ラケルが守ったモノ
シロウの後ろに逃げ込んだアルの様子を見て、葡萄の枝を見ていた女性がドアンに言う。
「駄目ですよドアン様、笑ったりしたら。ごめんねお嬢ちゃん。このおじちゃんは見た目は怖いけど優しいのよ」
「そんなに怖いか?これでも毎日笑顔の練習をしておるんだが…」
「ドアン様、この世にはね、努力ではどうにもならない事もあるんですよ」
「……そうか、世知辛いな、フハハッ」
そう言ってドアンと女性は楽しそうに笑った。
笑い合う二人の様子に、アルはシロウの後ろから顔を覗かせた。
「可愛らしい子だ。君の娘かね?」
「いや、親戚の子を預かってるんだ」
「それでどうする?泊っていくか?急ぐ旅で無ければ、是非泊っていってくれ。それで旅の話を聞かせてくれれば嬉しい」
ドアンはそう言うと、先ほどの牙を剥いた肉食獣の様な笑みでなく、唇を曲げた軽い笑みを見せた。
彼は女性の言葉を受けて加減したつもりだろうが、それでも迫力は十分だった。
「そうだな。ここら辺の情報も欲しいし、好意に甘えさせてもらうとしようか。俺はシロウ。この娘はアルだ」
「シロウにアルだな。儂はこの荘園を切り盛りしてるドアンだ。儂らは葡萄の世話があるから先に家に行っといてくれ」
「出来る仕事があれば手伝うぜ。只で泊めてもらうのも悪いからよ」
「そうか?では畑の草刈りを頼もうか」
「おう任せろ」
「我も手伝うのじゃ」
シロウはアルと一緒に、鎌を受け取り伸び始めている草を刈り取った。
ドアンは二人の働き、特にシロウには驚いた様子だった。
「手馴れているな、元は農夫か?」
「まあな」
草刈りを終える頃には日は傾いていた。
「助かった。草刈りは何日かかけて行うつもりだったが、君のお蔭で一日で終わったよ。アルもありがとうな」
「これぐらいはお安い御用だ」
「ふむ、お安い御用じゃ」
そう言って胸を張るアルの腹がクゥと鳴った。
彼女はお腹を押さえ、少し頬を赤らめた。
「ムハハッ、あれだけ働けばそりゃ腹も減るってもんだ。晩飯は奮発しようじゃないか」
「そりゃ有難い。この娘は見た目より良く食うんだ」
「むぅ、我を食いしん坊のように言うな!」
「子供の内は食いしん坊でいい。フハハッ」
シロウ達は、刈った草を乗せた荷車を引くドアンを手伝いながら、彼の屋敷に向かった。
屋敷に着いたドアンは奮発する言った言葉どおり、豚を一頭潰してシロウ達をもてなしてくれた。
二人は乞われるままに旅の話をドアンとその家族に語った。
夜も更け、子供達はドアンの妻の膝で眠り、アルもテーブルで船を漕いでいた。
シロウはアルを用意された客間のベッドにアルを寝かせると、ドアンに話を聞く為リビングへ向かった。
リビングではドアンがソファーに座り、ぶどう酒の入ったグラスを傾けていた。
「今日は本当に楽しかった。ありがとうシロウ」
ドアンはそう言いながら、グラスにワインを注ぎシロウに勧めた。
「酒は……。もしかしてアンタが作った酒か?」
「そうだ。この年のは特に出来がいいんだ」
「酒は止めたんだが…。この一杯だけ貰おうか」
「そうしてくれると嬉しい。……それで聞きたい事があるんだろう?」
シロウはドアンの向かいに座り、ワインを一口、口に含んだ。
豊潤な香りが喉から鼻に抜ける。
「美味いな。……聞きたいのは改宗についてだ」
「やはりそれか。唯の旅人ではないと思っていたが…。領主の手の者か?」
ドアンから柔らかい雰囲気が無くなり、シロウは空気が変わった事を感じた。
「違う。俺はアルブム・シンマっていう獅子神の伝道師だ。東の森。そこの神様とはちょっとした知り合いでね」
「伝道師…知り合いだと?」
ドアンはシロウを睨んだ。
シロウはその目を真っすぐに見つめ返す。
「どうやら嘘は言っていないようだな」
「何でそう思うんだ?」
「嘘を吐いた人間は、儂の目を真っすぐ見る事は無いからな」
ドアンに睨まれれば大体の人間は目を逸らすだろう。
シロウはその選別方法はどうかと思ったが、口にするのは止めておいた。
