炎の竜
シロウは老婆に捕まったアルに目をやりながら尋ねる。
周囲には村の男達が、彼を警戒するように距離を置いて取り囲んでいる。
「その子を捧げものにすんのか?」
「そうじゃ、もうすぐ年明けじゃ。来年は十年目、また一人子供を捧げなくてはならない年じゃ。この娘が今日この村を訪れたのは運命としか思えん」
老婆はそう言って深く頷いた。
「そんな運命があるかよ…。なぁ本当に竜神は子供を欲しがってんのか?」
「……分からん。竜神様に直接聞いた訳ではないからの」
「だったら、止めりゃいいじゃねぇか」
「しかし、ロビンに傷付けられた事で怒り狂い暴れた竜神様が、子供を向かわせた事で暴れるのを止めたのも事実じゃ」
シロウの中にいるロビンという男は娘を取られない様、元凶である竜神を排除しようとしたようだ。
しかしそれに失敗したという事だろう。
「元々は三十年に一度と言ったな?」
「そうじゃ」
「その子供は何のために捧げられていたんだ?」
「本来は竜神様の身の回りの世話の為だったと聞いておる。神に使える僕として一生を捧げるのじゃ」
「村には戻れないのか?」
「帰って来た者は一人もおらん」
なるほど、捧げられれば娘と会う事は二度とない。
神を殺そうという気持ちも、シロウには分かる気がした。
「なぁ、俺がその竜神と話をつけてやろうか?」
その言葉で取り囲んでいた男たちからざわめきが起きる。
「沈まれ!!…何を言っておる?ただの人が、神と交渉するなど出来る訳あるまい?」
「ただの人じゃないとしたら?」
そう言うとシロウは周囲を見回した。
老婆の家の側に荷馬車が一台止めてある。
恐らく他の村や町に、村の物を運ぶのに使っているのだろう、かなり大型だ
シロウはその荷馬車に近づいた。
先程の立ち回りで、シロウの強さを知った男達は彼を避ける様に道を開けた。
「何をする気じゃ!?」
老婆の言葉を無視して、シロウは片手で馬車を持ち上げる。
老婆の手から驚きの余り包丁が抜け落ちる。
彼女も含め周りの人間は、ポカンと口を開けその光景を眺めた。
シロウは馬車を頭上に掲げたまま、老婆に言う。
「見ての通り、俺は普通の人間じゃねぇ。獣の王、獅子神アルブム・シンマに仕える伝道師だ。つう訳だからよ、俺を信じて交渉を任せてみて貰えねぇか?」
「アルブム・シンマ…。伝道師じゃと…」
「あの者の言葉は本当じゃ」
アルは老婆を見上げて嬉しそうにそう告げる。
「…お主が本気になれば、男共を皆殺しにも出来たのではないか?」
「出来るだろうが、んなこたしねぇよ。一応、神に仕える聖職者だからな」
老婆はアルに掛けていた手を放した。
アルは解放されたとたんに駆け出し、シロウの胸に飛び込んだ。
シロウはアルを抱いて、その頭を撫でてやる。
二人の様子を見て、周囲の男達は気まずそうに眼を伏せた。
「とにかく、詳しい話を聞かせてくれ」
「…儂の家で話そう。ニコラス、お前も来てくれ」
「お婆…、分かった。話は俺があとで伝える、みんなは家に戻ってくれ」
ニコラスと呼ばれた壮年の男が、村の男達にそう言うと、彼らはそれぞれの家に帰っていった。
シロウ達は再び老婆の家で、竜神と村についての話を聞いた。
それによると、彼らの村は昔から村の北にある、湖の側の洞窟に住む竜を信仰していた。
竜も村を害獣から守り、彼らの関係はとても良好だった。
ある時、村を襲った異形の怪物を竜が撃退した時から、村の子供を世話役に送る習慣が始まったらしい。
怪物により、竜が酷い傷を負った事が切っ掛けだったようだ。
まるで闇夜の様な漆黒の体と、赤黒く光る眼を持つ怪物は大地を腐らせ、人々を貪り喰ったそうだ。
「悪神って奴か?」
「分からん。儂の婆さんがまだ子供だった頃の話じゃからのう。竜神様はそれ以来、洞窟から出て来る事は無かったのじゃが、ロビンが娘を渡す事を拒み、竜神様を弓で射た事が切っ掛けで暴れる様になったんじゃ」
「ロビンは見た事もねぇ神様に、娘を取られたくなくて、竜神は守って来た村人に裏切られてって所か?」
「そういう事じゃろうな。子供を送れば、恐らく彼らが竜神様をなだめておるのだろう。しばらくはじっとしておられる。じゃが十年程経つとまた暴れ出すのじゃ」
十年か…。
これ以上は彼らから話を聞くだけでは分からなそうだ。
「とにかくよぉ、その洞窟に向かってみるわ。詳しい場所を教えてくれ」
