葡萄畑の巨人
シロウとアルは町を抜けて、真っすぐ北東、街道を外れ林の中をラケルの森を目指してひた走る。
だが幾らシロウの体が人間離れしていても、空を駆けるハヤブサに追いつける筈も無い。
「クソッ!このままじゃ着いた時には全部終わってんじゃねぇのか!?」
「シロウ一旦止まれ!」
シロウと一緒に駆けていたアルが彼を呼び止める。
「何だよ、何かいい考えでもあんのか?」
「うむ、少し試してみるから、お主はそこで見ておれ」
アルは獣に姿を変えた。
かなり力を取り戻してきたのだろう。
獅子の姿になったアルは、大きさは小型の馬程になっている。
アルは意識を集中し一声吠えた。
すると彼女の体の周りに雲の様な物が現れる。
「ふむ、行けそうじゃの…」
「アル、なんだそれ?」
「何って、見ての通り雲じゃ」
「雲って空に浮かんでる?」
「それより、早く背中に乗るのじゃ。ウルラを追うぞ」
シロウは戸惑いながら、体を伏せたアルの背に跨った
「そりゃお前も大きくなったし、こっちの方が早いのかも知れねぇけどよぉ…」
「しっかり掴まっておるのじゃ。落ちるでないぞ」
アルがそう言うと、周りに浮かんでいた雲がバチッという音を発し小さな稲妻を帯びる。
それに合わせアルの体が宙に浮いた。
「おいアル!?なんか浮かんでんぞ!?」
アルの体は林の木を超えてさらに上昇した。
「当然じゃろう。飛んで追うのじゃから」
「飛んで追う!?」
「では行くのじゃ!」
ある程度の高さになり、雲の稲妻が弾けると、アルは一気に加速した。
その速度にシロウは思わずアルの鬣を握り身を伏せる。
林の上を駆け抜け、見える景色が目まぐるしく変化していく。
「お前飛べたのか!?」
「当然じゃ!通力が戻れば出来ぬことは無いと言ったじゃろう!」
話している間にも雲の稲妻は弾け速度はどんどん上がり、二人は素晴らしい速さでラケルの森へ近づいて行った。
「凄ぇな!ウルラより速いんじゃねぇか!?」
「……この術は速度は出るが、一つ欠点があっての!」
シロウは欠点と聞いて少し嫌な予感がした。
「何だよ、欠点って!?」
「曲がれんし、急には止まれんのじゃ!!」
「止まれねぇだと!?」
そう叫んだ時には鳥の群れが目の前に迫っていた。
アルはのんびりと飛んでいた鳥の群れに突っ込み、錐揉みしながら森に墜落した。
鳥は突然現れた乱入者に、迷惑そうにひとしきり鳴くと森の上を飛び去った。
シロウはアルの背中から投げ出され大木に激突した。
地面に落ちた彼の上に大木が木の葉を散らす。
「いててッ…。俺じゃ無かったら確実に死んでたな…。アル!何処だぁ!?無事かぁ!?」
シロウが立ち上がり声をあげて周囲を見回すと、アルは大木の中程の洞に頭を突っ込み、それを外そうと必死で藻掻いていた。
「ここじゃ!!シロウ外してくれ!!」
くもぐった声でアルが答える。
「何やってんだよ?人になりゃ外れんだろ?」
「……そうじゃった」
シロウが少し呆れた調子で言うと、アルは人に姿を変えた。
首を洞から抜いたアルを、木の下で受け止めてやりながらシロウは問う。
「怪我はねぇか?」
「大丈夫なのじゃ」
「……あの術は今後、緊急事態の時以外は使用禁止だ」
「……そうじゃの。そうしよう」
シロウはアルを下ろして、地図を取り出し呟く。
「大分進んだ筈だ。空から見覚えのある町が見えた、多分ここはラケルの森の南だな」
「ではこのまま北に向かうんじゃな?」
「そうだな。まずはこの森を出よう」
二人はいつか歩いた街道を目指し、森を北に向かった。
森を抜けた二人は街道を見て、少し懐かし感覚に襲われた。
「あん時は二人とも腹ペコだったな」
「旅を始めたばかりの頃は、今のように薬草で薬を作る事も出来なかったからのう」
「お前も大きくなったよな」
「まだまだ大きくなるのじゃ。今のままでは釣り合わんからの……」
「釣り合わねぇってどういう事だよ?」
「フフッ、なんでもないのじゃ」
そう言って少し笑いアルは駆け出した。
「ちょっと待てよ!」
シロウもアルを追って街道を北に向かった。
ラケルの森は特に荒らされた様子も無く、以前と同じく静かなものだった。
「ウルラはもう着いてんのか?」
「たぶんの。流石に追い抜いたとは考えられんのじゃ」
