崩れる王国
金糸の刺繍が入った赤い服を着た金髪の男が、城の廊下を歩いている。
歳の頃は四十代前後だろうか。若い頃はモテただろう事が窺える顔立ちだ。
いや、今でも年上好きには堪らないだろう。
その日、領主に呼び出されたその男、ガラードは、心の中の苛立ちを押し込め執務室に向かっていた。
領主に呼び出される事自体、ここ十年以上無かった事だ。
それでなくてもこの一月程で展開していた事業が次々に不振に陥り、立て直す為の資金もいつの間にか金庫から消えている。
内部の犯行を疑ったが、それらしい人物は見当たらない。
ガラードの組織は右肩下がりを続け、遂には離反者も出始めた。
しかしその離反者が始めた商売も全く振るわず、気付けば街から部下や同業者の姿が消え始めていた。
執務室のドアをノックし、返事を待たず中に入る。
「お呼びですか、イッシュ様」
執務室には金髪の青年、イッシュの横に見た事の無い黒髪の男が立っていた。
「よぉ、会いたっかったぜ」
「イッシュ様、この男は何者です?」
「彼はシロウ、アルブム教の伝道師だ」
「アルブム教?聖職者が何ゆえ城に?」
ガラードの言葉に、シロウはニヤつきながら答える。
「俺は領主様に助言してただけだぜ。部下に盗賊がいるのはどうかと思うってよぉ」
「フッ、貴様は一体何を言っているのだ?街を収める領主の城に盗賊等いる訳なかろう?」
「ガラード、私もそろそろ本来の仕事に復帰しようと思ってな」
イッシュは手を組み、冷ややかにガラードを見つめた。
その事で、漸くイッシュの様子がおかしい事にガラードは気付いた。
自分の問いに、まともに答えている事自体がおかしい。
なぜならイッシュは、領主になる前からガラードの指示で与えた薬により、それ以外の事に興味を失っていた筈なのだ。
薬は快楽を与える依存性の強いモノで、組織の資金源になっていた。
そう簡単に抜け出せる訳が無い。
「顔色が変わったぜ。領主様がまともなのが、そんなに不思議かい?」
「…貴様、何をした?」
「ちょっと治療をな。なんせ協力してもらおうにも、薬漬けで話もまともに出来なかったんでな」
「治療だと…?」
ガラードがイッシュを見ると、彼は無表情にガラードを見返した。
「お前の薬は実によく利いたよ。全ての事がどうでもよくなる。まるでこの十年、夢の中にいたようだった。」
「お前のやってた事は全部分かってる。しらばっくれても無駄だぜ」
「何の事だ。薬は領主様がお疲れのようだったので、医師に処方してもらっただけだ。薬が問題だと言うなら医師の罪だ」
ガラードの言葉にシロウは肩をすくめた。
「自分は関係ないって言うんだな?イッシュが薬に溺れていたのも知らなかったと」
「当たり前だ。イッシュ様は政にお疲れのご様子だった。ならばご静養いただいて、臣下が領を運営するしかあるまい。」
「関係ないなら、薬の畑が燃えても問題ねぇよな?」
畑が燃えた…。
ガラードは自分の足元が揺らぎ始めるの感じた。
「いやぁ、よく燃えたぜ。あやうく俺も夢の国の住人になるところだった」
シロウは楽しそうに笑いながら言う。
「カジノも要らねぇよな。娯楽は必要だと思うが、イカサマはよくねぇもんな」
組織が運営していたカジノは、どういう訳か大勝ちする客が異常に増え経営不振に陥った。
それもこの男が噛んでいたのか…。
「あと、奴隷も国の法的に不味いよな。大変だったんだぜ。一人一人回って説得するのはよぉ」
今まで顧客だった貴族や商人は、あからさまに組織との接触を拒むようになった。
担当の人間は彼らは一様に、何かに怯えているようだったと報告を上げてきたが…。
「それによぉ、子供の売り買いとかも問題だぜ」
以前は寒村から子供を買い付けていたが、最近急に買い付けが出来なくなっていた。
それもこの男の仕業だったというのか…、しかし、一体どうやって…。
