溶岩の熊神
町を出たシロウはアルに跨り、山の麓近くの森にある雪狼族の集落に向かった。
ザルトは彼らを追い地上を駆けている。
事態が切迫しているのでアルに乗るか尋ねたのだが、彼には独自の美学があるらしく自分で走る事に固執した。
集落には以前、盗賊ギルドの件で足を運んでいた為、迷うことなく辿り着く事ができた。
シロウ達が辿り着いた時、集落には物々しい雰囲気が漂っていた。
空から降り立ったアルに、警備をしていた雪狼族が唸り声を上げる。
「以前、世話になったシロウだ。ニクスと話がしたい繋いでくれ」
『……長を倒した男か。もしや貴様があの熊を引き込んだのではあるまいな?』
「やっぱ、ランガが来てたんだな」
『貴様、やはり知っているのか!?おかしいと思ったのだ!!ソカル族と狐が現れたと同時に、あの熊の現れたのだからな!!』
警備にあたっていた雪狼は、叫び声を上げるとシロウに襲い掛かってきた。
だがシロウが相手をする暇も無く、獣のままだったアルが雪狼をはたき落した。
「短気は損気と言うのじゃ。まずは落ち着いて話を聞け」
『グッ、おのれ…』
『ふむ、獅子神も結構強いな。そういえば奴とは本気でやった事はなかったな』
空飛ぶアルに遅れる事無くついて来たザルトが、そんな感想を漏らす。
入り口で揉めていると、白髪の若者が駆け出して来た。
「何事だ!?……シロウさん?」
「よお、ニクス、久しぶりだな。早速で悪いが何があったか教えてくれ」
「…熊の神が里を襲い、長の穢れを封じた氷を奪って逃げたのです。里も焼かれ、仲間にも怪我人が大勢出ました」
穢れの氷、あれは雪狼族が時間をかけて浄化すると言っていた筈だ。
溶かせばきっと、穢れが噴き出すだろう。
「ウルラとウネグって狐神が訪ねてきたと思うんだが?」
「はい、確かにいらっしゃいました。ですが彼らは、熊の神を追っていきました。シロウさんにお伝えするよう言われたのですが、シロウさんが何処にいらっしゃるかお聞き出来ず…」
「あの馬鹿鳥……。で、今はどういう状況なんだ?」
「熊を追って長も里を出ています。長は自分のした事は自分で始末をつけると…。我々は里を守る為、動く事が出来ませんでした」
あの頑固ジジイは穢れの氷を自分で取り戻すつもりのようだ。
「はぁ…。アル、匂いは追えるか?ウルラでもウネグでもいい」
『任せるのじゃ』
アルはフスフスと鼻を鳴らした。
『いけるぞシロウ』
「んじゃ、追うか。アル、匂いの方向を教えてくれ」
『我と一緒に行けばよかろう?』
「お前は里の連中を癒してくれ。俺はザルトとウルラ達を探す」
『……』
アルは青い瞳をシロウに向けた。
「アル、治すのはお前にしか出来ねぇ。頼むぜ」
『……分かったのじゃ。里の者を癒したらすぐに追うのじゃ。無理するでないぞ。花の香りは北西、香りの強さからすれば中腹当たりじゃろう』
「分かった。ザルト乗せてくれ」
『ふむ、いいだろう。人を乗せるのは久しぶりだ。振り落とされるなよ』
「恩に着るぜ」
シロウは普通の馬の倍以上あるザルトの背に飛び乗った。
鬣を掴むとザルトは風の様に走り出す。
かつて徒歩で登った山を、ザルトは苦も無く進んでいく。
あっという間に麓は遠ざかり、木々は姿を消し、山は草地に変わった。
ヴィーネがいなくなった事で、夏でも吹雪が起こる事は無くなったようだ。
中腹を目指し進んでいくと、熱気と冷気を同時に感じた。
どうやらこの先でランガと長が戦っている様だ。
斜面を登り終え、少し平坦な開けた場所に出ると、そこには異様な光景が広がっていた。
所々に赤黒く輝く溶岩の塊が散乱し、周囲は雪で覆われている。
その中心では巨大な熊と同じく巨大な狼が、唸り声をあげてにらみ合っていた。
シロウが足を止めたザルトから降りると、彼の姿を認めたウネグが駆け寄ってきた。
「シロウ!?来てくれたの!?…ザルトがなんでいるの?」
「俺はこの男が気に入った。だから獅子神に付く事にした」
「もうザルトを取り込んだの!?…私より貴方の方が取り入るのが上手いんじゃない?」
「んな事より状況は?」
シロウは長とランガの様子を伺いながら、ウネグに尋ねる。
「雪狼族の長は頑張ってるけど、押されてる。もう四日以上戦ってるから」
「ウルラは?」
「ウルラは上よ。あの子も頑張ってるけど、ランガがとにかくタフでね」
「そうか。んじゃやるか」
シロウは雪狼の剣を鞘から抜いた。
「おっ。お前の剣技は初めてだな?」
「ザルト、お前も手伝えよ」
「えー。だってあいつ素手で触ると凄く熱いんだぜ」
「……分かった。お前はここで見てろ」
シロウがランガに向かって駆け出すと、長がランガに吹雪を浴びせた。
その吹雪は体に届く前に、赤黒く輝くランガの発する熱によって蒸発する。
同時に巨大なハヤブサが風を纏ってランガに迫る。
