雪狼の山へ
村に滞在して数日が経っていた。
その間、シロウはザルトやルクス、そしてアルにもバートが作り上げた武術を教えながら過ごしていた。
ザルトは元々武術を修めていたので、覚えが速いのも分かるが、アルの覚えの良さは異常だった。
試合ではシロウでも五本に一本は、アルに取られてしまう。
話を聞いてみると、意識を分離させ、頭の中で常に戦わせているのだとアルは答えた。
「なんか狡くねぇか、それ」
「そうか?我は昔からこの方法で、色んな術を編み出して来たのじゃ。今さら狡いと言われてものう」
「それ効率が良さそうだな。俺にも教えてくれ」
「アルブム殿、我もコツを知りたい」
ザルトとルクスがやり方を尋ね、アルが彼らに説明している。
それを見ながら、シロウはやっぱ狡いよなと少し思う。
ただシロウにしても、努力で技を得た訳では無く、魂から譲られた技を使っているに過ぎないので、あまりアル達の事は言えないだろう。
マグナの残した麦も見た。
麦畑は今まで見たどの畑よりも青々として、力強く思えた。
その中でもマグナの麦は一際大きく育っていた。
シロウが歩み寄ると、何か暖かい力の様なモノを感じた。
村人もそれを感じている様で、麦に対して感謝を口にする者が多かった。
この分だとマグナは意外と早く復活するかも知れない。
そんな感じでウルラ達を待っていたのだが、彼らは一向に村に現れない。
ウルラの翼なら移動時間は考えなくてもいい。
長を説得出来なかったとしても、もうそろそろ、それを伝えに来ていい筈だ。
何か問題が起こったとしか考えられない。
シロウはアルを連れて、雪狼の住むカーグ山に向かう事にした。
それをルクス達に話すと、ザルトは自分も行くと言い出した。
「別にいいけど、俺はアルに乗せてもらうつもりだぜ。お前ついてこれんのか?」
「誰に言っている?俺は地上最速の男だぞ」
そう言ってザルトはニヒルに笑った。
「まぁいいや、んじゃなルクス。世話になったな。リイナも無理せずに元気な子を産んでくれ」
「世話になったのはこちらだ。シロウには助けられてばかりだな」
「シロウさん、お気をつけて」
「おう」
「リイナ、何かあったら我に祈れ、癒しの加護を与えるのじゃ」
「はい、ありがとう御座います。アルブム様」
「ルクス、練習サボるなよ。次による時は上達したか手合わせするからな」
「分かっている。まったく、その物言いは何とかならんのか」
「ハハッ、これは恐らく死ぬまで治らん」
シロウはルクス達に別れを告げ、アルに跨り山間の村からカーグ山を目指し旅立った。
アルの背から地上を見てみると、黒馬に姿を変えたザルトがアルを追走している。
全速力では無いとは言え、アルに難無くついて来るとは、言うだけの事はある。
少し感心しながら、走る馬は美しいなとシロウは思った。
一日かけて、以前逗留した麓の町まで辿り着いた。
山に登るのは明日にして、その日は町の宿に一泊する事にする。
宿の主人はシロウの事を覚えていた様で、連れが違う事に気付きその事を尋ねてきた。
「久しぶりだね。前は女の子と若い兄さんと一緒だったが?」
「若い奴にはちょっと用事を頼んでてな。今は別行動中なんだ」
「そうかい、女の子は元気かい?あの二人はよく食べてくれたから、あの時は店の売り上げが上がったよ」
シロウはアルとウルラが、この宿で十人前近く食べた事を思い出した。
金に多少余裕があるとはいえ、今回は大丈夫だろうか。
最悪、雪狼に刃を作ってもらって、それで金策しないといけないかもしれない。
「ああ、元気だ」
「そりゃよかった。今日は後ろの娘さんと異国の人の三人かい。部屋は分けるかね?」
アルの見た目は十代半ばだ。
そろそろ同室というのも不味いだろう。
「そうだな。二部屋頼む」
「わかった。部屋は二階だ」
主人はそう言ってカギを差し出す。
シロウはそれを受け取りながら、カーグ山について尋ねてみた。
「山の様子はあれからどうだ?何か変わった事はあるかい?」
「もしかして山に登るのかい?」
「前も止められたが、暖ったかくなってきたしな。……なんかあんのかい?」
「女の魔物はいなくなったんだけどね。今度は熊が暴れてるんだよ」
「熊?熊なら猟師に頼めば退治出来んじゃねぇのか?」
「それが普通の熊じゃないんだよ。真っ黒で小山ぐらい大きいらしいんだ。そいつが暴れまわってるそうだよ。……カーグ山は呪われているのかもしれないねぇ。アンタも悪い事は言わない。山には近づかない方がいいよ」
「そうするよ」
シロウは主人にそう告げ、アル達を連れて部屋に向かった。
アルに鍵を渡し、自分の部屋のカギを開けると、アルが不安げにシロウを見ている事に気付いた。
「どうしたアル?」
「我は一緒の部屋ではないのか?」
「お前も大きくなったしな。そろそろ部屋は分けた方がいいだろ?」
「我はシロウと一緒が良いのじゃ!今までは一緒に寝てくれたではないか!?」
