母の背中
シロウ達が大鯨の口から逃げ出すと、鯨は海に姿を消し、頭が海から上がって来た。
彼は砂浜を見回した。
海賊たちは砂浜に倒れ込み、戦えそうな者は一人もいない。
頭はため息を吐いてシロウ達を見た。
「まったく、喧嘩する気も失せたぜ。お前ら何が目的でここに来たんだ?」
「元々はそこのイルルが、南の海に行けって言うからよぉ」
シロウはガルンに肩車されているイルルを親指で指しながら言う。
「そんで、港町に着いたら海賊が出るって聞いて、退治すりゃアルの事を広められると思ってよぉ」
「アル?広める?」
「こいつは獅子の神様なんだ。俺はこいつの伝道師をしてる」
頭は得心いったという様に頷いた。
「なるほどな、その獅子神も信仰を失ったのか…」
「お前もそうじゃねぇのか?」
「まあな、俺はお前達とは違うやり方で信仰を取り戻そうとしたがな」
「違うやり方…。それが海賊って訳か?」
頭は海賊たちに目をやり、口を開いた。
「立ち話もなんだ。俺のテントに来い。その前にジョシュア、母上を返せ」
ジョシュアは持っていた彫像を頭に差し出した。
「これは一体何なんだ?」
頭は差し出された彫像を両手で受け取り、愛おしさと悲しみがない混ぜになった目で見つめた。
「これは、母上の骨から作った物だ」
「骨から…」
「それも含めて説明してやる。ついて来い」
シロウ達は頭の後に続いて、彼のテントに入った。
テントの中には簡易寝台とテーブル、椅子などが備えられていた。
頭はひじ掛けつきの椅子に腰かけ、シロウ達に適当に座ってくれと声を掛ける。
全員が思い思いの場所に腰かけると、頭は海賊になった経緯を話し始めた。
「俺の名前はパレア・ケートス、鯨の神だ。元々俺達は海の神として、人間たちに信仰されていたんだ…」
ケートス達は海で生きる者達から、航海の安全や豊漁を願う神として信仰されていた。
だが、王国で海の神メーアの信仰が広がるにつれ、徐々にそれは薄れていった。
パレアの母はそれでも自らの背に生きる者達と共に、海の平和を守って来た。
「背に生きる者ってどういう意味だ?」
「言葉通りだ。母上は自らの背に人や獣を乗せて生きていた」
シロウの問いに答えたパレアに、一同はさらに首を捻った。
「分からんか?…母上は俺よりずっと大きかった。それこそ今いるこの島よりな」
「……まさか町一つ背中に乗せてたって事か?」
「感覚で言うとそんな感じだ。多い時で二千人近くは暮らしていた筈だ」
「二千人…。爺ちゃんの話は本当だったんだ…」
スケールに圧倒されているシロウ達を他所にパレアは話を続けた。
しかし信仰が薄くなると共に、彼の母の体は小さくなり暮らす人はどんどん少なくなった。
最終的には生態系を維持出来なくなり、彼女は住民を陸に降ろし海へ去った。
しかし住民がいなくなっても、彼女にとって人は子であり続けた。
遭難した者を救い、陸に送る事を何度も行っていたそうだ。
彼女が亡くなった後、彼女の意思を継いで、パレアは船が難破した者や海に投げ出された者を助けた。
その内、忘れられていたケートス信仰も、救われた者の間で少しづつだが広まり始めた。
また無作為に助けた者の中には、陸に居場所が無い者もいた。
そんな彼らの為に作ったのが、海賊団だったという訳だ。
ちなみに彫像はその海賊の一人に、持っていた骨を渡して作ってもらったそうだ。
「なんでそこで海賊って発想になるんだよ!?」
「手っ取り早く飯にありつく為には、掻っ払う方が早いだろ?」
パレアの言葉に全員がため息を吐いた。
「海賊なんてしてたら、余計生きにくいでしょう?」
「なんでだよ?俺の力があれば、簡単に飯にありつけるぜ。着々と仲間も増えてるしな。それに海に俺の名前が轟けば、人間共もケートスが偉大な海の神だって思い出すだろ?」
ジョシュアの言葉にそう答えたパレアに、シロウは二の句が継げなくなった。
この男は見た目は大人だが、考え方は子供のままだ。
「愚か者!!そんな事をして母君が喜ぶはずがなかろう!!」
アルがかすれた声で叫ぶ。
「お前に母上の何が分かる!!母上は背中で暮らす人間たちを、本当に愛していたんだ!!俺もいつか、ああなると決めている!!海賊はその為の第一歩だ!!」
「お主の母が愛した者は、陸でも暮らしておるのじゃぞ!!お主がやっている事は、その愛した者達の子や孫を苦しめておるのじゃ!!」
パレアはアルの言葉に黙り込んで、手にした彫像を見つめた。
「……母上の事を忘れた奴らの事なんて知るかよ」
「この馬鹿者が!!母君が一度でも恨み言を言った事があったか!?」
「そりゃ、無いけどよ…」
「であろう!!我ら神は人を慈しみ、人を救い感謝を糧に存在しておるのじゃ!!決して人を苦しめる存在になってはならんのじゃ!!それをこのバカが!!お前は悪神になりたいのか!?」
パレアの言葉はアルの心の傷に触れたようだ。
彼女は信仰を失い、人の魂を貪る事で存在を永らえて来た。
最初は飢餓と消滅への恐怖から、その後は魂を喰らった事で歪んだ心に従って…。
シロウに力と一緒にその負の感情も喰われたが、記憶としてその間の事は残っていた。
涙ぐんだアルの頭に手を乗せ、シロウはパレアに言った。
「このまま海賊を続けて、もしお前の名が広まればお前は怨嗟の対象になるぜ。そうなりゃアルが言った様に悪神になっちまうかも知れねぇ。それでいいのか?」
「けど取り敢えずは仲間を食わせないと…」
パレアは顔を歪め言葉を吐き出す。
「他のケートスはどこに行ったんだ?」
「あいつ等は、新天地を探して南に行ったよ。俺と母上は二人でこの海に残ったんだ」
「んじゃ、海賊達と一緒に南へ行きゃいいじゃねぇか。海は広いんだ。お前の海もきっと見つかるさ」
肩車が気に入ったのかガルンの上で、黙って聞いていたイルルが口を開いた。
「道を示してあげましょうか?」
「イルルさん!そんな事も出来るんですか!?」
ガルンがイルルを見上げ声を上げる。
「声を抑えなさいって言ってるでしょう」
「はい、すみません」
「……さっきも思ったが、どうしてガルン達はイルルに従っておるのじゃ?」
「…イルルさんに家の事や、昔の事をズバッと当てられてな。逆らうと不味いんじゃねぇかと…」
力を使って色々言い当てたのだろう。
漁師は験を担ぐ、未来の事も聞いたのではないだろうか。
「俺、町に帰ったら、いい出会いがあるって言われたんだぁ…」
嬉しそうに言うドーガを見て、アルはイルルを睨んだ。
「…イルル、そのような力の使い方は感心せんのじゃ」
「いいじゃない、お蔭でうるさく無くなったでしょ。それでどうする?視てほしい?」
怪しい笑みを浮かべるイルルに、パレアはゆっくりと頷きを返した。