リンゴの村
クロードは、地下牢を進んだ。
悪臭の漂う通路を進み、一番奥の扉を開ける。
そこには領主が呻き声を上げていた。
壁際で倒れている男はたしか拷問官だった筈だ。
「父上、お聞きしたい事があります」
「うう、クロードか?…今すぐ兵を率いて女を連れた
黒髪の男を追え!その男を必ず殺すのだ!」
領主は涙と鼻水と脂汗を滴られせながらクロードに命じた。
「その者に関して、少しお聞きしたいのですが?」
「何だ!?」
「父上が村を潰す為に女たちを攫わせ、奴隷商に売り飛ばそうとしたというのは本当ですか?」
「……あの者達は罪人だ!罪人は罪を償わねばならん!」
領主はクロードの質問に濁った眼で答えた。
「罪人と仰いましたが、一体なんの咎です?」
「……反逆罪だ」
「女ばかりでしたが、女性だけで反逆を企てたのですか?」
「男は殺した!……当然であろう!領主に逆らったのだぞ!」
女たちは疲れ果てており、酷く怯えていた。
クロードには、とても反逆を企てた者たちとは思えなかった。
クロードは拷問官の腰から鍵束を抜き取った。
「私が事実を調べ終えるまで、こちらでお休みください」
「調べる?何を言っておる?命令は下した!さっさと男を殺してこい!!」
クロードは領主の言葉を無視して、部屋から出て扉に鍵を掛けた。
「食事は運ばせます。…医者も必要そうですね。ご用意いたします」
それだけ言うとクロードは地下牢を後にした。
地下には領主の息子を呼ぶ声が響き渡った。
シロウ達はクロードが用意してくれた馬車に乗り、村を目指した。
御者席にはシロウとアルが座り、荷台には女たちが乗っている。
女たちもテレーズも眠っていた。皆疲れていたのだろう。
「シロウ、我の口上を邪魔するでない!」
アルはクロードに対する名乗りを邪魔された事をまだ怒っていた。
「でもよぉ、あそこでお前が神なんて言い出したら、余計ややこしくなるだろ?」
「むう。しかし、信仰の対象が目の前にいた方が、信者が増えそうではないか?」
「神様なんざぁどこか遠い場所にいて、願いを聞いてくれてる。それぐらいの方が俺はいいと思うぜ」
「……そんなものか?」
「そんなもんさ。神様が近くにいて、なんでも聞いてくれるとなりゃ、お前ずっと願いを聞き続けないといけないぜ。それでもいいのか?」
シロウの言葉でアルは少し考えこんだ。
「…それは確かに大変じゃの」
「だろう?」
腕組みして唸るアルの頭を撫で、シロウは少し笑った。
日が開けるころ、馬車は村に辿り着いた。
馬車の存在に気付いた村人が、家の中から様子を伺っている。
シロウはそのまま馬車を進め、ニムの家の前で止めた。
ドアを叩き声を上げる。
「村長!!アニー!!ついでにスミス!!出てこい!!」
暫く待つとためらいがちにドアが開かれた。
「シロウ殿…山賊は?」
「山賊は叩きのめした。女たちも取り返してきたぜ」
シロウはそう言って馬車に親指を向ける。
「おお!おお!…ありがとうございます。お前達、無事じゃったのか?」
ニムは女たちの姿を見てシロウ達に頭を下げ、馬車に駆け寄った。
「村長さん、皆無事さ。そこのシロウさんとアルブム・シンマ様っていう神様のお蔭だよぉ」
「おお、そうか、そうか。……アルブム・シンマ様?」
「その神様のお蔭でテレーズは助かったんだ」
「テレーズが…」
アニーも馬車に気付き、寝間着のまま駆け寄った。
「お母さんは!?」
「アニーちゃん、テレーズさんならここにいるよ」
テレーズに膝枕をしていた女がアニーにそう告げる。
「ん…ここは?アニー?」
「お母さん…お母さぁん!…うぇええ!良かったよぉ!!」
アニーは荷台に飛び乗り、テレーズに抱き着いて涙を流した。
それを見ていたシロウとアルに、スミスが深くお辞儀をした。
「ありがとう御座います。お二人には感謝の言葉も御座いません」
「いいって事よ。それよりなんか食わせてくれ。…出来ればリンゴ以外も頼む」
「はい、喜んでご用意させていただきます」
馬車には様子を見に来た村人が、女たちが帰ってきた事に喜びの声を上げていた。