アルの叫びにシロウは思わず周囲を見回す。
二階の廊下には、ニヤニヤ笑うザルト以外誰もいなかった。
「なに笑ってんだよ」
「シロウ、一緒に寝てやればいいではないか?獅子神の部屋は俺が使わせてもらおう」
そう言うとザルトはシロウが止める暇も無く、アルから鍵を奪い部屋に入ってしまった。
残されたのはシロウとアルの二人だけ。
そのアルは今にも泣きそうな顔でシロウを見上げていた。
「しゃあねぇなぁ。そんな顔すんなよ」
「よいのか!?」
「良いも何も、ザルトがカギ、持って行っちまったしな」
そう言ってシロウがドアを開けると、アルは嬉しそうに部屋に飛び込んだ。
部屋に入り荷物を下ろしながら、アルに話しかける。
「まったく、大きくなったんだから、もう一人でも寝られるだろ?」
「我は子供では無い。もちろん一人でも眠れるが…、一人じゃと祠の事を思い出すのじゃ。…あの祠には魂は無数にいたが誰も我と話してくれる者はなかった。……淀んだ魂に囲まれそれを喰らいながら過ごす日々。もうあんなのは嫌なのじゃ」
暗い目でそう言ったアルの頭を、シロウは乱暴に撫でまわした。
「もう、ああはならねぇよ。仮になったとしても俺がなんとかしてやる」
「シロウ……。約束じゃぞ!!」
「ああ、約束だ」
「ならよい」
そう言ってアルはシロウに抱き着いた。
予想以上に柔らかなアルの体に、少し戸惑いながら、シロウは白銀の髪を優しく撫でた。
部屋を出て、階下の食堂に向かうとザルトがテーブルの上に皿を積み上げていた。
「先にやってるぜ。ここの飯は中々いけるな」
ザルトはスペアリブを食べながらシロウに答える。
馬は草食動物ではなかったか。
顔に出ていたのか、ザルトが先回りしてそれに答える。
「たしかに野菜の方が好みだが、遊牧の民が捧げるのは大体、羊の肉だからな」
「心を読むな」
「そんな事はしていない、大体そんな事、俺は出来ん。お前は読みやすい、動揺してると特にな。部屋で何かあったか?」
「なっ何も無いのじゃ!」
「そうか、そりゃ残念だ」
さして残念でも無さそうに、ザルトは新たに肉を掴んだ。
「食べ過ぎだ。金はそれ程ある訳じゃねぇんだぞ」
シロウが椅子に腰を下ろしながら言うと、ザルトは皮の袋をテーブルに置いた。
「心配するな、金ならある」
「どうしたんだコレ?」
「キマが活動資金だってくれた」
シロウが袋を覗くと袋には金貨が詰まっていた。
この宿なら一枚あれば、いくら食べても釣りが来るだろう。
「儲かってんだな。五大教」
「良くは知らんが、貴族とかがお布施とか寄進とかするらしい。羽振りは良さそうだったな」
「俺達のアルブム教はいつも貧乏なのに…」
「我らの対価はいつも食べ物じゃったからのう…」
ため息を吐いた二人に、ザルトは笑っていう。
「お前らも食え、金はその袋から出せばいい」
「いいのか?」
「金は天下の回り物だ。使ってこそ意味がある」
「我はここのスペアリブを思う存分食べたいのじゃ!!」
「おう、食え食え」
「ザルト、お主意外といい奴じゃの!」
「ようやく俺の魅力に気付いたか獅子神」
笑みを浮かべるザルトに、シロウは先ほど宿の主人に聞いた話を尋ねてみた。
「今、山では黒い小山の様な熊が暴れているらしい」
「熊ねぇ、十中八九ランガだろう。あいつもキマに言われて雪狼の様子を見に来たんじゃないか?」
「短気とか言ってたな」
「ああ、粗暴な奴だぜ。キマも扱いかねてる所があったな」
ウネグはランガはマグマの術を使うと言った。
雪狼族のニクスは、以前、雪狼の刃は溶岩にでも放り込まない限り、溶ける事はないと言っていた様に記憶している。
不味いかも知れない。
「二人とも聞いてくれ、ここに泊まるつもりだったが、飯を食ったら山に向かおうと思う」
「随分急ぐな。雪狼はそれ程弱く無いだろう?」
「確かに雪狼は強いが、相性が悪そうだ」
「ウネグは熊の神は、マグマを使うと言うておったの」
「それでか。あいつの攻撃いなした時、火傷したんだよな」
ザルトはランガと戦った事があるようだ。
「どんな攻撃をして来たんだ?」
「ありゃ余興だったからな。ちょっと組手みたいな事をナミロの前でしたんだ。術は使わないっていう話だったのに、俺が攻撃を全部躱すからあいつキレてな。飛び掛かって来たのを投げ飛ばしたら、掴んだ手が焼けただれてたんだ」
掴んだだけで神の手を焼いた。
素手で倒すのは難しそうだ。
シロウは二人が食べ終わるのを待たず席を立った。
「行くのかシロウ?」
「ああ、雪狼の事もそうだが、ウルラやウネグが心配だ」
「そうじゃの。スペアリブは解決してからのお楽しみじゃな」
「食い足りないが仕方がないな」
ザルトの前には皿が山のように積まれていた。
どれだけ食うつもりだったのか。
シロウ達は、手早く装備を整えすっかり日が落ち、黒い影にしか見えない山へ向かって足を踏み出した。