「怒りに触れて死ぬかも知れんぞ?なぜ何の関わり合いもない村の為にそこまで…」
「伝道師だって言ったろ?解決したら、竜神様を祈るついでに、アルブム様にも祈りを捧げてくれよ」
「ついでとはなんじゃ!!我は添え物ではないぞ!!」
シロウに抗議の声を上げるアルを撫でて、シロウは少し苦笑した。
老婆に教えられた洞窟は、湖の側に暗く口を開けていた。
鍾乳石が無数に生え、それは竜の牙を思わせた。
「アル、竜の神ってどんな奴か知ってるか?」
「ふむ、あ奴らは基本住処からは動かんからの、直接は知らんのじゃ。伝え聞く所では小山の様に大きく、炎を吐き空を飛ぶ。その顔は蜥蜴にすこし似ているそうじゃ」
「蜥蜴…。ラケルの親戚かな?」
「シロウ、ラケルは人間を守る優しく立派な神じゃ。少々傷を負ったぐらいで怒り狂うような狭量なモノと一緒にするでない」
「そうだな。確かにラケルはいい女だ」
「むう、我の前で他のメスを褒めるな…」
「なんだよ、お前が言い出したんだろ?」
「もうよい!」
アルはプイッと顔を背け、洞窟の奥に進んでいく。
シロウはため息を吐き、その後を追った。
暫く進むと天井から光の射す広い空間に出た。
見上げると洞窟の天井は丸く穴が開き、そこからは青い空が見えた。
広間には人が暮らす為の住居が作られ、その横に石の柱が規則的にならんでいる。
「送られた子供はここで暮らしていたのか…」
シロウがそう呟いた時、住居のドアが開き赤い髪の青年が姿を見せた。
赤と白を基調とした服を着た、筋肉質の美丈夫だ。
「新しい世話役か?……お前、人では無いな?何の用だ?」
青年はアルを見てそう問い掛けた。
「アンタが竜神様かい?」
「貴様は誰だ。なぜ子供以外が我の巣に入り込んだ?」
「俺はシロウ。村の連中に頼まれてな」
「フフフッ、あの村の人間どもはまだ我を殺す事を諦めていなかったのか…」
青年の雰囲気が豹変する。
まるで真夏の炎天下にいる様に空気が熱く感じられた。
いや、実際に周囲の温度が急激に上がっているようだ。
「おい!俺たちゃ喧嘩しに来たわけじゃねぇんだ!」
「人の言葉など信じられるか!!」
青年が叫びを上げると彼の体が盛り上がり、その姿を変えていく。
瞬きをする間に、シロウ達の前に赤い鱗を持つ巨大な竜が出現していた。
『骨も残さず燃え尽きるがいい』
竜は咢をシロウ達に向け開いた。
その口から大量の炎が吐き出され、広間を炎と熱で満たした。
シロウは咄嗟にアルを抱え、雪狼の剣を抜いた。
剣は炎に反応して吹雪を吹き出し、炎を切り裂いて炎の源、竜の頭を覆った。
「すげぇ!ジョシュアに渡さなくて助かったぜ…」
『雪狼の刃だと!?貴様人の身でありながら、何故神の武器を持っている!?』
「少しは頭が冷えたか?」
竜は口を覆った吹雪を、炎で吹き飛ばすと人の姿に戻った。
「お前は一体…」
「俺はシロウ、獅子神アルブム・シンマの伝道師だ」
「そして我が獅子神アルブム・シンマじゃ!」
アルはシロウに抱えられながら手を上げて名乗った。
「獅子神の伝道師と獅子神か…。他の地を守護する神が一体何の用だ?」
「だから、村の連中に頼まれて話を聞きに来たんだよ。それを勝手に勘違いして火なんて吹きやがって…。剣が無かったら黒焦げだぜ」
竜はシロウの手にした剣に目をやり、口を開いた。
「それは雪狼が作った物だな。毛が織り込まれている所を見ると、彼らがお前に贈った物のようだな?」
「ああ、あいつ等の長が悪神に成り掛けてたのをアルが治したんだ。その礼でもらった」
「悪神を治しただと!?それは本当か!?」
「本当なのじゃ。雪狼と協力して長の怨嗟を氷に閉じ込めたのじゃ」
アルは少し得意そうに言った。
ただシロウに抱えられたままだったので、すこし間抜けだったが…。
「怨嗟を氷に…。アル、いやアルブム・シンマ殿、頼みがある。我と共に悪神を封じて貰えないだろうか?」
「悪神を封じる?お主が倒したのではないのか?」
「奴はまだ我の腹の中で生きている。我は奴を倒す事が出来ず、喰らう事で腹の中に閉じ込めたのだ」
「腹の中に…」
竜は自身の腹を押さえ、二人を見て口を開く。
「我が名はルクス・ドラッウェド。頼む、これ以上悪神を抑えておけんのだ」
苦悶の表情を浮かべ、ルクスと名乗った竜は二人に願った。