シロウとアルは、その様子を見て顔を見合わせて笑い、ニムの家に入った。
食堂でスミスが用意してくれた食事に舌鼓を打っていると、目を赤くしたアニーとテレーズ、それにニムが食堂に姿を見せた。
「よう、アニー。約束は守ったぜ」
「…うん、ありがと」
アニーは少し照れ臭そうに礼を言った。
ニムとテレーズも二人に頭を下げる。
「シロウさん、アルさん、二人とも本当にありがとうございます」
「飯の為に仕事をしただけだ。そうだアニー、アルブムの祠、ちゃんと作ってくれよ」
「分かってるわよ。皆に聞いたわ、お母さんを傷を治してくれたのはアルブム様なんでしょう?」
「そうじゃ、じゃからもっと感謝せい!」
齧っていたリンゴを持ったまま、アルが誇らしげに胸を張る。
どうやらリンゴを気に入ったようだ。
「なんでアルちゃんが得意げなの?それにあなた少し大きくなっていない?」
「せっ、成長期だからな。別にこのぐらい普通だろ?」
「成長期……すっごく変だし気になるけど、聞かれたくないみたいだから、追及しないでおくわ」
「二人とも今日は泊まっていって下さい。今日と言わず何日でも…」
テレーズは微笑みながら二人にそう言った。
助けた時は傷だらけだったので気が付かなったが、テレーズはとても美しい女性だった。
シロウの胸に自身の感情とは関係無く、愛おしさが溢れた。
「シロウ、お母さんが美人だからって、変な目で見ないでよね」
「そう言う訳じゃねぇよ。……とにかくしばらく厄介になるぜ」
「はい、是非そうして下さい」
あのまま領主が黙っているとは思えない。
本当は殺した方が、あと腐れが無いとは分かっていたが、棲み付いた魂の事を考えると、人を殺したくはなかった。
もし村を襲って来るようなら、山賊共は去勢して、領主の骨を砕く。
シロウは自分の言動に従い行動するつもりだった。
「シロウ、怖い顔になっておるぞ」
アルがシロウを見上げ少し心配そうに言う。
その頭を撫でながらそれに答える。
「心配してくれて、ありがとよ」
「だから、我は子供ではないというに…」
文句を言いながらも、アルは気持ちよさそうに撫でられていた。
「ホント仲がいいわね」
「いや、特に良くねぇよ」
「そうじゃぞ、アニー」
「フフフッ、共存共栄でしょ?」
「そうじゃ!」
その夜遅く、馬の蹄の音を聞いたシロウは部屋を抜けだした。
誰にも告げず家の外に出る。
ニムの家の前には、兵を引き連れたクロードがいた。
「やっぱり来たな。村を潰すつもりなら、相手になるぜ」
「……君の言った事は本当だった。あの後、父の側近を問い詰めたら、洗いざらい吐いたよ」
「父?お前、領主の息子だったのか?…それでどうする?親父を痛めつけた俺に復讐にきたのか?」
クロードは首を振り、馬から降りて頭を下げた。
兵がざわめきを上げる。
「本当に済まなかった。本来領民を守るべき領主の取る行動では無い。父に代わり謝罪する」
「……俺に謝っても仕方ないだろ。謝るなら村人達に謝れよ」
「……そうだな。その通りだ」
クロードは辛そうにそう言った。
「お前、これからどうするつもりだ?」
「父の事は村の人々の話を聞いて決めるつもりだ。……彼らが望むなら処刑も止むを得ないと思っている」
「…山賊共はどうすんだ?」
「彼らは既に捉えてある。彼らの事は法に則って裁きを下すつもりだ」
クロードはそう言ってシロウを真っすぐに見た。
父親と違って真面目そうな奴だとシロウは思う。
だから領主はクロードに何も言わなかったのだろう。
「村の奴らに謝るってんなら、泊まっていけよ。まあ俺の家じゃねぇけど」
「……そうさせてもらえると助かる」
シロウがクロードの返事で振り返ると、スミスが玄関に立っていた。
その後ろにはニムの姿も見える。
「部屋には空きが御座います。どうぞ中へ」
クロードにそう言ってスミスは頭を下げた。
クロードと兵を招き入れ、スミスは部屋に案内した。
それを見送り、シロウはニムに声を掛ける。
「あいつは真面目そうだし、もう村は大丈夫だと思うぜ」
