怒りの獅子神
空を雷光が駆け抜ける。
シロウは眼前に広がる草原で、青い光が天に昇って行くのを見た。
光は楽し気に暫く草原の上を舞うと、一直線に迷いなく空へ向かって駆け上がった。
それはシロウの心に悲しみと、安堵と幸福に似た何かを感じさせた。
光が立ち昇った草原に、漆黒の鎧を着た男が立っている。
赤黒い瞳を怪しく光らせた男は、アルの姿を認めると手にした剣を振るった。
剣から放たれた暴風をアルの纏った雷雲が弾く。
男は鼻を鳴らし、アルを見上げた。
「アルブム・シンマ!!降りてこい!!俺と貴様、どちらがこの世界の主に相応しいか決めようでは無いか!?」
アルはシロウを背に乗せ、草原に降り立った。
シロウが背から降りたのを確認すると、その身を人に変えた。
「人間、貴様は邪魔だ。これは神と神の戦いだ。見逃してやるからさっさと消えろ」
「……ザルトはどこだ?」
「奴は自滅した。……どこまでも愚かな男だ。自由のなんだの、手綱の無い馬など何の意味も持たぬというのに…」
シロウは無言で拳を構えた。
「……貴様も馬鹿馬と同類の様だな?」
嘲りを含んだ笑みを浮かべ剣を担いだナミロの顔面に、シロウの拳が食い込んだ。
それまでシロウが立っていた地面に、深く足跡が刻まれている。
「俺の仲間を侮辱するな」
「貴様!?……良いだろう。ありとあらゆる苦痛を受けて藻掻きながら死ね!!」
振り下ろしたナミロの大剣を、シロウの剣がそっと触れる様にいなした。
逸れた大剣は大地にめり込み地中をかき回す。
シロウは飛んで間合いを取り、アルに声を掛けた。
「アル頼む!!」
「うむ、任せよ!!」
アルが手を翳すと、手にした雪狼の刃が青白い輝きを帯びる。
「フンッ、人間風情がいつまでも神に抗えると思うなよ」
ナミロが上げた咆哮が、大地を抉る。
抉られた大地は腐食し草原は汚濁した土地に姿を変えた。
「甘いのじゃ」
アルが左手の指を鳴らすと、アルを中心にドーム形の雷が広がった。
雷は咆哮を打ち消し、更に拡大を続けナミロを飲み込んだ。
「グアアア!?」
雷が消えた後、土地は浄化されていた。
「アルブム、貴様、何処でそれだけの力を!?」
「さてのう?我らの草の根運動が実を結んだかの?」
おどけた口調で答えるアルに、ナミロは顔を歪める。
「よそ見してんじゃねぇよ!!」
「グッ!!」
不意を突いたシロウの攻撃を、ナミロは大剣で受け止めた。
衝撃を加えようと、大剣に力を流したナミロの目が驚愕で見開かれた。
あらゆる力を加え練り上げた、力の結晶とも呼ぶべき大剣がシロウの持つ剣により徐々に破壊されていく。
「馬鹿な!?」
雪狼の剣は輝きを増していた。
光が増すごとに、刃は大剣に食い込んでいく。
「クッ!」
ナミロは剣を捨て、腕を振ると再度剣を発現させた。
「お前は王の器じゃねぇ。諦めて昼寝でもしてろ」
「器では無いだと?……俺はこの世界を統べる為に生まれたのだ!!!何の目的も持たず生まれた人間がふざけた事を言うな!!!」
ナミロは暴風、光、炎、あらゆる力を周囲に解き放った。
力は草原を侵食し、大地を切り裂き炎を噴き上げる。
シロウはそんなあらゆる暴力が渦巻く中を、散歩でもする様にナミロに近づいた。
「どんな力も、もう俺には通用しねぇ」
「何故だ!?どうして生きていられる!?」
シロウは雪狼の剣を掲げた。
「前にお前と戦った時、気付いた」
「その剣の力か!!!」
