六華の刃
一際大きな扉の前に立つと、中から声が聞こえて来る。
『そこそこ、そこをぎゅーとな』
「あなた、私もう手が疲れました」
『そんな事を言うな。儂も流石に四日も戦ってくたびれたのだ』
「しょうがないですねぇ。……本当に宴には出ないのですか?」
『出ん!一時の感情で暴走した尻拭いをしてもらった上に今回の件だ。宴で一体どんな顔をすれば良いのだ』
グラルと、話しから察するに奥方だろうか。
「意地を張っていないで、素直に頭を下げて礼を言えば良いではありませんか?」
『フンッ、儂にもプライドがある。あの小僧に頭を下げるぐらいであれば、死んだ方がましだ』
「安いプライドですねぇ。……良いですか、誇りというのは決して譲れないモノを守る事ですよ。あなたのは子供が意固地になっているのと変わりません」
『何だと!?グヌヌ、言わせておけば…。良いだろう、貴様の様な女とは終わりだ!さっさと出て行け!』
「いいでしょう。あなたの様な分からず屋はこちらの方がお断りです」
『ギャン!!』
「失礼します」
重い何かを殴る音と、グラルの悲鳴が聞こえた後、カツカツと氷の床を歩く音が聞こえ、ドアが開いた。
白髪の白いドレスを着た美女が現れる。
とても美しい女性だ、しかしやり取りを聞いていた事もあるが、それを抜きにしても凄みの様なモノをシロウは感じた。
「あら、ニクス。それにシロウ様でしたわね?」
「母上、これで何度目です…。しかも客人の前で」
「仕方ないでしょう?あの分からず屋の頑固者が悪いのです。私はこれで失礼いたしますが、シロウ様はゆっくりしていって下さいませ。では御機嫌よう」
「あっ、ああ」
女性は笑みを浮かべシロウに会釈をすると、振り向きもせず廊下を去っていった。
「……お前の母ちゃん、怖えな」
「いつもの事です。暫くすれば長の方から、戻って来てくれと泣きつくでしょう」
ニクスはため息を一つ吐いて、扉をくぐった。
「長、ニクスです」
長は床に敷かれた毛皮の上に横になって鼻を押さえていたが、ニクスの声で垂れた鼻血を舐めとり、その後ろにいたシロウを見て顔を顰めた。
人に姿を変え、椅子に腰を下ろし足を組む
「…ニクスか何用だ?小僧の相手はお前に任せた筈だが?」
「いまさら恰好つけんなよ。……俺が言える事じゃねぇが、上さんには逆らわない方がいいぜ」
「やかましい!貴様がいるとろくな事が起きん!金輪際、儂の側に寄るな!」
グラルはへそを曲げた子供の様にそっぽをむいてしまった。
「長、シロウさんに渡した剣ですが…」
「勝手に持って行くがいい。くれてやった物だ。どう使おうが小僧の勝手だ」
「そういう訳には参りません。主を傷付ける剣等渡したとあっては、雪狼族の名折れです」
グラルは面倒そうにニクスに目をやった。
「何をしろと言うのだ?あの剣は熊を倒す為に力のみを求めて作った。多少使い勝手が悪いのは仕方なかろう」
「シロウさん、先ほどの欠片を」
ニクスに言われ、シロウはポーチから欠片を取り出す。
欠片には子犬がへばり付き寝ていた。
子犬はポーチから出された事で目を覚まし、シロウを見つけると欠片の上で嬉しそうに尾を振る。
「この欠片には神格、新しい神が宿っています。ご覧いただけば分かる様にシロウさんを慕っている様子」
「それで?」
「この欠片と剣を使って、新たに一本、剣を作りましょう。きっと主を守る良い剣が出来ます」
「何故そこまでせねばならん?その剣と歓待の宴で十分であろう?」
ニクスはツカツカとグラルに歩みより、確認するように言った。
「本当にそれで良いのですか?アルブム様には里の多くの者が癒していただきました。それはシロウさんの願いだったと聞いております。このまま諸刃の剣の様な剣を渡す事が、誇りある雪狼族に相応しい行いでしょうか?」
「ニクス、お前だんだんとアレに似て来たな」
「長が、いえ、父上がいつまでも子供の様だから、私やバラフはこう成らざるを得なかったのです」
「……分かった。……剣を作れば良いのだな。全く話の詰め方がネージュそっくりだぞ」
長は椅子から腰をあげ、シロウにしかめツラで手を差し出す。
「剣と欠片を寄越せ。作り直してやる」
「すげー不本意そうだな」
「うるさい!これ以上なにか言うと直してやらんぞ!」
シロウは苦笑しながら、グラルに剣を渡した。
グラルは剣を抜き、刀身を確認する。
「フンッ、熊神の所為で少し溶けたな。……ニクス、バラフを呼べ。どうせなら完璧な物を作ってやる。それなら文句なかろう?」
「分かりました長!!」
ニクスは嬉しそうに、宴が行われている広間に駆けて行った。
二人残されたシロウとグラルは、なんとなく黙ってしまった。
沈黙に耐え兼ね、おもむろにシロウが口を開く。
「……最初に会った時は殴って悪かったな。あん時はヴィーネの事でカッとなっちまってよぉ」
