蛇神の社
笑みを浮かべた蛇神イルルにシロウは名を名乗る。
「俺はシロウ。アルの伝道師をやってる」
「…僕はウルラ、ソカル族の一人だよ」
「シロウちゃんとウルラちゃんね。若い子は本当に久しぶりだわ」
「我はアル…」
「名乗らなくて結構よ。知ってるから」
「うう、酷いのじゃ」
イルルの扱いにアルは少し涙目になっている。
シロウはアルの頭を撫でてやりながら、イルルに話しかけた。
「なぁ、イルル、過去の事はアルも反省してるし、許してやってもらえねぇか?」
「……そうね。シロウちゃんがそう言うなら許してあげてもいいわよ。そこの獅子神が許して下さいイルル様って心を込めて謝罪するならね」
「うう、分かったのじゃ。……許して下さいイルル様、あの時の事は今は後悔しているのじゃ。どうか許して欲しいのじゃ」
アルはイルルに頭を下げた。
イルルはアルの謝罪を受けて、自分の腕を抱いて小刻みに震えた。
心なしか顔も紅潮している様に見える。
「い…いいわ。そこまで言うなら許してあげる。…ふう、格上の神が私に頭を下げるなんて…、ちょっと癖になりそう」
後半の呟きは小さすぎて誰の耳にも届かなかった。
機嫌を直したイルルは、ニコニコと笑いながらシロウ達に食器を手渡した。
「さあ、遠慮しないで食べて頂戴。と言っても食材はウルラちゃんが獲って来た兎だけど」
兎を食べながら、シロウはイルルのグラスに酒を注いだ。
「ありがと、それで魂についてだったかしら?」
「そうだ。ルクスって竜神にアンタに相談してみろって言われてな」
「ルクスちゃんね。彼、元気?相変わらず真面目なの?」
「ああ、元気だ。村の娘と結婚したばっかだぜ」
結婚したと聞いて、イルルは途端に興味が失せたようだ。
「ああ、つまんないわぁ。ルクスちゃん揶揄い甲斐があったのに……。二人はフリーよね」
「いや、俺は結婚してる」
イルルはシロウから視線を外し、ウルラに流し目を送った。
なんだろうか、アルは子供にしか見えないのに、遥かに幼い容姿のイルルには怪しい色気を感じる。
これは種族の違いに起因する物だろうか。
「ぼっ僕はもう心に決めた女性がいるから!」
「あら、心なんて時と共に変わっていくものよ。ねぇダーリン?」
そう言ってすり寄るイルルから、ウルラは逃げながら叫ぶ。
「僕には、僕にはラケルがいるんだぁ!」
「……なんだ、ラケルの彼氏か。つまんないの」
ウルラはイルルから距離を取り、彼女の様子を伺っている。
「ラケルの事を知っておるのか?」
「知ってるわよ。お淑やかそうに見えて、結構情熱的なのよね彼女。ラケルと男取り合うなんて御免だわ」
「助かった…」
ウルラは安心したとばかりに呟いたが、イルルから一番遠い場所に座った。
「ウルラちゃん、そんなに怯えなくても、もう手を出したりしないわよ」
「う、うん、分かってるよ」
ウルラの様子を眺めて、イルルはクイッとグラスを煽りため息を吐いた。
「どっかにフリーのいい男いないかしら…」
「……旅の間にいい男がいりゃ、お前の事、伝えといてやるよ」
「ホント?よろしくお願いね」
「任せな。それで俺の中の魂についてなんだが…」
イルルはシロウの内面を覗き見る様に目を細めた。
「あら、大変ね貴方。それじゃ性格も随分変わったんじゃない?」
「自分じゃよく分からねぇが、肝は据わったと思う」
「今はどういう状況なの?」
シロウはイルルに祠の事や、魂の解放について、これまでの事をかいつまんで説明した。