ナミロが振り下ろした剣はシロウに近づく程にスピードを緩め、最後には腕ごと凍り付かせる。
「何…だと?」
「凍て付く極限の寒さは全ての物の動きを止める。動きが止まった世界じゃ全ての力は無意味だ」
周囲を見れば、炎の揺らめきさえ動きを止めていた。
ナミロの手足は凍り付き、その場に縫い留められた。
噴き出す炎も瞬時に凍る。
「おのれぇ……」
「んじゃ、あばよ。次は昼寝好きの神として広めといてやるよ」
シロウが振り上げた剣は、いつか見た覆面の巨漢に止められた。
驚きの声を上げる間も無く、体が無数の槍に貫かれた。
「グハッ!!」
「シロウ!?」
「唯一神様!!!お早く!!!」
見れば遠く小柄な老人が声を張り上げている。
「グハハッ、でかしたキマ!!」
ナミロは頭部を虎に変え、シロウの首に牙を突き立てた。
頭を捻ると牙を通して骨の砕ける音がナミロの耳に響く。
小気味良いその音を聴き、ナミロは鼻を鳴らしシロウを投げ捨てた。
凍り付いた手足は炎により自由を取り戻す。
「フンッ、所詮は人間。武器の力が無ければ何も出来ぬ小者よ」
「シロウ!!シロウ!!返事をせい!!お主は我と旅を続けるのじゃろ!?」
投げ捨てられたシロウに縋り、アルが癒しの術を使っている。
「たかが人間一人死んだぐらいで情けない。それでは神ではなく、唯の人間の小娘と変わらぬではないか」
ナミロの嘲りにアルは顔を上げた。
「ナミロ、シロウが我にもう殺しをさせとうないと言うから、力を貸すだけに止めたのじゃ」
「その結果がこれか?偉そうに言った割には呆気なく惨めな最後だったな」
「……なるほど、怒りが突き抜けると何も感じなくなるのじゃな……」
アルは立ち上がり、感情の無い瞳でナミロを見つめた。
ナミロは自分の足が後退りしている事に気付いてはいなかった。
アルが腕を振り、その手に青く輝く剣を生み出す。
「ようやくやる気になったか!?さあ、雌雄を決しようぞ!!」
ナミロが振り下ろした大剣を、アルは無造作に斬って捨てた。
「なッ!?」
「もはや、お主では我の相手は務まらぬ。我が伝道師を愚弄した事を後悔するがよい」
剣は輝きを更に増し、周囲に無数の球電を発生させた。
アルが手を翳すと、球電はナミロの知覚を超えて体を貫いた。
不死鳥の生み出す炎の熱を遥かに超えた熱の塊が、ナミロの体に無数の穴を穿つ。
「グアアッ!!」
「唯一神様!?おのれ、獅子神!!」
キマが作り出した幻を、アルは稲妻で掻き消した。
稲妻は遠く離れていたキマの頭上からも降り注ぎ、猿神の体を焼いた。
その衝撃と共にキマの体を蝕んでいた毒が浄化されていく。
「残りはお主一人じゃ」
「グルルッ、俺はこの世を統べる神だ!!!」
ナミロは腕を虎に変え、アルに襲いかかった。
アルは体を回転させてナミロの右足を切り飛ばす。
「ぎゃあああ!!!」
「一つ」
黒い血を垂れ流しながら、ナミロは地面を転がった。
アルから距離を取り、足を再生させるべく力を送り込む。
だが無くなった右足の脛から下はナミロの思惑を外れ再生される事は無かった。
「何故だ!?」
足を確認すると再生し盛り上がった肉を、青白い煌めきが焼いている。
「四肢をもぎ取り、お主の慟哭を以てシロウへの手向けとしよう」
アルはそう言うと、無表情に刃を振るった。
ナミロの左足が宙を舞う。
「グオオオオ!!!」
「二つ」
感情無く自分を見下ろす青い瞳に、ナミロは生まれて初めて恐怖を感じた。