いいえ、私は王の器ではありません。古い神では無く、まったく新しい平和を尊ぶ公正な唯一神を作り出す。最終的な目標はそこです」
キマは身を乗り出しシロウに言う。
「あなたも協力しませんか?もはやあなたも人として規格外だ。神と呼んでも差し支えないでしょう。それにあなたも平和を望んでいるのでしょう?」
「悪いがお断りだね。俺はよぉ、目の前で誰かが泣くのは御免なんだ。お前の計画が実現するまでどんだけの奴が泣くんだ?」
「必要な犠牲です。私の計画が成れば世から戦を一掃出来る。戦争による衰退を排し文明を発展させられる」
キマは立ち上がり、熱に浮かされた様に手を広げ理想を語った。
彼もまたランガと同じく、生み出された理由に支配されているのだろう。
「キマ、本当にそれでいいのか?」
「勿論です。その為に私は生まれた」
「それはお前を生んだ人間達の理想だろ?生まれた時、人に別の望みがあったからアル達は生まれたんじゃないのか?」
「それは文明が交流できる程、人が発達していなかったからです」
シロウは背もたれにもたれ天井を見上げた。
キマの言う事も正しい部分はある様に感じる。
だが、この世界に正しい答えは一つだけだろうか。
シロウには違う様に思えた。
人は、いや世界中の生き物はそれぞれが独立し、個別の思いで生きている。
望みも千差万別だ。
シロウは職人として身を立て、家族を貧しい暮らしから抜け出させたかった。
リーネは貧しくとも家族と共に暮らしたいと願った。
どちらも同様に幸せを願ったが、やりたい事は違っていた。
千の命があれば、望む未来は千になる筈だ。
誰かが考えた理想を押し付けられる事は、残りの九百九十九の望みは無視されるという事だ。
それは違うとシロウは思った。
「キマ、やっぱ協力は出来ねぇ。生命は誰かに与えられたんじゃなく、自分の意思で進んでいくべきだ。……キマ、さっきから話してるお前の理想は、本当にお前の意思の産物なのか?」
「私の意思だと?……当たり前だ!私は知恵の神だぞ!」
「だから、それは人がお前に願った事だろ?」
キマは爛々と目を光らせシロウを睨んだ。
「やっぱ、素じゃなかったじゃねぇか?……お前がいなくても人間はきっと発展していくよ。間違った方向に進む奴もいるだろうし、それで死ぬ奴もいるだろう。でもよぉ、神様が道を示すんじゃ無くて、一人一人が道を切り開いていった方が俺はいいと思うぜ」
「それでは我々神は何の為にいるというのだ!?」
「多分、救いの為じゃねぇか?」
「救いだと…?」
シロウは見下ろすキマの目を見て言う。
「そうだ。この世にはよ、どうにもならない時ってのが確かにある。そんな時に縋れる何か、それが神だと思う。アンタもそうして生まれたんじゃないのか?」
「私は……」
キマは遠い昔、東の深い集落で産声を上げた。
その集落は当初は狩猟で生計を立てる、原始的な村だった。
やがて農耕が伝わり畑を作る様になると、農機具を使いだし、それを作る者達が現れた。
そんな頃、器用に道具を使う猿を見た職人の一人がした祈り、それが切っ掛けだった。
全ての道具、最初は鍬や土器だった。当然、最初からは上手くは作れない。
工夫を重ね、上手く行くように祈る想いが集まり、徐々に力としてキマを形作っていった。
最初は簡単な道具への祈り、それが少しづつ発展し、新たな発明への願いとなった。
それは職人の神から学問の神、そして知恵の神へと長い時間をかけ変わっていった。
しかし、技術は武器を生む、鍬は剣へ、服は鎧へ姿を変えた。
キマの与えた加護により、新たな武器が作られ、それでいくつもの国が消えた。
「私は……、私の加護で生みだされた武器で、生まれた文化が滅ぶのを見たくないのだ。だが生みだした技術を武器に転用するのを止める力は私には無い。だから私は!」
「それで戦を起こすんじゃ本末転倒じゃねぇか?」
「どうすれば良いのだ!?私では人が争う事を止める事等出来ぬ!!」
「止めなくていい」
キマは目を見開きシロウを見る。
「お前は神だが万能じゃねぇ。お前は発展だけ考えりゃいいんだよ」
「……発展だけ?」
「そうだ。何でもかんでもしょい込んで、お前はそんな風に出来ていねぇだろ?止めんのは他の奴に任せりゃいいんだよ」
「他の奴?……誰に任せるというのだ?」
シロウは首を回して軽い調子でキマに言う。
「人間が戦いを始めたんだから、終わらせるのも人間で良いんじゃねぇか?」
「人間にだと……」
「人の戦に神様が出て来て責任感じる必要はねぇ。……そういやアルも気にしてたな。……キマ、あんたもアルと一緒で優しいな」
「私が優しい?」
キマは目の前の人間の事が分からなくなった。
ナミロを旗頭に掲げ、混乱を起こし、唯一神を作り出そうとしている自分が優しい…。
「だって、戦争で人が死ぬのがいやなんだろ?」
「私は自分の力で生みだされた武器で…」
「出来たモンをどう使うかは、使う奴の責任だ。アンタは人が楽に暮らせるように、作る奴の背中を後押ししただけだろ?」
「そう…なのか?」
「誰かに加護を与えた時、これで沢山、人を殺せって思いながら与えたのか?」
「そのような事を思う訳が無い!!」
シロウは少し笑みを浮かべた。
「俺は自分の出来る範囲で、泣いてる奴を助けたいと思ってる。だけど全部は無理だ。だから仲間は多い方が良い。お前もその仲間にならねぇか?」
「私も仲間に……」
キマは不意に我に返った。
自分は何を考えている。
この男と話していると、自分が変えられていくような気がする。
キマはシロウを残し、足早に部屋を出た。
「牢に戻しておいて下さい」
「ハッ!」
自身の部屋に戻りながら、キマの脳裏にはシロウの言葉が響き続けた。