「呼んでみるか…。ウルラ!!ラケル!!いたら出て来てくれ!!」
暫く待つと茂みが揺れ、褐色の肌の美少女が現れた。
「シロウさん、アル…。あなた達も来てくれたのですね…。アル、大きくなりましたね。良かった、あなたの事を知る人が増えているのですね…」
ラケルはアルの頭を優しく撫でて、微笑みを見せた。
「うむ、シロウのお蔭じゃ。それよりラケル、その姿はどうしたのじゃ?」
ラケルは以前は妙齢の美女だった。それが十代半ばの少女に変わっている。
さらに眩く輝いているように見えた瞳や髪も、今はその輝きに陰りがみえる。
「ラケル何があった?」
「あなた達が旅だってから、私に対する祈りが日に日に少なくなっていったのです…。どうも領主が土着の信仰を禁じたようで…」
シロウはここまでの旅路を思い出した。
古い神への信仰は廃れ、新しく人の姿をした神が崇められるようになっていた。
しかし、それにしたって急すぎだ。
シロウはその事に誰かの意思の様な物を感じた。
「ウルラはどうした?」
「彼は私の話を聞いて飛び出して行きました。止めようとしたのですが、今の私ではどうする事も出来なくて…」
「村に行ったのか?」
「分かりません……。西の村は覗いたのですが、彼の姿は見えませんでした。」
ラケルはそう言うと瞳を伏せた。
「あいつの事だ。真っすぐ領主の所へ向かったのかも知れねぇな」
「どうするんじゃシロウ?我らもウルラの後を追うのか?」
「……いや、まず村の連中に話を聞いてみよう。どういう事なのか経緯が知りてぇ」
シロウはラケルと別れ、アルと二人、西の村へ向かった。
西の村は平野には小麦畑、南の小さな山の斜面に葡萄畑の広がる農村だった。
中央には小さいながらも屋敷が建っている。
シロウは小麦畑の横の道をアルと二人歩き、畑で働いていた男に声を掛けた。
「精が出るな?」
「雑草を取らねぇと実りが悪くなるからな」
「もうそんな時期か…。ちょっと聞きたい事があるんだが?」
「なんだい?」
「ここいらじゃ、蜥蜴の神様を信仰してるって聞いたんだが、本当かい?」
男の目が急に鋭くなる。
「あんたも至高神や地母神の坊さんかい?」
「いや、俺は獅子神様の伝道師だ。おんなじ獣の神様を信仰してるって聞いて、ちょっとお社に挨拶しとこうと思ってな」
男はそれを聞くと表情を緩めた。
「そうかい、獅子神様の……。ならアンタも気を付けた方がいい。ここらを統治してる領主様は、古い神様への信仰を禁止してるからね」
「この村は違うのか?」
「うちの村は代々、森の社を守って来たからねぇ。領主様から改宗しろって命令が来たんだけど、荘園主のドアン様が突っぱねたんだよ」
突っぱねた…。荘園主という事は領主の部下の騎士だろう。
そんな事をして大丈夫なのだろうか…。
「ハハッ、そんな顔しなくても心配ないよ。ドアン様には領主様も一目置いてる」
「でもよぉ、領主様からしたら部下なんだろ?」
「会えば分かるよ。優しい方だって分かっていても、俺なんていまだに怖ぇもの」
「会えばって、俺なんかが会えるのか?」
「ああ、今日は葡萄畑を見に言ってんじゃねぇかねぇ。会いたいなら行ってみるといい」
男はそう言って南の山を指差す。
「一番目立っている人がドアン様だよ」
「一番目立つ?」
男の言葉に首を捻りながら、礼を言ってシロウは山に足を向けた。
「目立つとはどういう事かのう?物凄く派手なんじゃろうか?」
「さてねぇ、怖いってさっきの男は言ってたから、迫力はあるんだろうがな…」
山を登り葡萄畑を見渡す。
シロウもアルも男の言葉の意味が分かった。
少し芽吹き始めた葡萄の木を見て回っている人の中に、巨人が一人混じっていた。
「あれは人なのかシロウ?」
「多分そうじゃねぇか……。お前と旅して色々出会ったから、少し自信はねぇが…」
巨人はシロウに気付くと声を掛けて来た。
「旅人かな?宿を求めているなら、家に行くと良い。村の中央の家だ。ドアンに言われたと言えば、部屋を用意してくれるぞ」
巨人。いやドアンは、そう言って笑った。
「ひぇ!」
アルは悲鳴を上げてシロウの後ろへ駆け込んだ。
無理も無いだろう。
トロルやオーガと呼ばれる怪物がいれば、きっとこういう姿だ。
そう思うほどドアンの笑顔は、迫力に満ちていた。