「ふうん。……勿体ないとか思わない訳?力も寿命も人とは比べ物にならないのよ。それこそ今の貴方は上位の神にも引けを取らないのに」
「偶然、手に入ったもんだしな。それにこれまで解放してきた連中はスッキリした顔してたし、あの顔を見るのは嫌いじゃねぇんだ」
答えを聞いてイルルは愉快そうに笑った。
「フフッ、アルブム・シンマ。アンタ、いい男を見つけたわね」
「そっ、そうか?確かにシロウは優しいが…」
アルは少し頬を染めて、ごまかす様に兎を食べる。
「まあ、事情は分かったわ。でもねぇ、協力して上げたいのは山々だけど、見ての通り、私、力を失ってるの。信仰が戻らない事には大した事は出来ないのよ」
「そうか…。じゃあこれまで通り、一人づつ解放していくしか無さそうだな」
シロウは残念なような、ホッとしたような気持でそう呟いた。
「フフッ、慌てないで、大した事は出来ないけど、道を示すぐらいは出来るわよ」
「どういう事だ?」
「私は昔、幸運の神として信仰されていたわ。貴方の進むべき道を占ってあ・げ・る。従うかどうかは貴方が決める事だけどね」
そう言うとイルルはシロウの横に立って、彼の額に手を当てた。
イルルが目を閉じると、その手から淡く白い光が立ち昇る。
「……海が見える。波の荒い、でもとても暖かい場所。……ここから南の海ね。…ふぅ、今はこれが限界。もっと知りたいなら、そこのちんちくりんの獅子神と一緒に私の事も広めてね」
「誰がちんちくりんじゃ!?それにシロウは我の伝道師じゃぞ!!」
「けち臭い事言わないでよ。私このままだと消えちゃうだもん。ねぇお願いシロウちゃん」
イルルはそう言うと、シロウに向かってウィンクした。
「分かったよ。……南かぁ。海は見た事ねぇなぁ」
「シロウ!?」
「だって幸運の女神が言ってるしよぉ」
「……シロウ、そこの蛇神は女神では無い」
「女神じゃない?」
アルの言葉を聞いて、イルルは慌てて口を塞ごうとアルに飛び付いた。
「言っちゃ駄目!!」
「モガッ!」
シロウは止めようかとも思ったが、子供同士がじゃれ合っている様にしか見えず手を出しかねていた。
ウルラはそもそもイルルに近づきたくない様だ。
二人は暫くもみ合っていたが、体格差でイルルを抑え込んだアルが叫ぶ。
「こやつは男じゃ!!」
「男!?」
「ひどぉい!なんでバラしちゃうの!?それに私、最初は男に生まれたけど、今は女なんだからぁ」
そう言うとイルルは蠱惑的な笑みを浮かべた。
「出会った時は完全な男だったではないか!?」
「私だってなりたくてなった訳じゃないわよ。人間がなんでか幸運神は女だ!って決めつけるから…。だから今は両性具有的な?」
以前、アルが激怒した認識による形の変化というやつだろうか…。
元は男神として祀られていたが、いつの間にか女神に人の認識が変わったのではないか。
更に中途半端な状態で信仰が途絶えたから、イルルはどっちつかずの状態でいるのではないだろうか…。
「そんでイルル、お前ぇは男と女どっちになりてぇんだ?」
「そうねぇ、随分、女って事でやってるし、女神で広めて頂戴」
「分かった。そんじゃあ、蛇の女神って事で伝える様にするわ」
「シロウ!!一番は我じゃからな!!」
アルは拳を握って訴える。
「分かってるよ。しかし神様にオカマがいるとはな…」
「オカマって言わないで頂戴!!心はもう女なんだからぁ!!」
「分かった分かった。お前ぇは女だ」
「分かればいいのよぉ。怒鳴ったりしてごめんね、シロウちゃん」
「……両性具有……世界は広いなぁ」
ウルラは少女にしか見えないイルルを見ながらそう呟いた。