混乱を望む者
朝日の眩しさで目を覚ましたアルは、自分が獣の姿である事に気付いた。
昨日の夜は、確か村が襲われてそれで……。
アルは人の姿に戻り、部屋から駆け出した。
廊下に出た所で屋敷にいたラケルと鉢合わせする。
「ラケル!?来ておったのか!?」
「ええ。…どうしたのですか?そんなに慌てて」
「我が、我が怒りのままに打ち倒した者はどうなったのじゃ!?」
「心配せずとも、全員生きていますよ」
「そうか…。良かったのじゃ、殺してしまったかと……」
ラケルは安堵の表情を見せた、アルの頭を優しく撫でた。
「彼らの火傷は私が治しておきました。私はあなた程、癒しに長けていないので、火傷の痕はのこるでしょうが…」
「済まんのじゃ。尻拭いをさせてしもうたのう」
「気にしないで下さい。アルのお蔭で村人達は助かったのですから。感謝しています、村人を守ってくれて……。お腹が空いたでしょう?ドアンが食事を用意してくれています。食堂へ行きましょう」
ラケルはそう言うと、アルの手を引いて食堂へ向かった。
食堂ではドアンの妻や子供達、使用人達が二人の事をチラチラと見ていた。
「皆、失礼だぞ。お二人はこの村の恩人…、いや恩神だ。そんな風に見るのは止めなさい」
「だって父上、そちらの虹色の髪の方がラケル様なのでしょう?」
「ラケルさま、きれいだねぇ」
ドアンの息子と幼い娘は、自分たちが信仰していた神を目の前にして興奮しているようだ。
「はしゃいではならん。ウッドの家は三名も亡くしたのだ」
「……すみません父上」
「ウッドおじさんのいえ?……父さま、アーレちゃんは?」
「……アーレは…もういない」
「アーレちゃん、もう会えないの?……ヒッグッ…うぇ…いやだよぉ…アーレちゃん」
泣き出した娘をドアンの妻が宥めている。
それを見たラケルが、娘に歩み寄って頭を撫でた。
「ごめんなさい。私がもっと早く駆け付けていれば…」
「いいえラケル様、元はと言えば儂の責任です。クレード様がここまでするとは予想外でした」
ラケルは娘を撫でながらドアンに尋ねた。
「クレードというのが、今の領主なのですか?」
「はい。軽率でした。突っぱねるのでは無く、きちんと話し合いをするべきでした」
ドアンは視線を伏せて、テーブルを見つめた。
暗い沈黙が食堂に流れる。
話題を変えようと、アルはドアンに問い掛けた。
「ところでドアン、シロウは何処にいるのじゃ?姿が見えんが?」
「シロウならローブの男に聞きたい事があると、納屋に行った筈です」
「ローブの男……。あとで行ってみるかの…」
アル達が食堂に集まっている頃、シロウは納屋でローブの男を締め上げていた。
「いい加減吐けよ。なんでアルの事を知ってたんだ?悪神と関係あんのか?」
「……」
「まったく強情な奴だ。痛くねぇのかよ」
柱に縛り付けられた男はだんまりを続けていた。
男の指はすでに三本へし折られている。
「質問を変えよう。こいつに見覚えはあるか?」
「!!」
シロウが取り出した吸魂の宝珠に、男の目は釘付けになった。
「目の色が変わったな」
「どこでそれを手に入れた?」
「ようやく口を利いてくれたな。こいつは海で手に入れたんだ。お前らこれを何に使うつもりだ?」
「海…。お前海賊の一味か?」
シロウは男の髪を掴んで、強引に顔を上げさせる。
「質問してるのはこっちだぜ?」
「シロウ、いるのか?」
納屋の入り口にアルとラケルが立っていた。
ラケルは右手で口元を押さえている。
「臭いが…」
「アル、起きたのか?お前は見ない方がいい、気持ちのいいもんじゃねぇからな」
「分かっておる。じゃが相棒じゃからな」
アルはそう言うとシロウに歩み寄った。
「アル?アルブム・シンマか!?……なぜ穢れが抜けているのだ。貴様には数十年分の負の感情が溜まっていた筈……」
「どういう事だ?……もしかして天国へ行けるって噂を流したのはお前らか?」
「……」
「まただんまりかよ」
男が黙り込んだのを見て、アルが男の顔を掴んだ。
「何をする!?」
「喋るつもりがないなら、貴様の魂に聞くことにしよう」
「やめろ!!」
男は振り払おうと藻掻いたが、シロウが男を柱に押し付ける。
「たのむぜアル」
「うむ、任せよ」
アルは男の額に、自分の額を当てた。
「……ウネグ。あやつまだこんな事を」
「知ってんのか?」
「ウネグ・オウロ、金の毛皮を持つ狐の神です。たしか大昔に封じられた筈……」
「こやつらが復活させたようじゃ。厄介じゃのう」
男はアルを怯えた目で見ていた。
「頭の中まで覗けるのか…」
「我を悪神に変え、この国を混乱させるつもりだったようじゃが、残念じゃったの」
「あれだけの数の後悔を抱えた魂に囲まれて…何故堕ちんのだ!?」
「……我を完全に悪神に変えたいのであれば、あの千倍は必要じゃ」
「せっ……」
男は目を見開き、驚愕の目でアルを見つめた。
「馬鹿な…、文書では飢えた神は淀んだ魂が百もあれば、自我を失い暴走するとあったのに…」
「ふむ、ラケル。この村を襲った悪神もこやつ等の仕業のようじゃ。我を堕とす前に試したらしい。随分と気の長い話じゃの」
「この者達が…。それでこの者から臭いが…」
ラケルの金の瞳が、男を射抜く。
「ヒッ…」
「なぁ、詳しく説明してくれよ。全然話についてけねぇぞ」
「…そうじゃな。もうこの男に用は無い。部屋で話そう」
アルはシロウと共に、納屋を出た。
ラケルは男に歩みより、その首に長い舌を回した。
男の首に入れ墨の様な模様が刻まれる。
「一体、一体何をした!?」
「呪いを掛けました。あなたの心が悪に傾けば、その呪印は喉を締め付けるでしょう」
「なんだと!?」
「傾き過ぎれば首が飛びますよ」
「……」
そう言うと、ラケルはアル達の後に続いて納屋の入り口に向かった。
最後に振り向き、男に顔を向ける。
その顔は、口は耳まで割け目は蜥蜴の目に変わっていた。
口元から長い舌をチロチロと覗かせる。
「ずっと視てますから…」
「!!」
男は絶句し恐怖に震えた。
納屋の出口で扉を閉めたラケルに、シロウが声を掛ける。
「良かったのか?旦那の仇なんだろ?」
「彼らの罪を裁くのは、ドアン達人間であるべきです。それにあれだけ脅せば、もう悪い事は出来ないでしょう。……過去に村を襲った悪神を作った人間はもうこの世にいない筈、その罪を彼に求めるのは違う気がします…」
「あの模様は?」
「悪さをしようとすれば、少し息苦しくなるだけです」
「まったく、アルといい、お前といいお優しい事で」
肩をすくめるシロウに、ウルラは困ったように笑った。