「……あの娘には、確かに酷い事をした。儂は聖域を守る事が自分に課せられた使命だと思っておったからな。……ついて来い、剣を作るにはあの場所の方が良かろう」
グラルはシロウを連れて、屋敷の奥へ向かった。
そのまま屋敷を出て森の中に作られた氷の道を進む。
「何処に行くんだ?」
「娘が一度死んだ場所、聖域だ。あそこなら祖先の力を借りて、決して溶けない剣が作れる筈だ」
「いいのか、俺が入っても?」
「こやつはお前に懐いておる、我らだけでは形を変える事を受け入れまい」
そう言う長の手には、欠片の上でキャンキャンと吠える子犬の姿があった。
「なぁ、そのチビ、本当に神様なのか?」
「ああ、まだ生まれたてだがな。……こんな神は見た事が無い、剣を…それも雪狼の剣を操る事のみに特化しておるようだ」
「それはそれでちょっと不憫だな」
「生まれたてはそういうモノだ。その内、意思を持つだろう。せいぜい噛みつかれない様によく躾けるのだな」
話している内に、シロウは木で組まれた簡素な社の前に出た。
とても小さく、お世辞にも立派とは言えない。
だが、ラケルの社にも負けないぐらい神聖なモノをシロウは感じた。
「ここから、我らの一族は始まったのだ。この子犬のようにな」
そう言ってグラルは欠片の子犬を見つめた。
その瞳にはいつもの尊大な様子は無く、慈愛に満ちていた。
子犬も吠えるのを止め、首を傾げグラルを見上げている。
「長!こちらでしたか!」
ニクスがバラフを連れ、二人に駆け寄る。
その後ろには、グラルの妻、ネージュの姿もあった。
「何故、ネージュまで?」
「シロウ様の為に剣を作るのでしょう?では里で一番の術使いが参加しない訳にはいかないでしょう」
「里で一番?一番は爺様じゃねぇのか?」
「シロウさん、母上は長より術の扱いには長けています。力は長の方が上ですが…」
ニクスが耳元で囁く。シロウはニクスの言う事も分かる気がした。
グラルは性格的になんとなくだが雑な気がする。
術の事は良く分からないが、繊細さが必要なのは、シロウがやっていた家具作りと同じではないだろうか。
「何をコソコソ言っておる!小僧、この赤ん坊に新たな剣に宿るよう願え!」
長は欠片をシロウの前に突き出した。
「願うねぇ。……お前、また剣になって俺と一緒にくるか?」
『ワンッ!!』
子犬は一声鳴くと、シロウを見上げ嬉しそうに尻尾を振った。
「そうか。んじゃ頼む。新しい剣になって俺と来てくれ」
シロウの願いで、子犬は眩く輝いた。
「……一人の願いでは無いな。……そうか、魂が…」
「長、剣を!」
「…うむ。ニクス、バラフ、お前達は儂と共に力を集めろ。ネージュ仕上げは任せた」
「はい!」
「……シロウ様達にきちんとお礼を言えますか?」
「ぐぬ……。分かった、剣を作り終えたら改めて礼を言わせてもらおう」
「……それなら良いでしょう。ではやりますよ!」
グラフ達は、社の前の開けた場所に剣と欠片を据え、四方に別れた。
グラフ、ニクス、バラフは吹雪を繰り出し、それをネージュがまとめ上げる。
シロウはそれを後ろから眺めていた。
不意に声が聞こえる。
『剣作りとは懐かしいのう』
『どれ、儂らも力を貸してやるか』
『久々じゃから加減がわからん』
『老いぼれは引っ込んどれ!』
『何じゃと!?貴様に言われとうないわ!!』
『まあまあ、この客人には恩があるようじゃ。気張ろうではないか』
無数の声が森に木霊する。
近くにいるだけで凍り付きそうな冷気が、森中から集まってくるのをシロウは感じた。
その力をまとめているネージュの顔が歪み、口元には肉食獣の笑みが浮かぶ。
「ネージュ大丈夫か!?」
「フフッ、お任せを!!御してみせます!!」
氷の暴風を操り、ネージュはその力の全てを剣に送る。
目の前が白一色に染まり、それが嘘の様に晴れた後、一本の美しい剣が社の前に鎮座していた。
グラフ達は膝をついて荒く息を吐いている。
「はぁはぁ、ご先祖様…張り切りすぎだ…」
「ふぅ、シロウ様、どうぞ…」
「おッ、おう!」
ネージュが少し疲れた様子で、口を開けていたシロウを促す。
白い柄と鞘には精緻な細工が為されている。
シロウが手に取ると、吹雪の力を集めた筈の剣からは、子犬を触った時の様な暖かさを感じた。
抜き放つと刀身は氷では無く、清水の様に完全に透き通り、ともすれば透明にさえ見えた。
見ていると刀身の近くには、空気中の水分が雪の結晶として舞っている。
それなのにシロウは全く冷たさを感じなかった。
「どうだ!その剣なら溶岩になったあの熊神でさえ、容易く断ち切る事が出来よう!」
「ああ。四人とも、いや森にいた爺様や婆様も皆ありがとよ…。大事に使わせてもらうぜ。……チビ、よろしくな」
シロウが剣を掲げそう呟くと「ワンッ」と嬉しそうな鳴き声が聞こえたような気がした。