その思いが顔に出ていたのか、シロウが説明を始める。
「超低金利の銀行を作ったんだ。イッシュに協力してもらってよぉ。そうそう金はアンタんトコから回してもらった。あんがとな」
組織の金が最近、頻繁に消えていたのもこの男の所為だというのか。
「銀行はホントしんどかったぜ。アンタに気付かれないようにしねぇといけねぇからよぉ」
「お前は…お前は何者だ!?一体何が目的だ!?」
「イッシュが言ったろ?俺はアルブム教の伝道師。目的はこの街に寄生してる盗賊ギルドを潰す事さ」
シロウはイッシュに目をやり、口を開く。
「さて、イッシュ、仕上げを頼むわ」
「分かった。ガラード、お前を反逆、人身売買、違法薬物製造及び販売、住民への不当な金銭の要求…。上げればきりがないが、その他諸々の容疑で逮捕する」
「馬鹿な!?一体何を根拠に!?」
「これ、お前んだろ?」
シロウは一冊の帳簿を取り出した。
「何故それがここにある!?」
「そんなの取って来たに決まってんじゃねぇか?今頃この帳簿があった場所は、衛視が探ってる筈だぜ」
「衛視が…そんな筈は…」
「ああ、お前の息のかかった連中なら、全員仲良く豚箱行だぜ。良かったな、これで寂しくないだろ?」
崩れる…私の王国が…二十年以上かけて育てて来た私の組織が…。
たった一人の男の所為で…。
そう思った時には、ガラードは腰から剣を抜いていた。
言葉にならない叫びを上げながら、シロウに襲い掛かる。
シロウはため息を一つ付いて、振り下ろされた剣を掴み、刀身を握りつぶした。
「俺を殺しても、お前の居場所は変わんねぇよ。ここにお前が来た時点で全部終わってるからな」
中程で砕かれた剣を取り落とし、ガラードは床にへたり込んだ。
焦点を無くし虚ろな目で、床に落ちた剣を見つめるガラードにイッシュは言う。
「ガラード、お前には聞きたい事が山ほどある。特に病で亡くなった父上の事は、どのような手を使っても吐いてもらうぞ。衛兵!!」
イッシュの声で衛兵が執務室に入って来た。
「連れて行け、絶対に自死させるなよ」
「ハッ!」
衛兵はガラードの口に猿轡を噛ませ、引きずる様にしてガラードを連れて行った。
「ありがとな。イッシュ」
「こちらこそ、助けてくれてありがとう。シロウがいなければ私は一生傀儡のままだっただろう」
そう言ってイッシュは手を差し出した。
その手を握り返しシロウは笑みを浮かべた。
「しかし、君は本当に何者なんだい?薬漬けの私をどうやって正気に戻したんだ?」
「そいつは神のお力ってやつさ。感謝はアルブム・シンマって獅子神様にしてくれ。…そうだ。捕まえた奴らの中にララって女がいたと思うんだが…」
「ララ?」
「子供の人身売買をやってた、孤児院にいた赤毛の女だ」
イッシュはシロウから手を放し、棚からファイルを取り出し報告書を確認する。
「ああ、確かに収監されているな。ふむ、報告には自首とあるな。…君の恋人か?」
「違えよ。…その女に二人だけで会わせて欲しい」
「…分かった。なんなら釈放する事も可能だが?」
「会うだけで良い。…イッシュ、上の人間が法を曲げんじゃねぇよ」
無法が服を着て歩いているような男が、法について自分をたしなめたのでイッシュは少し笑った。
「そもそも城に忍び込む事自体が、法を犯してると思うんだが?」
「…そうでもしねぇと会えなかっただろ?」
イッシュは肩をすくめ、書類を取り出しサインをした。
「これを持って留置所を尋ねるといい。ララに会えるはずだ」
「ありがとよ。助かったぜ」
「別にこんな物無くても、君なら簡単に忍び込めるだろう?」
「領のトップが犯罪を勧めんなよ。じゃあな」
シロウは書類を受け取り部屋を後にした。
イッシュはその後ろ姿を見送り、シロウに出会ってからの慌ただしい日々に思いを馳せた。