堕ちた雪狼
「こっちから出向こうと思ってたんだ。ヴィーネを縛った理由を聞かせてもらおうか?」
白い獣は鼻に皺を寄せて怒りを顕わにした。
「この山と森は儂らの縄張りだ!!その中心の聖域で人等が死ぬなどあってはならん!!」
「それでヴィーネを生き返らせて、全部無かった事にしようとしたのか?」
「そうだ!!聖域を穢れなく守るそれが雪狼族の掟だ!!」
「ちなみに穢れたらどうなるんだ?」
雪狼は唸り声を上げながら答えた。
「聖域には先祖の霊が眠っている!!人の血で穢れるなど許せるものか!!」
「つまり、お前らの気持ちの問題って訳だ。……そんな事でヴィーネを一人ぼっちにしたのかよ…」
シロウの体から怒りが噴き出した。
「シロウ駄目じゃ!!」
アルはシロウを止めようとしたが、ウルラがそれを制止した。
「離せウルラ!!」
「駄目だ。今、彼に近づくと、君も危ないよ」
「シロウ…」
シロウは怒りに支配されたまま、雪狼の前に立った。
「貴様が娘を解放した事で、聖域は汚された。その責任は取ってもらうぞ」
「責任だぁ?じゃあヴィーネの人生を奪った責任は誰が取るんだよ!?」
「人の一生など刹那の間に過ぎるではないか。長く生きれた事を感謝して欲しいぐらいだ」
シロウは雪狼の鼻面を拳で殴り、地面に叩き付けた。
「ギャン!!」
「長!!!」
「長が人に…」
シロウの攻撃で長の牙は折れ、鼻から血を流している。
「人間を馬鹿にすんじゃねぇ!!てめぇらにとっちゃぁ短くても、皆必死に生きてんだよ!!」
「…貴様……神である…儂に向かって…」
何か言おうとする長の頭を、シロウは踏みつけ黙らせた。
「お前らが神だろうが関係ない!!……このまま踏み砕いてやるぜ!!」
「シロウ、止めろ!!」
アルはウルラの制止を振り切り、シロウの足にしがみついた。
「お主は誰も殺してはならん!!」
「アル放せよ!!」
「嫌じゃ!!こやつを殺せばお主は呪いを受けよう!!そうなればもう一緒に旅をする事は出来ん!!そんなの…そんなの我は嫌じゃ!!」
泣きながら言うアルの言葉で、シロウの中の怒りがで引いて行く。
「……分かったよ。殺すのは止めにする」
「シロウ!!」
シロウはアルの頭を乱暴に撫で、長から足を退けた。
「見逃してやる。さっさと消えろ」
「……このままでは済まさんぞ」
長は牙を剥いてシロウを睨みながら、その場を走り去った
他の雪狼も長を追って姿を消した。
「あーあ。恨みを買っちゃったね。きっとしつこく追って来るよ」
「構わねぇさ。ヴィーネの事を考えりゃ、一発殴っとかねぇと気が収まらなかったからな」
「…よく知りもしない女の子の為に、よくそれだけ怒れるねぇ君?」
ウルラは少し呆れてそう言った。
「お前も旅を続けりゃ分かる様になるさ」
「分かる様に…そうなのかな?」
「シロウ、抱っこ…」
アルを見ると、瞳に涙をためてシロウを見上げていた。
「しょうがねぇ神様だな」
シロウはアルを抱き上げ背中を撫でてやった。
アルはシロウにしがみついて頭を胸にこすりつけた。
「…シロウ…お主は我の伝道師じゃ。…勝手に離れる事は許さんぞ」
「分かった、分かった」
シロウはアルを抱いたまま雪洞に戻った。
三人は夜明けまで雪洞の中で短い眠りに落ちた。
アルはシロウの服をしっかりと握りしめ、離れようとはしなかった。
翌朝、シロウは雪洞の外に気配を感じ、アルをウルラに寄り添わせ一人雪洞から抜け出た。
雪洞の外では数匹の雪狼が入り口を取り囲んでいた。