羽ばたきが風を生み、ランガの体を包み込む。
圧縮された風は、熊の体を煽り熱量を上げた。
「なんで連携しねぇんだ!?あれじゃ逆効果じゃねぇか!!」
シロウは長とランガの間に割って入り、雪狼の剣を振るった。
剣はシロウの想いに応え、複数の氷の刃を放つ。
連続して放たれた氷の刃は、ランガの周囲の熱で爆発し、霧を生み出した。
『新手か!?忌々しい!!』
当たりは溶岩に焼かれ焼け焦げた臭いが充満している。
視界が晴れるまで、少しは時間が稼げるだろう。
『貴様はあの時の!?』
『シロウ!!遅いよ!!』
「やかましい!!二人とも何で協力して戦わねぇ!?」
『ソカル等に頼らずとも、儂一人で如何にか出来るわ!!』
「この人、協力する気ゼロなんだもの、共闘なんて出来る訳ないよ!」
人に姿を変えたウルラがシロウに駆け寄り叫ぶ。
全く、頑固ジジイが…。
シロウは以前出会った時と全く変わっていない長に苛立ちを覚えた。
『貴様も邪魔だ!!さっさと消えろ!!』
シロウはそう言って牙を剥いて威嚇した長の鼻先を殴りつけた。
『ギャン!!貴様何をする!?』
「聞き分けのねぇ爺様だ。あいつを逃すとアンタの穢れで悪神が生まれるかも知んねぇんだぞ!?」
『……』
「三人で倒す。協力しろ」
『……ぬう。……致し方あるまい』
「爺様は出来るだけデカい刃を作り出せ。ウルラはその刃を風を使って打ち込むんだ」
「了解。シロウはどうするの?」
「俺は、こいつで奴の動きを封じる」
シロウは雪狼の剣を掲げそう答えた。
風が流れ霧が流されたと同時に、シロウはランガに切り込んだ。
その間に長は遠吠えを上げ、巨大な氷柱を作り始めた。
円錐形の氷柱は長の体を超え、小山の様なランガより遥かに大きく成長していく。
シロウが振るった剣はランガの表面を滑った。
刀身を見ると、少し溶けている。
近づくだけで、体中火傷しそうだった。
シロウは間合いを取り、ランガと向き合う。
『邪魔したのはお前か!?』
「俺はシロウ!!よろしくな!!」
『人の分際で神に直接語り掛けるな!!』
ランガが腕を振ると、それだけで熱風が押し寄せる。
シロウは雪狼の剣を振るい、周囲に吹雪を発生させた。
『先程の攻撃はその剣の力か!?』
ランガは咆哮を上げ、両腕を地面に打ち付けた。
大地が揺れ、そこから溶岩が噴き出しシロウを襲う。
『体液を蒸発させて死ね!!』
シロウは剣を大地に突き刺し、剣に願う。
すると噴き出した溶岩は熱を失い唯の岩に戻った。
さらに冷気は大地を伝い、ランガの足元を凍り付かせる。
『無駄だ!!こんなモノが利くか!!』
氷は一瞬で溶けるが、シロウはお構いなしに力を放ち続けた。
雪狼の剣の刀身は、どんどんやせ細っていく。
「頼むぜ…」
その言葉に答える様に、剣は冷気を強めた。
柄を握るシロウの手が白く覆われ、周囲にしろい靄が立ち込める。
『なんだと!?』
大地は氷に覆われ、その一帯だけがまるで冬に変わったようだった。
ビキビキと音を立て、ランガの足が凍り付く。
何かが砕ける甲高い音が響くと同時に、シロウが叫びを上げる。
「今だ!!打ち込め!!」
「いくよ!!……うう、重い」
ウルラは風を竜巻に変え、長が生みだした氷柱をランガの胸に向けて打ち出した。
『グオオオオオオオオ!!!』
氷柱はランガの胸に刺さり、大量の水蒸気を発生させながら、少しづつ進んでいく。
「押し込めウルラ!!」
「やってるよ!!」
ザルトはその様子を離れた場所で暢気に見物していた。
「ふむ、あれなら手伝えそうだな」
「何する気よ?」
「ちょっと後押しをな」
そう言うとザルトの姿掻き消えた。
一瞬後には、ザルトは長の後ろ、ランガの対角線上にいた。
「背中を借りるぞ」
『何!?』
長が振り返るより早く、ザルトはその背を踏み台にして飛び、氷柱を押し込む様に蹴りを放った。
ウルラが作った竜巻の勢いも加わり、放たれた蹴りは氷柱をランガの胸に押し込み、背中まで貫いた。
『ガフッ!!……貴様はザルト……何故貴様が……ここにいる!?』
「俺はこのシロウに付いた。お前も仲間になれ、面白いからこいつ」
凍り付き膝をついたシロウの肩に手を置いて、ザルトは楽しそうに話す。
「冷てっ!…シロウ、お前凍ってるぞ?」
「…分かってるよ。…痛えんだから触るな」
二人が話している間にも、ランガの体は輝きを失い、黒く冷えていった。
『おのれ…裏切り者め…』
「殺すつもりはねぇ。もうちょっとしたら、治せる奴が来るから話を聞いてくれ」
『人等に屈するとは……』
ランガはギリギリと牙を軋らせた。
『シロウー!?無事かー!?』
シロウがアルの声を聞いて、痛む体で空を見上げた時、ランガが咆哮を上げた。
全員の目がランガに集まる。
そこには真っ赤な光を発しながら、長の穢れを封じた氷を噛み砕くランガがいた。