悪神の臭い
シロウが討伐隊の注目を集めている間に、アルは傷ついた村人達を癒して回った。
息があった者は救う事が出来たが、既に絶命している者についてはアルの力ではどうする事も出来なかった。
胸を突かれ息絶えた小さな子供の手を取りアルは呟く。
「どうしてじゃ……。何故こんな幼子が死なねばならん?領主とは民を守るのが使命ではないのか…」
アルの心に、シロウが立ち回りを続けている者達への怒りが沸き上がる。
彼女は怒りのままにその身を獣に変じていた。
底冷えするような咆哮が村中に響き渡った。
「アル!?」
シロウは思わず振り返り、アルの姿を探した。
獅子神の瞳は怒りで爛々と輝いていた。
獣になったアルの上空に雷雲が出現していた。
天に向かって吠えるたび、それは厚さを増し夜空を覆っていく。
討伐隊も全員、その様子を驚愕の中見上げている。
「なんだあの獣は!?」
「あの雲は獣が呼んでいるのか!?」
「まさかアルブム・シンマか!?姿を消したと聞いていたのに、何故今になって出て来る!?」
上がった叫びにシロウが討伐隊を見ると、騎士達の後ろに一人だけ黒いローブを着た人影を見つけた。
シロウは馬の間をすり抜け、アルの名前を呼んだであろう黒いローブの人影に襲い掛かった。
黒ローブの首を掴み、馬から引きずり降ろして地面に叩き付ける。
「ガハッ!!」
「なんでアルの名前を知ってる?お前は何者だ?」
シロウが黒ローブを踏みつけ、そう尋ねたと同時に閃光が走り、轟音が響き渡った。
振り返ると討伐隊は武器を取り落とし、馬の首に体を預けいる者や落馬した者、とにかく全員戦闘不能になっていた。
彼らの鎧からは煙が立ち上っている。
ただ不思議な事に馬は、何事も無かったように平然としていた。
「……獅子神は雲を操り空を駆け、その怒りに触れた者はことごとく雷に打たれた…。文書の通りだ…」
踏みつけらた男は、異様に目を光らせながらそう呟いた。
シロウは男を殴り昏倒させると、獣の姿のアルに駆け寄った。
「アル何をした!?」
「……子供が死んだのじゃ。……命を失えばいかに我とて救う事は出来ぬ。シロウ教えてくれ、領主とは民を守る為にいるのではないのか?」
そう言うと力を使い果たしたのか、アルは獣の姿のまま意識を失った。
「アル……」
「シロウ…。これは一体何が起きたのだ?その獣は一体?」
馬で駆け付けたドアンがシロウに尋ねる。
「ドアン様!こいつ等火傷は酷いですが、死んではいない様です!」
「そうか!館に運んで一応手当してやれ!そいつらには聞きたい事がある!」
「あんだけ怒っていても、命を奪わなかったのか……。凄え奴だ……」
そう言うとシロウはアルの頭を撫でた。
「シロウ答えろ!?何があった!?この状況はその獣の所為なのか!?」
「獣と呼ぶな!!こいつはアルブム・シンマ!!偉大な獅子神だ!!」
「獅子神…。ラケル様と同じく獣の神か…?」
「そうだ、感謝しろよ。村人の命を救えたのはこいつのお蔭なんだぜ…」
シロウはそう言うとアルを抱え上げた。
「ゆっくり寝かせてやりてぇ、部屋を借りるぞドアン」
「あ、ああ」
「そうだ。賊の一人に黒いローブを着た奴がいるはずだ。そいつは俺の所に連れて来てくれ」
「分かった。……シロウ、落ち着いたらでいい。事情を聞かせてくれ」
「ああ……」
シロウはそう返すと、ドアンの屋敷に向かって歩き始めた。
シロウが討伐隊を引きつけた事と、アルが村人を何人か癒していた事で最終的な犠牲者は三名だけだった。
燃えた家にも逃げ遅れた者がいたが、完全に火が回る前にシロウが鎮火したので、火傷だけで助かったようだ。
ドアンが事後処理を行っていると、いつの間にか虹色の髪の少女が怪我人の治療に当たっていた。
「お前は村の者ではないな?何者だ?」