彼らの純白の毛皮は血と泥で汚れていた。
「早速、お礼参りって訳か?」
シロウが拳を構えると、その中の一匹がシロウの前でその身を伏せた。
他の雪狼もそれに習い身を伏せる。
「貴方様にお願いが御座います」
見た目では分からないが、その声には若さが感じられた。
「お願いだぁ?昨日、徒党を組んで襲って来た相手にお願いたぁ、随分勝手な言い草じゃねぇか?」
「身勝手なお願いである事は、重々承知しております。しかし我らでは、もうどうする事も出来ず、恥を忍んでお願いに参りました。」
シロウは腕組みして雪狼達を見下ろす。
「聞いてあげなよ」
雪洞の入り口に目を向けると、ウルラが寝ぼけまなこのアルを抱いてシロウを見ていた。
「問題を解決出来れば、今後、雪狼達が僕らを狙う事も無くなると思うよ」
「……しょうがねぇなぁ。取り敢えず話だけは聞いてやるよ」
シロウは口を曲げ、頭を掻きながら不承不承、問いかけた。
「あっ、ありがとうございます。……実は…長を止めて欲しいのです。」
「長って、俺が殴ったデカい奴か?止めるってどういう事だ?」
雪狼は少し言いにくそうに経緯を語った。
「…あの後、里に戻った長は貴方様への怒りが収まらず荒れ狂い、ついにはその身に穢れを宿してしまったのです」
「穢れ?」
「はい、長は悪神に堕ちかけております。我らも必死で止めようとしたのですが、力及ばずもはや貴方様にお縋りするしかなく…」
雪狼達は全員縋る様な目でシロウを見上げている。
「そんな目で見るな。…でもよぉ、俺は穢れをどうにかするなんて出来ないぜ?」
「長を止めていただければ、後は我々で穢れを払えます!」
「ぶっ飛ばして、大人しくさせりゃあいいのか?」
「……仰る事は少々乱暴ですが、概ねそれで合っております」
雪狼との話が一区切りした所で、そこに別の雪狼が駆け寄ってきた。
「兄上!!長がこちらに向かっております!!」
「何!?足止めの結界は!?」
「食い破られました!!」
「まさか結界を…」
二匹の話が終わらぬうちに、雪を爆発させる様に蹴立てながら、体が半分黒く染まった巨大な狼がこちらに向かって疾走してくるのがシロウの目に映った。
雪洞の前にいた雪狼達は、それを止めようと全員で長に飛び掛かる。
しかし狼は止めようとする雪狼達を弾き飛ばしながら、シロウに向かって駆け寄ってきた。
「見つげたぞぉお!!!人間!!!」
その目に怒りと狂気を宿した獣は、勢いそのままにシロウにその牙を剥いた。
シロウはそれを受け流し、脇腹に拳を叩き込んだ。
雪煙を上げながら巨体が雪原を滑る。
その音でアルが目を覚まし、驚きの声を上げた。
「何が起きているのじゃ!?…あれは雪狼の長か!?……ってなんでウルラが我を抱いておるのじゃ!?離さんか!!」
アルはウルラを引っ掻き、雪の中に降り立った。
「痛っ…。酷いね、全く」
ウルラは引っ掻かれた手を振りながら小さくぼやいた。
「アルに止められたから殺しゃあしねぇが、俺も一発殴っただけじゃ腹の虫が収まらねぇと思ってたんだ」
「グルル…ごろす…ごろしてやるぅ!!」
長の体から吹雪が噴き出し、シロウの体を包み込む。
「おっと」
突風が駆け抜け吹雪が四散する。
シロウが声の主に目をやると、彼はウインクを返してきた。
「吹雪は僕が抑えてあげるよ。君は思う存分、狼とじゃれ合えばいい」
「へッ!ありがとよ!」
シロウは赤黒い目で、怒りのこもった目を向ける巨狼に向けて拳を構えた。