「とにかくだ。急に信仰が減ってラケルも困っているみたいだったし、俺の仲間もその関係で飛び出して行っちまってな。それで何があったか調べに来たって訳だ」
「話は分かった。知り合いとはな…。儂もラケル様には会った事が無いのに。…あの方はどんな方なのだ?儂は伝承でしか知らんのだ」
ドアンはシロウがラケルに会った事があると聞いて、興味津々で尋ねた。
「ラケルか?いい女だぜ。優しいし気立てが良くてな。褐色の肌と金の瞳、虹色の髪の美人だ。」
「そうか、やはり伝承の通り美しい方なのだな」
感慨深げに呟くドアンにシロウは尋ねる。
「それより村人から、領主の改宗の命令を突っぱねたって聞いた。なんでだ?」
「…この村が今もこうしてあるのは、ラケル様とレザール様のお蔭だからさ。お二人は村を襲った怪物と協力して戦い、我らの祖先を守って下さった。その戦いでレザール様は命を落としたと聞いている。領主の命だからと簡単に変えられる物ではない」
「成程な、そっちは理解できた。しかし分からねぇな。何で領主は、改宗しろなんて言い出したんだ?」
ドアンはグラスのワインを一口飲み、ふうと息を吐くとおもむろに口を開いた。
「最近、領主の城に良からぬ連中が出入りしていると聞いた。黒い服を着た修道士風の男らしい。その男が何か吹き込んだのではと儂は考えておる」
「黒服の修道士…。教団?」
シロウはパレアとジョシュアに聞いた、邪神を崇拝する教団の話を思い出した。
「なにか知っておるのか?」
「いや、知ってるって程じゃねぇが…」
二人が話していると、屋敷のドアが乱暴にノックされた。
「ドアン様!!大変です!!賊が村を襲っています!!」
「なんだと!?」
ドアンはグラスを投げ捨て、玄関に走った。
シロウもグラスをテーブルに置いてその後を追う。
玄関では荒い息を吐いている男がドアンに詳細を話している。
男の話によると武装した集団が、村人の家に押し入り住民を襲っているという。
シロウは部屋に戻り、雪狼の剣と火竜の弓を持つと、アルを抱え玄関に向かう。
「襲われてんのは何処の家だ!?」
「俺が見たのは北の家だけど…」
「北だな!?」
シロウはドアンと男を押し退け、屋敷を飛び出した。
玄関にいたドアンがシロウの行動に驚き声を掛ける。
「シロウ何処に行くのだ!?危険だぞ!?」
「村の連中を助けに行く!!お前も早く来い!!」
「分かった!!」
ドアンは屋敷に駆け込んだ。
恐らく武器を取りに行ったのだろう。
シロウは彼を待つことなく、村の北を目指して麦畑の道を走った。
「何が起こったのじゃシロウ!?」
「村が襲われてる!アルには怪我人の治療を頼みてぇ!」
「襲われた…。分かった任せるのじゃ!!」
シロウが村の北に辿り着くと、家には火が放たれ、周囲では馬に乗った者達が逃げだした村人に槍を振るっていた。
シロウは抱えていたアルを離し、一番近くにいた馬上の男に蹴りを放った。
完全武装のその男は蹴りの一撃で吹き飛び、地面に落ちると動かなくなった。
殺してしまったかも知れないが、いちいち確認している余裕はない。
男が吹き飛んだことで、賊の注目がシロウに集まる。
シロウはそれを無視して、雪狼の剣を抜き、炎を噴き上げる家に向けて剣を振った。
剣はシロウの意思を感じたのか吹雪を吹き出し、炎を抑え込んだ。
家の火は消えそれに気付いた賊達が馬を操り、剣を持ったシロウの周囲を取り囲む。
「さて、お前らが何者かは知らねぇが、俺が村にいた時に襲って来た不幸を嘆くんだな」
賊の一人がシロウの前に進み出た。
その男は立派な鎧を着た騎士の様にシロウには見えた。
「我らは反逆者ドアン及び、その旗下であるルサル村の討伐隊だ」
「討伐隊、領主が差し向けたのか…。たかだか改宗を拒んだだけで焼き討ちたぁ、酷え話じゃねぇか?」
「我らは主の命を遂行するまで。邪魔立てするならお前も斬って捨てるぞ」
「面白れぇ、やれるもんなら、やってみやがれ!」
シロウはそう言うと剣を収め、討伐隊に拳を向けた。