振り返った少女の瞳は金色に輝いていた。
「そんな事はどうでもよろしい。怪我をした者がいれば連れて来なさい。癒してあげます。……私はアルほど上手に出来ないでしょうが…」
「まさか…、ラケル様?」
「早くなさいドアン。……フフッ、体ばかり大きくなって、機転の利かない所は相変わらずですね」
そう言うと少女は愛おしそうにドアンを見て笑った。
ドアンが少女を連れて屋敷に戻ると、彼の妻がドアンに駆け寄り状況を尋ねた。
「家が一軒燃やされた。ウッドの所だ。婆さんと息子、それとウッドの弟が死んだ…」
「そんな…。ウッドさんの所はまだ五つだった筈でしょ…」
「葬式は明日行う。お前はもう休め。…シロウは何処だ?」
「あの人は白い獣を連れて、部屋に入ったままよ…。あの大きな獣は何?」
「神だそうだ。……ラケル様こちらです。」
ドアンがラケルと呼んだ事で、ドアンの妻は驚きと共に少女を見た。
「虹色の髪…まさかラケル様…?」
驚く妻を置いて、ドアンは客室のドアをノックした。
「シロウ入るぞ」
ドアンがドアを開けると、ベッドには白い獣が寝かされ、シロウはその獣の頭を撫でていた。
「ドアン…、後片付けは済んだのか?……ラケル、お前も来たのか…」
「シロウさん、アルはどうしたのです?」
「雲を呼んで雷を落とした。力を使いきったんだろう。ぶっ倒れちまってな」
「そうですか……。なら問題ない筈です。明日には目覚めるでしょう」
「そうか…良かった。……こいつは凄え奴だな。俺なら目の前で子供が死んだら、全員ぶち殺してるぜ」
そう言って優しくアルを撫でるシロウに、ドアンが声を掛けた。
「シロウ、村人を救ってくれて感謝する。……良ければお前たちの事情を教えてくれないか?」
「感謝はアルにしろって言ったろ。……事情か…居間
で話そうか?」
シロウはドアンに棲み付いた魂の事や、アルの事等をかいつまんで話した。
「獣の神…。ラケル様の事を信仰していたが、触れられる形で存在していたとは…」
「アルも見たし、今もお前の横に座ってんじゃねぇか?」
リビングのソファーに座るラケルにドアンは目を向けた。
「確かに、しかし何故今まで姿をお見せ頂けなかったのです?」
ドアンの問いにラケルは彼を金の瞳で見つめ返し答えた。
「安易に神に頼るべきではありません。人は自身の力で道を切り開いていくべきなのです。我々はそれを見守り少し手助けするだけです」
「そういうものですか?」
「神によります。積極的に介入する者もいれば、人間が好きでコッソリ紛れて暮らしている者もいますよ」
そう言うとラケルは優しく微笑んだ。
その笑みを見て、ドアンの顔が紅潮する。
「おっさんが何照れてんだよ。ガキじゃあるまいし」
「やかましい!!儂はずっとラケル様に会いたいと思っていたのだ!!……だから子供の時は毎日社に通いつめたりしたのに」
ドアンの言葉にラケルは笑みを見せた。
「フフッ、懐かしいですね。あなたはお手伝いをさぼって、よく怒られていましたね」
「見てらしたのですか!?」
「ええ、あなたのお父様もお爺様も、同じ様に社に来ていましたよ。…私はそれを眺めるのがとても好きでした」
その事を思い出したのか、ラケルの目は優しく細められた。
なるほどとシロウは思う。ウルラが好きになったのは、この瞳なのだろう。
「あいつ、なかなかいい目してるぜ」
シロウの呟きは二人には届かなかったようだ。
「それでラケル様、ずっと姿を隠していたあなたが、何故今回は村にいらしたのですか?」
「……臭いを感じました。遠い昔に嗅いだ、決して忘れられない臭いを」
「臭い?」
「ええ、微かですが忘れようもありません。……夫が死ぬ原因となった者」
「悪神か?」
シロウの問いにラケルはゆっくりと頷いた。