「はい、私もクロード様の事は、人づてに聞いた事があります。とても立派な方だと皆褒めていました。…それだけに不憫でもあると」
「不憫?」
ニムはシロウを見て言葉を続ける。
「領主様は真面目なクロード様を、政からは遠ざけていたようなのです」
「だからあいつ、城で衛兵みたいな事をしていたのか…」
「いずれは領地を引き継がれるのでしょうが、領主様は政は側近にやらせるおつもりだったようです」
「……ふうん」
テレーズを体を差し出してまで助けようとしたアニー、父親の罪の正し、処刑しようとしているクロード。
対照的な二組の親子の姿は、シロウの心に何とも言えない感情を巻き起こした。
翌朝、クロードは村人達に正式に謝罪した。
そして村を潰す事はしないので、どうかこの場所でリンゴを作り続けて欲しいと懇願した。
領主の息子が頭を下げた事で、村人達は困惑し、騒めきを上げた。
ニムが進み出て、クロードに言う。
「頭を上げて下され…、村の若者が命を落とした事は…私もまだ心の整理がついた訳ではありません…。しかし貴方の様な方が我々を守り導いて下さるなら、喜んでお手伝いさせていただきたいと思います」
クロードは頭を上げニムを見た。
ニムの顔にはぎこちない笑みが浮かんでいる。
「…そうか、済まない。……ありがとう」
クロードは感極まったのか目頭を拭っている。
その様子をアニーは離れた場所で冷ややかに見ていた。
「…いくら謝ったって、お父さんや村の皆は帰ってこないわ」
「アニー…」
憎々し気に言うアニーの後ろ姿を、テレーズは悲し気に見つめた。
アニー自身、悪いのはクロードでは無く、山賊や領主だった事は解っている。
だが誰かに怒りをぶつけないと、愛した者を失った悲しみのやり場が無くなってしまう。
「よぉ、アニー。村の方は大丈夫そうだから俺達はもう行くわ」
「シロウ!?しばらく厄介になるって言ったじゃない!?」
「我らはやる事があるのでな。アニー、息災でな」
「アルちゃん…」
シロウはテレーズに向き直り、口を開いた。
「さてと、この村での最後の仕事だ。出て来いよ」
シロウは自身の内側に声を掛けた。
するとシロウの胸から魂が飛び出してきた。
細身だが引き締まった肉体を持つ、精悍な顔つきの男だ。
アニーは突然出現した半透明の人影に、目を丸くしている。
テレーズも驚いてはいたが、見覚えのある姿に思わず呟く。
「まさか…バート?」
『…テレーズ、君を救えて良かった』
「その姿は?なぜ、シロウさんの胸から出てきたの?」
「そいつは俺に憑りついていたんだ。兎に角、話を聞いてやってくれ」
テレーズは首を傾げシロウを見た。
「話を…?バート、話ってなあに?」
『テレーズ……、あの時、俺は君を攫っていく勇気が無かった。その事をずっと悔やんでいたんだ』
「バート…」
『だけど、君とアニーの姿を見て分かったよ。君は幸せになったんだな?』
「ええ、夫を失った事は辛いけど、私は幸せだった……。いいえ、今も幸せよ」
『そうか……。最後に君と話せてよかった。ありがとうテレーズ、僕も君を愛せて幸せだった』
バートから白い光が溢れる。
光を放ちながら、バートはシロウに向き直った。
『君には感謝している。その証として僕が培ったものを君に託そう』
シロウの中に熱いものが流れ込んだ。
光は激しさを増し、やがて消えた。
「バート…」
テレーズはそう呟いて、瞳に涙を浮かべた。
「ねぇ!?今の何!?なんであの人光って消えたの!?」
「……アニー。そういう所だぞ、お子様って言われんのは」
「何でよ!?だってあんなの初めて見たし!?」
さらに追及しようとするアニーを置いてシロウは駆け出した。
「母ちゃんを支えてやれ!それとアルブムの祠、忘れんなよ!じゃあな!行くぞアル!!」
「わわッ!!」
「シロウ!?待ってよ!!」
シロウはアニーを振り切りアルを抱え村を抜ける。
もう村は大丈夫だろう。
来年には新たな実が実り、村はリンゴの香りに包まれる筈だ。
その頃、あの甘い果実をまた食べに来れたら良いなとシロウは思った。