おまじない
暖かい光を感じ目を覚ます。
周囲を見回すと見覚えのない部屋だった。
窓からは陽の光が室内を照らし、吹き込む風が緩やかにカーテンを揺らしている。
棚やテーブル、室内に置かれた全てに覚えが無い筈なのに、何処か懐かしく胸に暖かい物が溢れる。
不意にドアが開き、現れた人物にシロウは息を飲んだ。
「目が覚めた?」
黒髪のクリっとした瞳の女性だ。
彼女の後ろに隠れて、同じく黒髪の男の子がこちらを伺っている。
「あらあら、恥ずかしいのかしら?」
「どうして……?」
「フフッ、頑張ってるシロウへの神様からのご褒美……かな?」
「……ご褒美?」
女性はベッドの横に置いてあった椅子に腰かけ、男の子を膝の上に乗せた。
「ホントの所は私にも分からない。でも久しぶりに顔が見れて嬉しいわ」
「リーネ……」
「ほら、レント。お父さんよ」
「……おとーさん?」
レントと呼ばれた男の子は、不思議そうにシロウを見つめた。
「これは夢じゃねぇのか?……それとも俺は死んだのか?」
「あなたはまだ死んでない。……会えたのは嬉しいけど、まだあなたにはやる事がある筈よ」
「やる事?」
「そう、アルちゃんを助けてあげて。……あの娘には感謝してるの、あなたあのまま死んでたら永遠に地上を彷徨っていた筈よ。……正直、他の女の子と仲良くしているのは癪に障るけど、あの娘なら特別に許してあげる」
リーネはそう言うと微笑んだ。
「リーネ、すまねぇ。俺は……俺はお前達を幸せに……」
シロウの言葉を彼の頬に触れた手が遮った。
「分かってるわよ。子供の頃からの付き合いじゃない」
リーネの真似をして、レントもベッドに乗りシロウの頬に手をやる。
「リーネ……レント……」
シロウは頬に当てられた二人の手に自分の手を重ねた。
彼らの手は暖かく、いつの間にかシロウは泣いていた。
「泣き虫な所は変わらないわね」
「リーネ……」
レントはシロウを見上げ、泣いている顔を見ておかしそうに笑った。
「おとーさん、おとななのにないてるの?」
「へへっ、そうだな。大の大人が泣いてちゃ、みっともねぇな」
「おまじないしてあげる」
レントはそう言うと、立ち上がってシロウの頭を撫でた。
「ぼくがないてると、おかーさんいつも、こうやってなでてくれるよ」
「そうか……そうか……」
「ほら、レント。お父さんにバイバイって」
「えー、だっておとーさん、まだないてるよ」
「そうね。しょうがないお父さんだわ」
リーネは苦笑するとシロウの頭を優しく撫でた。
「……さぁ、もう目を覚ましなさい。……いつかあなたがこっちに来るまで、ずっと待っててあげるから、いまは精一杯生きるのよ」
「リーネ……」
「おとーさん、バイバイ、またね……」
「レント……」
意識が何処かに沈んでいく。
次に目覚めた時、最初に目に入ったのは閃光だった。
空一面に黒い雲が広がり、その隙間から稲光が走っていた。
「ぎゃあああああ!!!」
「三つ」
誰かの絶叫と酷く冷たい声が耳に入ってくる。
シロウは痛む体を鞭打って、何とか体を起こした。
この体になってから感じた事の無い激痛が体を襲う。
声の方に視線を向けると、白い髪の女の後ろ姿が目に飛び込んで来た。
彼女の髪の先が、黒く染まっているのを見たシロウは、ため息を吐いて体を持ち上げた。
アルは目の前の男に、もはや何の感情も抱いてはいなかった。
唯、この男を出来るだけ苦しめ、プライドをへし折り、後悔させて、この世から消さねばならないと感じていた。
「右腕の次は鼻じゃ」
「クソッ!!一思いに殺せ!!!」
「……何を言うておる。お主に選ぶ権利等、有る訳がなかろう?」
振り上げた腕を、誰かが掴んだ。
「離さんか!?」
「……止めとけよ。お前は優しい偉大な獅子神だろ?」
アルは声を聞いてゆっくりと振り返った。
血に塗れ、荒い息を吐く黒髪の男が自分の腕を握りしめていた。
「シロウ……?」
「まったく……お前が堕ちたら、この世の終わりじゃねぇか……」
「何故じゃ?……死んだものと……」
「勝手に殺すなよ。……死にかけたみてぇだが、何とか生きてるよ」
「シロウ!!!」
アルはシロウの胸に飛び込み、声を上げて泣いた。
シロウは泣いているアルの頭を優しく撫でる。
一回撫でる度に、アルの黒く染まった髪は白く輝きを取り戻していった。
「泣くなよアル、俺は死ぬまでお前と一緒にいてやるからよ」
「うう、シロウ……シロウ……」
シロウはアルが落ち着くまで、彼女の頭を撫でてやった。
そんな二人を見ながらナミロは密かにほくそ笑んだ。
シロウが生きていた事への衝撃からか、アルの術は消えていた。
再生を阻んでいた肉を焼く光も今は無い。
肉体を再生しようと、ナミロが失った手足に力を送ろうとした時、突然、ちぎれた断面が凍り付いた。
「何!?」
「ワンッ!」
ナミロの声に反応してか、白い犬が一声鳴いた。
犬は邪魔するなとでも言う様に、ナミロを見て首を振った。
「人の姿も取れぬ畜ッ!?」
罵倒の言葉は氷によって止められる。
犬は再び首を振ると、一つ欠伸をした。
その人を食った様はシロウにとても良く似ていた。
泣き止んだアルは、シロウを見上げ問いかける。
「我が見た時、お主は確かに死んでおったのじゃ。どうやって生き返ったのじゃ?」
「うーん、俺にもよく分からねぇ。ただ、リーネとレントの夢を見たんだ。……あいつがアルを助けろって言うからよ」
「リーネ?お主の連れ合いが?」
「ああ、リーネの話じゃ俺はお前に会わなけりゃ、死んだ後もずっと地上を彷徨ってたらしいぜ」
アルはキョトンとしたが、その後、不意に笑い始めた。
「フフッ、そうか。では我はお主の恩人じゃの?」
「そうだな。感謝してるぜアル」
「うむ」
「んじゃ、そこの虎を如何にかしようぜ」
「そうじゃの……しもうた!術が!」
アルが慌てて振り返ると、ナミロは手足と口を氷漬けにされていた。
その横で白い犬が誉めてとばかりに尻尾を振っている。
シロウは苦笑して、犬に歩みより頭を撫でてやった。
「チビ、でかした」
「ワンッ!!」
「チビ、すまんのじゃ……」
「ワンッ!!」
チビは謝ったアルの手を、気にするなとでも言う様に舐めた。
「さて、こやつはどうするかの……」
「昔やったみてぇに封印すりゃいいんじゃねぇのか?」
「封印はいずれ解けるからのう……」
自分を見下ろし話を続けるシロウ達を、ナミロは憎しみのこもった目で睨みつけた。
だが、ナミロの持つすべての力はチビによって封じられていた。
憎い。
自分を手玉に取った獅子神も、氷漬けにした犬も、そしてその元凶であるシロウという人間も。
そもそも人は自分を王として生んだのに、どうしてもう一人、王を作り出したのか。
獅子神さえいなければ、自分がこの世界の主として君臨出来た筈なのだ。
身を焦がす程の怒りと憎しみがナミロの中に渦を巻く。
それは彼の理性を覆い尽くし、黒く暗く染めた。